第1章 幼年期 旅立ち編

第1話 目覚めたら飼い猫?いいえ、猫又でした

 ミィーミィー……。


 遠くから猫の鳴き声らしきものが聞こえる。

 しかも声がたどたどしく、大人の猫と違い声音が高めだ。それも一匹や二匹じゃない、複数匹いるらしい。

 この歩道橋の周辺には野良猫はいなかったはずなのだがと、上手く働かない頭で霧島 天音はぼんやりと考えた。

 しかし、どれだけ気絶していたのだろう?

 よくあの男も、こちらの生死を確かめずに放置していたものだ。

 最近よく聞く上級国民とやらなのか。

 訴えてやる気は満々だが、藤城の余裕のある態度にある種の不安がよぎる。

 もし奴の言葉が事実ならば、せっかく生き残っても、警察に圧力をかけてこちらの証言を握り潰してくる可能性があるだろう。

 そうでなければ、手下を使って大胆な犯行を起こすはずがない。監視カメラのあるこのご時世なのだから。

 身体の痛みが消え、落ち着いた今になってから、彼女の中で燻っていた怒りが沸々と込み上げてきた。


 何でっ、何で私が──


「きょんにゃにゃみゃあぁぁーっ!」


 こんな目にぃぃっ!──って、え?

 なんと『彼女』の口から飛び出したものは、人間の大人としては有り得ない声だった。


「んみゃ?」


 お、おいおい待ってくれと、口から突いて出てくる声に天音はますます混乱する。

何故……何故、自分の口から仔猫みたいな鳴き声が出てくるのだ。

 まさか頭の打ち所が悪くて、ろくに口もきけない身体になってしまったのか!?

 冗談じゃない! あんな目に遭わされて、その後の人生まで狂わされるなんて嫌だ!!


「みみゃっ……みみゃあぁぁぁ――!!」


柄にもなく大声で泣きながら身体をジタバタさせていると、頭の向こう側から慌ただしい足音が近づいてきた。


「まあっ、若様! お腹が空いたのですか?

それともおしめですか、おーよしよし。

浅葱(あさぎ)はここにおりますよー」


………………若様?


いきなり至近距離でこちらの顔を覗き込んできた美女が、黄色みのある濃い水色の長い髪をさらりと揺らし微笑む。

 その髪型は頭上でリボン結びのように結わえらており、残りの髪は顔の側面まで広がっていた。

 言うなれば、奈良時代の仏教美術に出てくる天女を彷彿とさせる。

 そのまま涙を溢れさせる天音を優しく抱き上げ、摺り足でゆったりと歩き出した。

 服装は平安時代の女官が着用する十二単に似ているが、あれほどには重ね着をしていない。

 群青色の眼から注がれる眼差しには、深い愛情が見て取れた。

 にも拘らず、天音の心中は先程とは別の意味でざわめいている。

 現代日本どころか世界中探してもお目にかかれない髪色に、白人ですら有り得ないほどの鮮やかな目の色。

 その意味を理解した時、彼女はあらん限りに叫びたかった。

 自分に限って、まさか。


 異世界に転生したなんて、ベタな展開があってたまるかと。


 だが、コスプレイヤーにない容姿の自然さを見るに、そう考えた方が筋が通る。

 この際、異世界転生だろうが何でもいい。

 いや、良くはないけれど、今は自分がどんな姿に転生したのか確認することが先決である。

 そんな小さな決意を余所に、浅葱と名乗った世話役らしき女性は、静かに大きな姿見の前へ歩を進めた。

 目論み通りに事が進み、天音は知らずに笑みを溢す。

 ありがとう、美人さん!

 これで今世の自分がどんな人間に転生したかわかるよ…………って、猫?


