06/鈴の音

悩みに悩み抜きようやく服を買い終えた僕は、今、共有スペースにあるベンチに腰掛け、雨音が戻るのを待っていた。

現在、雨音は買った服に着替えるために服屋の中にある試着室の中にいる。

買った服に着替えるために試着室を借りるのは、本来ならば余り良い行為とは言えないのだけれど、しかし、これは店員さんのご好意だったりする。

レジで会計中、服をずっと見ていた雨音の視線に気付き、店員さんの方がそう勧めてくれたのだ。

そう言う訳で、今の状況に至っていたりした。


やる事もないから、とりあえず周囲をボーっと眺める。


「のどかだ......。」


昼時のショッピングモールでそれぞれの時間を過ごす人達、それを見て特に深い意味もなく、なんとなく思い付いた単語をそのまま口に出す。

そうして穏やかな時間を過ごしているとふいに


「ん?」


チリン

と言う音が僕の耳に入って来る。

決して大きくない。

寧ろとても小さい、別の音に簡単に掻き消されてしまいそうな程に小さく、弱々しい音

それがもう一度


チリン

と鳴った。


「なんだろう?」


普通ならば気にするほどの事でもないその小さな音が、その時の僕には何故だかとても気になって、辺りをキョロキョロと見回す。


「これかな?」


音の正体はとても簡単に見つかって、ソレは僕の座っているベンチのすぐ近くに落ちていた。

拾い上げて、僕は改めてソレを確認剃る。


「鈴......?」


紫色っぽい紐の付いた、神社なんかで売っていそうな小さな鈴だった。

紐はぼろぼろで千切れていて、鈴自体も酷く汚れて黒くなっている。

この表現が正しいかはわからないけれど、一目見て鈴だとはわからない程度には朽ちている。


「......。」


なんとなく、その変わり果てた鈴の姿が悲しいと、そう感じた。


「落とし物......なのかな?」


そう呟きながら、なんとなく鈴を軽く振って音を出して見る。

しかし


「あれ?」


振っても鈴は鳴らなかった。


「じゃあ、さっきの音は......!」


そう疑問を感じた所で、僕はようやく周りの変化に気が付いた。


「なんだ?これ?」


そこは昼時のショッピングモールである筈だった。

当然だけれど、僕はベンチから移動した覚えは一切ない。

だと言うのに、僕の視界に入ってきたのは、全く別の風景だった。


一面真っ黒な闇、足元には薄く水がはられていて、足を動かすと、パシャリパシャリと波紋が広がる。

この世の物とは思えない光景を前に、頭の処理が追いつかなくなってきた僕は、ただただ異様な景色を眺める事しか出来なかった。

そんな僕の耳に再び


チリン


音が聞こえる。

たぶん、さっき聞いた物と同じ音だ。

ソレが


チリン


少しずつ大きくなって行く。


「近付いて......来てる?」


なんとなくそう思った。


チリン、チリン


背筋に冷たい物を感じて、方向も考えず走り出そうとして、腕を掴まれた。


「っ!!」


声にならない短い悲鳴と共に振り返ると、何かが僕の腕を掴んでいた。

大きさは子供くらいだろう、暗過ぎるせいなのか、そう言う物なのかはわからないけれど、身体は全部真っ黒でどんな姿、いや、形をしているのかは確認できない。

ただ

チリンチリンチリンチリンチリン、と何度も、いくつもの音が聞こえるおかげで、身体中に鈴を付けている事だけはわかった。


「君は......なに?」


言葉は返ってこない。

目の前のソレは何も発さず、チリンチリンと言う音だけを鳴らしながら、僕を引っ張る力を強めた。


「っ!!やめろ!離せ!」


身の危険を感じて腕を振り解こうとしたけれど、まったく解放される気配はない。

寧ろ、より一層掴む力が強くなって、僕の腕に痛みが走る。

少しずつ、引きずり込まれるように、距離は縮んで行く。


ああ......これはダメだ......どうしようもない。


そう諦めかけた時


「へ?」


何かに身体を引っ張られて、僕は宙を舞っていた。

少しの間感じた浮遊感はすぐに消えて、地面へ向けて落ちて行く。

でも、僕が落ちたのは硬い地面の上ではなくて、ふわふわとした心地良い感触が、僕の身体を受け止めた。

ソレが何かの生き物の背中である事を理解するのには、それ程時間がかからなかった。


