メンヘラちゃんと呪いのお人形さん

志帆梨

【第一話】出遭い


それは、何の変哲の無い。ある暑い夏の夜の出来事だった。


小振りな外層の二階建てのアパート。階段を上がり、二つめ部屋にて。水の音が聞こえていた。

シャワーの音だった。

中を伺い見る事が出来ない小窓から、オレンジの明かりと共に温かな蒸気が溢れる。


――シャー…


と、温かな水が一定のリズムとスピードで勢いよく流れ出る。

そのお湯を、頭から浴び。自身の艶やかな黒髪を濡らす女性は。ふと、背後に視線を感じた気がした。

しかし、振り返っても見慣れた景色が広がるのみ。良くある気のせいか……と、顔を戻した。


だが、それは気のせい等では無かった。

彼女を見つめる視線は、確かに存在したのだ。


――ねぇ……。


その目は見た。


――貴女のその、綺麗な髪。


その女性が。


――頂だ……


自身の手首に剃刀を宛がっているのを。


『ちょっとォォォォォ!!!! 貴女何やってるのよォォォォォ!!!!』


その光景を目撃した視線の主――おかっぱ頭に、赤い着物の市松人形は驚愕の表情で叫ぶのであった。



  ***



『何してるのよっっっ!!』


小振りな体躯で浴槽の窓から難なく潜入を果たし、市松人形は慌てて彼女から剃刀を奪い取った。


「切ったら……」


シャワーの音に掻き消され聴き取りずらい彼女のか細い声に、必死で耳を傾ける。


「気持ちが、落ち着くので……」

『リスカっ!?』


目を剥いて、叫ぶ人形。


「別に、私が死んでも、どうなっても……誰も何も思いませんし……」


この子、所謂メンヘラか……人形は人形ながら、そう心の中だけで思う。


「私なんて、何の価値も意味も無いゴミみたいな存在なので。むしろ、死んだ方が酸素の無駄遣いを抑え――」

『貴女一人居るくらいで、酸素が枯渇する事はありえないから安心して深呼吸でもしなさい』


人形にそう言われ、素直に深呼吸をする女性。


「あの、ところでアナタは――」

『それよりも!』


深呼吸をして少し落ち着きを取り戻したのか、彼女は宙を浮遊しながら言葉を話す市松人形に視線を向ける。が、それは人形本人に遮られた。


『先に、髪と体洗っちゃいなさい!』


人形による常識的指摘を受け、女性が髪を洗い。体を洗い、リンストリートメント洗顔を済ませた約二十分後。


「あの……アナタは一体?」


湯舟にて、尋ねる女性。


『私は“呪いの人形”』


女性の目の前で浮遊する市松人形が、得意気に言う。


『美しい髪を求めて彷徨ってるの!』


人形の言葉に。


「なるほど~」


と、呑気な返答をする女性。


『……いや、自分で言ってて何なんだけどさ』


女性の反応に、げんなりと口を開く人形。


『突っ込まないの? “自分で呪いとか言っちゃうんかーい!!”とかさぁ……』

「あっ……えっと、楽しそうに話してくれてたから、聞き入っちゃって……」


でも……と、女性が続ける。


「突っ込みも出来ない……ましてや、ちょっと冗談を言っても寒い空気にしてしまう私なんて……やっぱり、存在価値無いですよね……」

『無理矢理ネガティブにならないでよっ!!』


ったく……と、人形は人形の癖に人間のように呆れたように両手を腰に当てた。

そして、心の中だけで『この子のペースに合わせて話してたら精神的に疲れるわね……』と思い。自身の目的へと、話題を移す事にする。


『それよりも、貴女のその綺麗な髪。分けてくれないかしら?』

「私の髪?」

『そう!』


人形は嬉しそうに続けた。少し、テンションを高めに。