「フフフッ、鏡で御自身を見るのは初めてですものね。

鴉の濡れ羽色の毛色が艶やかで、美しゅうございますよ。それに、赤紫の眼も山桜のように鮮やかですわ。将来は陛下そっくりに成られるでしょうね」


 楽しみですわと微笑む浅葱の言葉は、残念ながら天音……らしき猫には届いていなかった。

 ひたすら鏡の向こうの自分に釘付けになっている猫に、初めて見る鏡が珍しいのだろうと彼女は優しくその背中を撫で続ける。

 これが普通の猫ならば……いや、普通の猫でも猫好きとはいえ、自分がそんな姿に変わっていたら半狂乱に陥るだろう。

 だが、驚くところはそこだけではない。

 目の前にいた生き物には、普通の猫には無いものが付いていたのだ。

 二又に別れた尻尾に、その先端に付いている土星みたいな形の物と、もう片方の尻尾に付いている八芒星を立体にした星形の宝石が。

 我が身に何が起こったのか正確に理解した天音から、どんどん血の気が引いていく。


 今世で私、人間辞めて猫又にクラスチェンジだってよ!!


NOOOOOOOO────!!!!


 その後、あっさり猫ならぬ猫又の子供は意識を手放した。


* * * *


 こちらの世界へ天音が転生してから半年が過ぎた。

 その間にわかったことは、神州しんしゅう 蘇陽国そようこくという和風な国に転生し、その国の第一皇子という立場になったことだ。


 その国の皇族は猫又という獣人ならぬ獣神の末裔のため、臣民達から崇められている。

 獣神と言えどもその生態は他の獣人と変わらず、獣形態と人間形態の二つの姿を併せ持っているが、生まれたばかりの子供は獣形態しか取れず、徐々に人間形態への変化能力を身に付けていく。


 故に、最初に天音が耳にした仔猫の鳴き声は、他の皇族の子供達のものだ。

 しかしいずれも傍系に当たり、直系の皇位継承者──つまり次代の天帝あめのみかどは天音のみだそうだ。


 猫又族とはだいぶ特殊な種族で、個体の中には中性で生まれてくる者が稀におり、性別が定まるのは人族でいう第二次成長期頃らしい。

 まさに今生の天音は、その稀なパターンで産まれてきたようだった。


「ふみゃみゃみゃあ~(まさかの中性って、そりゃないよ)」


 幼い外見に不似合いな憂いを顔に滲ませ、天音は溜息をついた。

 性別が定まらない子供は一応男子として扱うが、いざ女性になっても大丈夫なようにそちらの作法も学ぶ慣わしとなっている。

 つまり他の子の倍の苦労をすることが定められているため、のんびりしたい天音には気が重い話であった。

 ちなみに命名の儀がもうそろそろのため、ようやく今世での名前が与えられるとのこと。

 こういう儀式を行う辺り、流石はやんごとなき身分だなと『彼』は他人事のように感じていた。

 それにしても命名されるまでに半年とは、と先程よりも重い溜息をつく。


 転生した当初こそ、今世では皇子様だよ、やったねと天音はハイテンションで喜んでいた。

 が、そう思えた時期が長く続かなかったことを思い出し、不意に遠い目になる。

 残念なお知らせって奴だが、乳母の浅葱やその他一部のお世話役の人達以外に天音は大層疎まれていた。

 驚くことに、疎ましく思っている中にはなんと実の両親や親族まで含まれていた。


 他の赤ん坊よりも発達が早いのか、歩行できるようになってからというもの天音は、情報収集のためにせっせと動き回っていたが、そんな彼に待ち受けていたのは第一皇子を危険視する噂であった。

