第3話 授乳狂時代 |2-1| 牧原征爾

 その夜、会社から帰宅すると、赤子の世話をするためのアンドロイドは、すでに我が家に到着していた。戸惑いながらも、事態をおぼろげながら理解し始めている様子の妻が「いつ、あんなの頼んだのよ?」と訊いてきた。



「昨日の夜さ。君の負担が少しでも軽くなるんじゃなかと思って。」と答えていると、「そうなら、ひとこと言っておいてくれればいいのに……。」と言いながらも目元が少しうるんでいるように見えた。



妻のように心身共に厳しく追い詰められた状況にあると、ちょっとした優しさに触れただけで心が揺さぶられるのかもしれない。予想以上に妻の反応が良かったことが嬉しく、なんだかこちらまでもらい泣きしそうだった。



「母乳の成分を分析する必要があるからって、いきなり採血されたわよ。」そのように言って妻が血のにじんだ穿刺センシ保護用の絆創膏を貼った腕を見せてきた。



 夫婦でそのように話し合っていると、アンドロイドが朗らかな表情を浮かべて、こちらにやってきた。



腕には俺たちの赤ん坊を抱えているのだが、泣き声ひとつあげずに深い眠りについているようだった。



「旦那様ですね、本日から赤ちゃんのお世話をさせて頂くことになりました、ニューテック社製の育児サポート用アンドロイドのサイトウと申します。よろしくお願いいたします。」



「ええ、こちらこそ、よろしく。」



「それでは、さっそくですが、あちらのお部屋で赤ちゃんのお世話をしていますので、何かございましたらお呼びください。」



 そのように自己紹介を済ませたサイトウは、赤子を抱えながらベビーベッドのある寝室へとゆっくりと消えていった。



年齢は妻より少し上の三十代前半ぐらいに設定された作りなのだろうか、若さの中にも落ち着いた雰囲気と物腰の柔らかさがあった。



裾を軽くロールアップしたチノパンに、薄いピンクの開襟シャツを着ていて、昼下がりの公園でよく見かけるような、ごく普通の子持ちの主婦といった恰好をしているのだが、授乳を受け持つアンドロイドとして作られているためか、胸のふくらみは目を見張る大きさだった。



俺は直視するのは申し訳ない気持ちで咄嗟に目を背けたのだった。妻を横にしていながら、なおかつ育児用の〈アンドロイド〉なんかに性的なものを感じ取っている自分に対して罪悪感があったが、それはすべて蓄積している疲労のせいだろうと思い直すことにした。



とにかく疲労困憊していた俺たち夫婦は、この精巧に作られた機械仕掛けの乳母によって救われるのだ、虫食いのように現実を穴ぼこに浸食するこの悪性の睡魔から解放されることになるのだという安堵感と心強さに包まれていた。



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授乳狂時代 |2-1| 牧原征爾

読了頂きありがとうございます。

2~3日おきに連載していきたいと思います。

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