『今日、街で見かけてビビッときたの!』


艶やかで染色の施されていない、アッシュがかった自然な黒髪。サラリとしたストレートヘアー。


『まさに、理想の美髪!!』


人形の言葉に、嬉しそうに少し俯く女性。


「ありがとう……髪は確かに、特に何かしてるワケじゃないのに結構褒めて貰えて……そんな風に言って貰えて、とっても嬉しいです……」


女性は人形へと顔を上げると。


「私の髪で良かったらどうぞ」

『ホント!? 良いの!!』

「はい! 今から頑張って溺死するので、死んだら好きなだけ剥ぎ取っていって下さい!」

『いや、嫌だわぁぁぁぁぁ!!!!』


笑顔で告げられた言葉に、人形は無いはずの声帯を震わせた。


『何サラっと今、この瞬間死のうとしてるの!? 止めときなさい!! 死ぬなんてそんな良いもんじゃないわよ!!』

「お人形さん、分かるんですか?」

『まぁ、死んだことは無いけど。死んだ人間や、死んでる人間は山ほど見てきたからね』


私、結構長生きなの! と、胸を張って言う自称呪いの市松人形。


「それは、偉いですね……お人形さん……」


暗い表情で、彼女は続けた。


「私なんか、中二の時に既に死のうと思ったのに……」

『何が貴女をそんなに絶望させたのよ……』

「生きれば生きるほど、自分の価値の無さを実感していって……」

『貴女、幾つなの?』

「十九です」

『私からしたら、まだまだ小さな子供よ』


フフン、と笑う人形。


『そういえば、私も今まで普通に流してたけど』


真面目な表情で、女性に向き直る。


『一応、怪奇現象が目の前で起こってるのに。どうして、そんなに普通なの?』

「あっ、それはですね」


尋ねられた疑問に、女性は笑顔で続けた。


「慣れちゃってるんです。今も、部屋に沢山居るので」


サラリと言われた言葉に、寒暖の差等感じない身体を持つはずの市松人形の背中に悪寒が走った。


「さすがに、お風呂に一緒に入るのは恥ずかしいので。ご遠慮して貰ってて」


そして、そっと浴槽の入口を少し開き。部屋を覗き込む。

飛び込んできたのは、無数に見つめる十数人の両眼。しかし、その視線を向ける人物達は皆。人の姿こそ象っていたが、誰一人として人間ではなかった。


『ぎぃやああああああああああ!!!!!!!!!!』


普通の人間には聞く事の出来ない人形の悲鳴が、狭いアパートの風呂場に響き渡る。



 ***



『貴女、何考えてるのよ!!』


浴槽からリビングへと場所を移した女性と市松人形。

そして、人形は目の前の女性に怒っていた。


『妙に居心地の良い所だと思ったら……あんなに幽霊が居たら、そりゃ空気も淀んで死にたくなる程気持ちも沈むわよ!!』


因みに、先程まで食い入るように女性の入る浴槽の前に屯っていた幽霊達は。全員、市松人形が恫喝して追い払っていた。


「せっかく……沢山の人が遊びに来てくれて、寂しく無くなってたのに……」

『“人”なんて一人も居なかったわよ!』


再び声を荒げてから、人形は。


『小物の浮遊霊ばっかりで、目立った悪霊も居なかったとはいえ。あんなに霊が居たら、瘴気が濃くなって犠牲者より先に事故物件が完成してたわ』

「私が記念すべき、最初の犠牲者だったかもしれなかったんですね……」

『何で残念そうなのよ!!』

「だって……」


人形の言葉に、女性のか細い声が紡がれる。


「生きてても、何にも意味も希望も見出せないし。彼氏にも捨てられて……精神科では話は聞いてくれるけど聞いてくれてるだけで答えをくれる事も無いし、何も教えてくれない……」