とても大きく、真っ白な毛を持った獣、尖った耳と大きな尾が揺れているのが見える。

でもそれ以外の事はわからない。


「ウォォォォォン!」


と甲高い咆哮を一つ上げると、獣は鈴の怪にその大きな前足を振り下ろした。

避ける事の出来なかった鈴の怪は、押し潰されて完全に動きを拘束される。

それでも、まだ生きてはいるようで鈴の怪は拘束から抜け出そうと、チリンチリンと音を響かせながらジタバタと身体を動かす。


獣はそんな怪異にトドメを刺すつもりなのだろう、怪異に大きな顔を近付けて行く。

ソレと共に、怪異の動きは激しくなって行く。

まるで怯えているように


「あ、あの......ちょっと待って!」


つい上げてしまった声に、獣が動きを止めた。

こちらを見はしないけれど、僕の言葉に耳は貸してくれているようで、大きな耳が僅かに動く。


「あ......えっと......」


どんな言葉を伝えるべきなのか、伝えたかったのか、引き止めておきながら、何も考えていなかった僕は、言葉を詰まらせる。

そのまましばらく考えてから


「あの、助けてくれてありがとう......ございます。でも、その......もう大丈夫だから......だからその、その子?を解放してあげてくれないかな?」


とりあえず、自分の思った事を言葉に出して行く。

獣はそれからもしばらく動かなかった。

拘束を解く事もないし、殺してしまおうともしなかった。

まるで考え悩んでいるように、しばらく動きを止めてから、ゆっくりと怪異の上から前足を退けてくれた。


「ありがとう......本当に。」


もう一度、改めてお礼の言葉を伝える。

それから僕は、鈴の怪の方へ視線を向けて


「君が僕に何をして欲しかったのかはわからないけれど、悪いけれど、僕に君をどうにかしてあげる事は出来ない。」


はっきりと自分の言葉を伝える。

本当はしっかりと近くで話すべきなのだろうけれど、動こうとしたら大きな尻尾に阻まれてしまった。

だからこのまま、獣の背から、僕は声を張った。


「だから......えっと、ごめん。」


結局何を伝えたかったのかわからなくなって、そう謝った。

鈴の怪はそんな僕をしばらく見ていた。

それからチリンと一つ大きく鈴が鳴ったと思ったら、僕の意識はぷつりと途切れた。


「......あ......れ?」


目を覚ますと、僕はショッピングモールのベンチに座っていた。


「夢だったのかな?わぷっ!」


呆けている僕の顔に、大きなふわふわした物が当たる。


「あ、雨音。」


視線を落とすと着替えを終えた雨音が、僕の膝の上に座っていた。

なんとなく、少しだけ不機嫌そうに見える。

居眠りをしていたから拗ねてしまったのだろうか?


「着替え、終わったんだね。」


そう話しかけると、雨音は僕の膝から降りて、くるりと回る。

それから僕の顔を真っ直ぐ見てきた。

たぶん、感想を求めて来ているのだと思う。

だから僕は


「うん、似合ってるよ。」


と率直な感想を伝える。

雨音はそれで満足したのだろうか?

一つ頷くと、もう一度膝の上に座ってくる。

機嫌は......たぶん、治ってくれたのだと思う。

相変わらず言葉を交わす事は出来ないけれど、それはなんとなくわかった。


「言葉か......」


さっきの鈴の怪異に、僕の言葉は通じていたのだろうか?


「そもそも、あれは現実で起きた事だったのかな?」


手元には、あの時拾った鈴は無くなっていて、当然周囲に落ちていたりもしない。

それでも、掴まれた腕の痛みとか、大きくてふわふわした感触とかは鮮明で......そう言えばあの助けてくれた獣、なんだったんだろう?

今思い返してみるとどことなく......


視線を雨音に向けてみる。

雨音はご機嫌んそうに身体を横に揺らしながら、賑やかな景色を眺めていた。


「まあ、いいか。」


これ以上考える事は辞める事にした。

せっかくの休日に、本当にあった事なのかどうかもわからない出来事なんかに時間を使うのはもったいない。

それに、雨音に悪い気がした。

だからもう、この事について考えるのは辞めだ。


「ご飯、食べて帰ろっか。」


頷く雨音の手を取って、人の波に加わった。

こうして、穏やかに休日は過ぎて行った。

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