 物陰から、いい歳した大人が憎々しげに顔を歪めてこちらを罵る様を目にしたことは一生忘れないだろう。

 しかも半年経ったというのに、一度も様子を見に来ない両親及び親族の行動が、あの臣下達の暴言こそが天音に対する本音だと思わせるだけの信憑性を裏付けていた。

 納得のいかない扱いに憤りながらも情報収集するなかで、遂に彼は或る事件に辿り着く。

 それは一つの預言が巻き起こした大混乱の記録であった──。


 十年前、先帝の代から仕えていたとある預言者が、黒髪、赤紫の眼を併せ持つ魔神が転生し、世に災厄を撒き散らすだろうという神託を下した。

 神より賜った預言だとかで、その当時、上から下まで右往左往の大騒ぎになったらしい。

 その預言者は国に起こる天災や隣国の進攻などの国難を次々に的中させてきたこともあって先帝、つまり現世の天音の祖父からの信頼が物凄く厚かった。

 ただ、そうやって先帝が何かと頼りにするものだからその預言者は増長し、自分に異を唱える者達を政治の場から排斥するようになっていった。

 

 まるで日本の道鏡みたいな奴だなと、浅葱の祖父の日記に目を通した天音は呆れ返る。

 何故、生まれて半年ぐらいで異世界の言語を理解できたのかといえば、まさかの日本語だったからだ。

 平仮名、片仮名、漢字と綺麗に揃っていたものだから、乾いた笑いしか出てこなかったことを彼は思い出す。

 案外、建国した初代が、日本からの転生者だったのかもしれないが、それは追々探っていけばいいこと。

 早急に対策しなければならないのは、この厄介な預言の方である。

 

 改めて、預言の話に戻そう。

 自分の思うままに、国を牛耳ろうとする預言者だったが、勇敢にもその預言を否定する猛者が現れた。

 その人こそ、この日記の作者である氷山 常磐(ひやま ときわ)──当時右大臣であった浅葱の祖父であった。

 皆が言いたいことも言えず押し黙る中で、彼は己の頸(くび)が飛ぶことを覚悟で、最も不敬たる偽の神託と痛烈に批判した。


 それも先帝の目の前で。


 当然先帝を始め、預言者とその取り巻き共は怒り、常磐を責めた。

 だが常磐は創世神話を根拠に、偽預言者の言葉に惑わされないよう先帝に訴えかけた。

 常磐曰く、創世の三柱にして始源の神の容貌は黒髪に赤紫の眼とのこと。

 にも拘らず、いうに事欠いて創世神を魔神呼ばわりするとは、我が国に対する最大級の非礼にして侮辱であると吐き捨てた。

 まさか、陛下自ら我が国の歴史を否定されるのかと詰め寄られたことで、さすがの先帝も少し頭が冷えたらしい。


 結局、彼はその場で常磐を断罪することなく、その日の朝政は終了。

 その後、預言に異を唱えた件については不問となった。

 創世神への不敬になりかねないことに、先帝なりに思うところがあったのだろう。


 慌てたのは預言者一派だった。

 この神託糾弾事件を切っ掛けに、政治資金の横領やら、他の神域が下した己にとって不利となる神託を握りつぶしていた悪事が次々と露呈し始めた。

 蟄居(ちっきょ)を命じられていた左大臣に、常磐が協力を仰ぎ、他にも干されていた有力者、部下達の力を借りて、徹底的に追い詰めたらしい。

 預言者一派に対する沙汰は死罪を押す声が多かったものの、国に対する貢献度が大きかったため、先帝の一声で流罪となった。

 この事件のショックで、先帝は早々に天音の父である現在の天帝に位を譲り、隠居したという。

 

 代替わりしたことで、ようやく預言者の影響から脱することができると皆が喜んだのも束の間、なんと天帝は問題の預言を公式に撤回せずにそのまま神託として保管すると宣言したのだ。

 例の預言者は長年、天音の父の教育係だったこともあり、彼の悪事が露呈した後も彼の預言者に対する親愛の情は変わらず、皆の反対を右から左に聞き流し、頑として譲らなかった。

 しかも、当時天帝の婚約者だった現皇后も、自分の恋が成就したのは預言者様のお蔭と言って、天帝の預言者信仰に拍車をかけた。

 そして訂正されなかった預言は一人歩きし、良識ある一部の重臣を除き、上から下までの全臣民に定着したのであった。


 何と迷惑な話か!