全ての幽霊を追い払い終えたはずなのに、辺りは再び禍々しい黒くどんよりとした空気に包まれていく。


「友達や親に話しても、困った表情向けられて『考え過ぎ』とか『気の持ちようだよ』とか言われるし……皆は出来てて、私には出来ない……」


つまり……と、彼女は続けた。


「私は普通じゃなくって、異常で迷惑な存在だから。死ぬべきなんです!」

『そこで元気よく言わないの!!』


人形はため息を溢す。

この手の人間は、下手に慰めても逆効果だ。アドバイスを、親切では無く否定と取られる可能性もある。

余計に精神を追い詰めてしまう方が確立が高い。


『別に、考えたって良いじゃない』


彼女の顔が、人形へと向けられる。


『確かに、他人に貴女の苦しみや辛さは分からないから。理解して貰うのは、難しいかもしれないわ』


彼女が自分の事でいっぱいいっぱいになってしまっているのと同じように、相手も人間。他人には言わないだけで、その人にしか分からない苦労や苦悩があるのかもしれない。


『だから、貴女の事が特別に興味が無いとか。迷惑って思ってるワケじゃないと思うわ』


人は、皆。大人になっていく事に、色んな事を知っていく反面。色んな事が見えなくなっていく。

子供の頃に、立ち止まり眺め感動する事が出来た道端の花を。いつの間にか、気が付かずに踏みつぶしてしまうようになったり。

見上げた空の澄んだ青に、何の感情も抱かなくなったり。幼い頃は、大好きな両親と一緒に乗るのが好きだった電車が。通勤や出勤という義務になった瞬間、大嫌いになったり。


『皆そこまで、広く見る事が出来なくて。他人に優しくしてる余裕が無いだけよ』


そして……子供の頃に夢中で遊んだ玩具に、見向きもしなくなり。何処に仕舞ったのかも忘れ去ってしまったり……。


『もし……誰でも良いから、傍にいて欲しいなら……』


人形は、少しだけ顔を赤らめて続けた。


『私が、暫く一緒に居てあげない事もなくってよ』


語尾の音量が下がる。

慌てて人形は『あ、貴女の髪が伸びて私のウィッグが作れるようになるまでの間だけよ!!』と、続けた。


『い、今の貴女の髪の長さじゃ。ショートカットのウィッグしか作れないからってだけなんだからね!』


女性の髪は、確かに首筋が隠れて肩に着くぐらいのセミロングだ。


「あっ、丁度先週切っちゃったから……」


自身の髪の毛先を見つめながら、彼女は呟く。


「ごめんなさい……お詫びに、毛根から引き抜いてってくだ――」

『だから、待ってるって言ってんでしょ!!』


話しを聞きなさい! と、声を荒げる人形。


「どうして……私なんかと? 面倒臭いでしょ?」


自覚はあるのか……と、思いつつ。人形は口に出すのは留めた。それを言葉にするのは、絶対にヤバいからだ。


『別に……生きた人間に構って貰ったのは久々で、話を出来たのは結構楽しかったし……』


すると、女性の顔に明るい表情が少し灯った。


『だから、髪が伸びるまでくらいなら。ちょーっと取り憑いてても良いかなぁ~、って思ったっていうか……』

「私、お人形さんの役に立てた? 立てる?」

『えっ!? うっ、うん……』

「私と一緒に居るの、嫌じゃない!?」

『いやいや、むしろ!! 貴女のが、呪いの人形に取り憑かれるの嫌じゃないの!?』

「全然っ!!」


女性は人形の小さな手に、そっと指先で触れて優しく挟む。


「毎日、お話してくれるお友達が出来て……とっても嬉しい……」


穏やかな笑みを浮かべ、心底嬉しそうにそう言う女性。

人形は、心の中で驚きつつも。彼女の言葉に満更でもない自分に、少し戸惑う。


「私、落合おちあいさゆりと言います」

『わ、私は菊姫きくひめ……』

「とっても可愛いお名前! アナタにぴったりね!」


菊姫はか細く『あっ、ありがとう……』と紡ぐ。


「これからよろしくね! 菊姫ちゃん!」


満面の笑顔で告げられた言葉に、菊姫は視線を下に向けながら小さく頷いた。


「……あっ」


すると、さゆりが突然。菊姫から手を放す。


『どっ、どうしたの?』

「私……初対面なのに、馴れ馴れしくして……あっ、さっき敬語じゃなくていきなりタメ口使って……しかも、勝手に友達って……キモイしウザいですよね……ごっ、ごめんなさい……」


さゆりは、暗い表情で続けた。


「ウザかったら、いつでも呪い殺して髪の毛剥ぎ取ってって大丈夫なので!」


本気の眼差しでそう言うさゆりに。


『しっ……しないわよ、そんな事ォォォ!!』


という、菊姫の声が轟くのであった。



 ** お ま け **



その日の直ぐ後。


「今日からルームシェアする事になりました(*^^*)」


という文章と共に、美顔アプリで市松人形とのツーショット自撮り写真がさゆりのSNSに投稿されていた。


『いや、コレ載せて大丈夫なの? 心霊写真じゃない?』by菊姫

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