第10話 情けなくても笑顔は作れる

 キーボードの音が鳴り響いている。薄暗い空間で全員が無駄な会話をすることなく研究に没頭しているのだ。


「まだ繋がらないのか?」


 そう呟いたのは神庭だった。

 研究員たちの表情には焦りが見える。

「やはり、人の移動をするとなると波も動きが悪くなるのでは」

 波とは、研究員たちにとって最も大事な研究アイテムの一つだ。時空の動きを観測する装置が観測した時空の動きをグラフ上にし、絶え間なく確認する。それは波。


「創太くんは、ちゃんと行けたみたいだけど、それでも連絡できないと」


 波の動きは大きなモニターに映っている。

 いつもより激しく動いている波は、正常ではない。

「創太くんは大丈夫だろうか」

 神庭はそう呟くと、自分のデスクに戻った。







 神庭の不安を余所に、生徒会長から頼まれた翌日、創太はいつもより早く学校に来ていた。

「おはようございます」

 下駄箱前の廊下で通っていく生徒や先生に挨拶をする。


 仕事を頼まれたせいで、創太は昨日、妹との時間を満喫できなかった。

 不安で仕方がなかったのだ。


 挨拶の仕事がひと段落すると、下駄箱の方に美月の姿が見えた。

 創太は生徒会の人たちに「お疲れさまでした」と言うと、すぐに美月のところに向かった。

「美月、おはよう」

 気まずい感がある言い方だが、創太にとっては精一杯やったつもりだ。

 美月は笑顔を無理やり作り、


「おはよう」


 と返す。

 無言の時間が数秒あると、創太は思い出したかのように口を開く、

「昨日の教科室でのことなんだけどさ」

 言いかけた時、後ろに美結の姿を見つけてしまった。

 創太は焦って、美月の手を握って歩き出した。


「急になに?」

「ちょっといろいろあって」

 美月は創太の手を剥がそうとはしなかった。


「教科室のことは、もういいから」

「そうじゃなくてさ」

「じゃあなに!」


 美月は創太の手を勢いよく払った。

 美月の表情は今までに見たことのない、怒りでも羞恥でもある表情だ。


「俺、なにか気にさわった?」


 ケロッとそんなことを聞く創太に美月は言い放った。

「そういうところだよ!なんでそんなに普通でいられるの?!」

 怒りを露わにする美月とは裏腹に創太は焦っていた。


 美月の後ろで嘲笑しながら見ている女子がいる。それは、美結だ。


「美月、俺、美月の気持ちはわからない。だから、教えてくれ」


 簡単に言う創太に美月は嫌気がさして、教室へ走っていった。

 創太の目の前には嘲笑う美結しかいない。

「見てたんなら、なにか言えよ」

 創太がそう呟くと、美結は目を丸くした。


「修羅場の最中に近くにいた人に助けてっていう目をする男って情けない」


 ハッキリ言い放った美結に創太は打撃を与えられた。

 図星だったのだ。

 創太は、美月ではなく美結を見て、助けを求めていた。

「みゆは、そういう男きらーい」

 ぶりっこのような口調でそう言うと美結は創太の横を通り教室に向かった。


 創太は、一人その場に取り残される。


 妹という存在のために来た世界で創太は妹ではない誰かに傷つけられ、傷つける。

 その時だった。

 スマホが鳴り響く。

 着信が入ったのだ。


『創太くん、やっとつながった』

 電話の向こうは神庭だ。

「電話できるんすね」

『まあね。ところで、今はどんな感じかな?妹さんとは仲良くやれてる?』

 神庭の当然の質問に創太は頭を抱えながら応えた。


「妹以外の人で苦戦してます」


 神庭は笑った。

『まさか、そんなにちゃんと過ごせてるのか』

 創太はもっと心配そうな声を聞きたかったのだ。

 神庭は、なにも用事はなかったのか、

『じゃあ、満喫してくれ』

 と呟いて切れた。


 創太はどうしようもなくなって、教室に向かった。


 教室に入るともう美月は座席についていた。

 創太は隣の席に座る。

 なにを言えば機嫌が治るのか分からかった創太は、無言で机に突っ伏した。



 一時限目、それは唐突に訪れたチャンスだった。

「ない、ないない」

 始まる直前に創太は気づいた。

 教科書がないことに。


 授業が始まり、すぐさま手を上げる。

「あの先生、教科書忘れました」

 先生はすぐに「隣に見せてもらえ」と言った。

 創太は偶然にも美月が隣だ。


「ごめん」

 気まずい空気の中、授業がスタート。

 無言で授業をうけ続けていると、途中、美月が消しゴムを落として探し始めた。


「どうしよ」

 案の定、消しゴムは斜め前の席のイスの下という微妙に取りづらい位置にいってしまった。

 それを見た創太は、先生に見つからないように消しゴムを取ろうとする。

 取れたと思い、イスに座ろうとした時、先生はもう目の前で教科書を構えていた。


「教科書も忘れて、次は遊びか?」

「ち、違います!」

 創太の脳天に教科書の角を当てる。

 創太は頭を抑えた。


「お前らはあんな風になるなよ」

 先生の注意喚起と共に、教室中から笑いが起きる。

 それは当然隣でも。

「創太、バカだ」

 消しゴムを渡すと、美月はお腹を抑えながら、

「ありがとう」

 と言った。





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