第9話 授乳狂時代 |4-1| 牧原征爾
妻の帰宅は日を跨いで午前様となった。家人が帰るのを待たずして眠ってしまうわけにもいかずこちらは苛立っていたが、それでも夜も遅いため一応は彼女の身を案じて不安になりもして、さらにサイトウのことも気になって仕方がないというもどかしさの中で、俺は
こちらから妻の携帯に連絡をして問い詰めてやろうかという気にもなったりしたが、サイトウの乳房に興奮して久方ぶりの
「あら、まだ起きてたの?」と俺の心配をよそに妻は部屋に入ってくるなり快活にそういった。まとわりつくような甘ったるく重たい彼女の呼気が室内にすぐさま充満し始めた。妻が酒に深く酔っているのはあきらかで、その発見がこちらの怒りの度合いをさらに強めた。
「おまえ、まさか飲んでるのか?」俺は怒鳴りつけたい気持ちをなんとか抑えて、上ずった声で問い質したが、妻は特に気にする様子もなく「うん、ひさしぶりに飲んできたよ、気分サイコー。」といかにも気持ち良さそうに目尻を下げて言いながら、手にしていたバッグを思いのほか勢いよく床に放ると、リビングのソファーに身を投げ出すようにして倒れ込んだ。
「授乳どうするつもりだよ、酒なんか飲んじゃっていいのか?」なぜこの女は悪びれる様子もなく、こんなに楽しそうにしていられるのだろう?俺はこめかみの辺りが熱くなるのを感じ、同時に抑えがたい強い怒りが込み上げていることを自覚したが、サイトウによって寝かしつけられているはずの赤ん坊のことを考えると、大声を出すわけにもいかず、自制的な気分と憤怒の狭間で、情けないことに声が微かに震えだす始末だった。
「あら、だってサイトウさんがいるから大丈夫でしょう。それに数日もすれば身体からアルコールなんて抜けちゃうんだから問題ないわよ。」ともっともそうなことを妻から言われて、俺の反駁のための芽はさっそくきれいに摘まれてしまった気がした。それだって、乳幼児を置いて夜間に外出なんて常識的に考えて許されるはずがないだろう、と俺は負けじと反論を試みようとするが、酔った妻の饒舌さの方が勝っており畳みかけるように彼女の話が続いた。
「それよりも聞いてよ、きょうKと会ってきたんだけど、あの人また新しい彼氏が出来たんだって。ホント呆れちゃうわよね。」と、密会の疑惑として最大の懸案事項となっていた
Kはいまだ独身で、結婚していないが故の身の自由さでもって多くの男と関係を持っているらしかった。妻はそんな彼女の奔放さに嫉妬しているようであったり、逆にいまだ身を固めていないことに優越感ともつかない同情的な眼差しを向けたりすることもあって、そんな猫の目のようにコロコロと変わる友人に対する批判とも毒舌ともつかない評価を、俺は妻から何度も聞かされていた。
本当に友情があるのだろうかと疑いたくなることもあるのだが、愛憎入り混じった腐れ縁のような関係の方が、当たり障りのない上辺だけの付き合いよりもよほど誠実だし本心から楽しめるのだろうという感じはした。そしてその話を聞かされる度に、俺にはそこまで腹を割って話せる友人なんていない気がして、少し寂しさを覚えたりするのだった。
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授乳狂時代 |4-1| 牧原征爾
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