【第二話】始まった日常


私の名前は、落合さゆり。

今年から服飾系の専門学校に通う専門学生です。

先日、同居人が出来ました。田舎から上京して、最初は自由気ままな一人暮らしを楽しんでいた私ですが。日を重ねる事に、一人の夜が寂しくなってしまった私にはありがたい存在です。その同居人というのが……。


『さゆり! 起きて! 遅刻するわよ!』


黒髪おかっぱ頭に、艶やかな赤い着物姿が良く似合う市松人形の菊姫ちゃんです。


『早く、朝ご飯食べちゃわないと!』


菊姫ちゃんはとっても優しく、とっても気が利きます。


「……あんまり、食欲ないよぉ」

『ダメよ! 朝ご飯食べないと活力湧かないでしょ!』


今も、朝食を私の前に用意してくれて。


『ちゃんと食べる! 食べてる間に、髪梳かすわね』


身支度の準備までしてくれます。


『忘れ物無い? ハンカチ持った?』


一応、私から髪を貰う為に取り憑いている“呪いのお人形さん”らいしんだけど……。


『車と事故と、自殺衝動に気を付けて行くのよ!』


今の所、呪われている様子は全くありません。



 ***



私の名前は、菊姫。

美髪を求め彷徨う、呪われた市松人形よ。時は大正に作られた由緒正しい……ちょっと、ババアって言ったら祟るからね?

まぁ、日本各国を彷徨い漂っていた私だけど。最近、一つ所に住まうようになったわ。


「ただいま~……」


落合さゆりというの所にお世話に……いえ、取り憑いているの。


『お帰り。ご飯にする? 先にお風呂?』

「わぁ、菊姫ちゃん新婚のお嫁さんみたい!」

『……良いから、どっち?』

「じゃあ……先にお風呂頂こうかな?」


普通ではありえない現象である。彼女は話しをして宙を浮く人形である私の事をあっさり受け入れ「一人じゃなくなり、寂しくなくなる」という理由で住まわせてくれる、かなり変わった娘だ。

そういえば……普通にお風呂送っちゃったけど、大丈夫かな……。

何となく嫌な予感がして、私はそろりそろりと浴室を覗き込む。

すると、そこには手首に剃刀を宛がっているさゆりの姿があった。


『何やっとんじゃああああああい!!!!』


慌てて浴室に飛び込み、私は剃刀を素早くさゆりから引っ手繰る。


『嫌な予感がして覗いてみれば……』


そう、彼女は初めて出逢った時も浴槽にて自身の手首を傷つけようとしていたのだ。

シャワーを頭から浴びながら、呆然と開かれたさゆりの口から発せられる声に私は耳を傾ける。


「……私……やっぱり、居ない方が良いんだよ……」


泣きそうな声だった。でも、彼女は泣いていなかった。


『どうして?』


私は尋ねた。


「……だって、今日。授業で、失敗しちゃって……」

『そんなの、誰にだってあるわよ』

「でも……出来なかったの私だけで、授業の足引っ張って、先生にも……凄く怒られて……」


私は黙って彼女の言葉を聞き続ける。


「私は、凄く恥ずかしくって……ダメな存在で……もう、消えちゃいたい……」


心の中を振り絞るように紡がれる言葉は、願望というより自責の念のように感じた。

ならば、誰かが許してあげなくてはいけない……。


『最初から、何もかも出来る人なんて居ないわ』


それが、私でも良いのかは分からないが……。


『沢山練習したら出来るようになる事もあれば、百回も千回も、沢山沢山練習して努力をしても出来ない事だっていっぱいある。それを私は恥ずかしいとか、ダメな事とは思わない』


物語にあるようなサクセスストーリーは。結局、物語の中だけの美しい理想だ。

そこに、夢や希望を抱き。娯楽として生きる糧にするのは良いとしても、自分に投影するには理想があまりにも大きすぎる。


『ずっと、カッコ良く生きていける人なんていない』


現実など、上手く行かない事の方が多いのだから。


『頑張って頑張って、それでも上手く行かなくて失敗する事ばっかりよ。でも、その中に一つくらいは。他人に褒めて欲しいと思える……さゆりが自分を誇りに思える所が絶対あるわ』

「……そんなの、あるワケ――」

『あるわよ。貴女は美しい髪を持ってて、呪いの人形である私にそれをくれるって快く言ってくれたじゃない』


さゆりの瞳が、微かな光を灯して私へと向けられる。


『そうよ、さゆりは私と約束したでしょ? 髪が伸びたら、私にくれるって。それまでは、生きててくれないと私がとっても困るわ!』

「菊姫ちゃん……」

『髪が伸びるまでは、さゆりの事。私が死なせないから! 私の呪いは強力なのよ!』


そのついでに……と、私は少し気恥ずかしくて。さゆりから視線を外しながら続けた。


『さゆりの事、見張ってるついでに。さりゆが見落としちゃってる、さゆりの素敵な所……私が見つけて、貴女に教えてあげても良いんだからね……!!』


私がそう言い、言ってからさらに恥ずかしくなり。痒くもないのに、自分の顔を掻く。


「菊姫ちゃん……」


震えた声が、私を呼ぶ。


「どうして……そんなに、優しいの……?」


シャワーを頭から浴び、顔も体も濡らし続けたまま。彼女は私に尋ねた。


『私は……』


優しいワケでは無い。


『さゆりが死んだら、髪。貰えないから』


さゆりが、放っておけない人間なだけだ。


『だから、どんなに私に弱音を吐こうが。カッコ悪くてみっともない所見せようが、髪の毛分けて貰うまでお願いされたって絶対離れてやったりしないんだから』


だから……。


『安心して、私に頼っても良いんだからね!』


朝でも昼でも夜でも。同じ弱音を何百回繰り返そうと、私が全部ちゃんと聞いて上げる。

何十年、まともに人と関わらず話しもしていないのだ。何十日だろうと、何百日だろうと付き合ってしんぜよう。

私の言葉に、さゆりは自身の手で顔を覆って「うっ、うっ……」と声を漏らした。私は人間に比べて小さい掌で、さゆりの髪に触れる。


『落ち着いたら、早く髪と体を洗っちゃいなさい』


湯舟の中でも良いし、お風呂から上がってからでも良い。先にご飯を食べてから、ちょっと休んでからでも良い。

私は、いつでも何時でも。貴女の話しを聞いてあげるから。


「菊姫ちゃん……」

『ん? 何?』

「菊姫ちゃんって、本当に優しいよね」


私、全然呪われてる感じしないよ……という、さゆりの言葉に私は熱を感じないはずの顔を紅潮させた。


『わっ、私は呪いの人形よ!! 優しくなんかないんだからねっ!!』


そう、私は美しい髪を求める呪いの人形。

さゆりの髪を貰う為に取り憑いているのだ。決して、彼女が心配で世話をしている訳ではない。断じて!!




 ** お ま け **



「あっ、そういえば! 菊姫ちゃんの写真見た学校の子達がね。菊姫ちゃんの事、可愛いって言ってたよ!」

『ふ、ふ~ん! まっ、まぁ? 見る目は、あるんじゃなくって?』


菊姫のSNSデビューは、案外満更でも無い感じだったという。

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