 お蔭でその預言を鵜呑みにした天帝と皇后から、魔神の生まれ変わりと忌避されている状態だ。

 まあ、意識無かったから知らんけど。

 

 現世の実の両親とはいえ、天音は正直に言って何の感慨も愛着も持てなかった。

 前世で愛情のある家庭で育ったこともあり、彼の中では未だに『霧島天音』のままで時が止まっていたことも理由の一つだ。

 ましてや一度も顔を見に来ることもなく、育児放棄とも取れる態度を示す両親に、すっかり彼の気持ちは冷めてしまっていた。

 もはや、軽蔑の対象と言ってもいい。


 そんな達観した態度の天音だったが、端からは普通の赤子らしく甘えたい素振りを見せぬ我慢強い子に見えていたらしい。

 そんな彼を不憫に思ったのか、浅葱を筆頭とした世話役らが、天帝らのあんまりな態度に抗議にいったことがあった。

 尤も、あの魔神に心を奪われおってと、余計彼らの天音に対する敵愾心を燃やすだけの結果に終わったが。


 己のためにそんな動きがあったと知らぬ天音だったが、以前にも増して周囲の親天帝派の重臣達から刺すような視線を向けられるようになり、事態の悪化を悟った。

 今世で味方が僅かしかおらず、忌み子扱いなのは精神的に辛い。

 だが、前世の記憶がある分、大人として対処できるのは有利だ。

 現代日本の知識をフル活用し、今のうちに捨てられても大丈夫なように色んなことを学んでやると彼は強く決意した。

 全ては今度こそ夢のハイパー、いやロイヤルニートを目指すため!

 不純な動機を胸に、天音は子供向けの初級魔術の本を開いた。

 やることといえば、まずは異世界ファンタジーのお約束な魔術の勉強だ。

 ニートを目指す割には何だかんだで真面目な性質のため、冒頭の序文にも余すことなく目を通す。

 そこにはこう記されていた。


『この世界の生物は魔力と気力という二種類の生命力を併せ持ち、螺旋状に体内を巡っている。

均等にこれ等の力を使える生物は稀であり、どちらの力が強いかは大体種族ごとに別れる傾向にある。

稀な個体については研究の途上にあるため、ここで明確に答えられるものではないが、最近の研究によれば第三の生命力である神力に目覚める素養があるらしい』


 中二心を擽られる単語がてんこ盛りだが、天音は動じない。

 彼が望むのはどんな環境に置かれても生きていける術を身につけることだからだ。

 下手に強大な力を身につけると、余計な敵を増やしかねないだけでなく、最悪の場合、天帝らに飼い殺しにされるかもしれない。

 せっかくオタク魂を揺さぶる異世界に転生したのだから、今度こそは自由に人生を楽しみたいのだ。


 散々元の世界でも異世界転生や転移ものを読み漁ってきたため、改めて自分の人生がどの異世界もののルートに近いのか思案する。

 最初からチート能力を身に付けて、ちゃっかりハーレムを作っている楽勝ルートか、不遇からの成り上がりルート、はたまた小さな範囲でほのぼのとした小さな幸せゲットルートなどなど。


 (どう見ても、不遇からのスタートだよなあ。まあ味方がいるだけマシか)


 そう思いつつ、無詠唱魔術の記載がないか、どんどん読み進めていく。

 活字中毒と揶揄されるほど本の虫だったため、本を読むことが楽しくてしょうがない。

 一冊、二冊と読み終わる本が増えていく。

 本棚の本を粗方読み終わる頃には、魔術と気力の基礎から応用編までの知識が身に付いていた。

 前世でも暗記は得意であったが、それは今世でも変わらないようだ。

 あとはどこまで本の通りにできるか、実践あるのみである。

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