第39話 気を取り直して《二階堂早百合》

 玄関の扉が開いた先に立っていた男の子は、一体何者なのか。疑問に思ったけれど何も言えずに、突っ立ったまま。そんな私を見てくる彼。


 こんなことなら、もっとちゃんとした格好をして来るべきだった。予想外だった。一緒に来た甲斐さんは、ちゃんとした格好をしているというのに。彼女に比べて私は酷い格好だっ。安物のジーパンと、薄手のTシャツだけだ。まるで近所のコンビニに行くようなラフな格好だった。


 男性と会う時の格好じゃない。ファッションに疎い女だと思われているだろうな。その通りなんだけど。


 今さら、髪の毛をちょっとイジったぐらいでは取り返せないぐらい、ひどい格好をしていることを今さらになって自覚する。とても後悔していた。取り返せない。


 いや、そうじゃない。私は今日、アシスタントの面接に来たんだ。格好は関係ないはず……。


「おはよう2人とも。けれど、先生の顔を見て驚くだなんて失礼でしょ」

「いや、だって、仲里さん!」


 部屋の奥から、挨拶する女性の声が聞こえてきた。男の子の後ろに咲織さんが待機していたことに、そのタイミングで気が付いた。それから、彼のことを先生と呼んでいることにも気付いていた。


 そうか。つまり彼が、これからアシスタントとして手伝うことになる新人の漫画家ということになるのか。いや、しかし……。


「事前の説明をしたとき、ちゃんと話したでしょう? 今回、新しくアシスタントをお願いする漫画家の先生は、男の人だって」

「あ、いや、でも、そんな。その話が本当だなんて思わなくて。男性の漫画家が居るなんて想像もしたことなかったから……」

「私も咲織の言っている事って、何かの冗談だと思っていました」


 男性の漫画家のアシスタントを頼みたいなんて、話を聞いただけじゃ誰も信じないような状況だ。実際に目の当たりにしても、まだ信じることが出来ないぐらい想像を絶する話である。


 横で呆然としていた甲斐さんも、私と同じように困惑しているようだった。彼女の言った通り、冗談としか思えない話だ。いや、冗談とも思えない女性にとって都合の良すぎる妄想のような話。でも、実際に目の前に男の子が居るし……。


「とりあえず、どうぞ。中に入って下さい」

「早く、部屋の中に入ってあげて」


 まだ事情を飲み込めないうちに、私たちは部屋の中へ招かれた。その瞬間から私は物凄くドキドキしていた。男の子の家に踏み込むなんて、初めての体験だったから。仲里さんに急かされる。私は慌てて玄関に入り、靴を脱いだ。


 廊下の先に通されると、そこには立派な作業場があった。高級そうなマンションの外観に見合っている、とても漫画が描きやすそうな作業場である。


 かつての自分の作業場を思い出して比べてみると、恥ずかしくなってしまうぐらい立派な部屋だ。


 漫画を描くための道具が乱雑に置かれていて、ミスしたページを捨てずに机の脇に置いていたり、資料を重ねた本の山、食べたまま片付けずに放置していたカップ麺、疲れを感じた時にすぐ休めるよう手の届く位置に毛布を備えていたり、その他にも色々な物を置いて散らかって汚かった私の作業部屋。


 それに比べると、その部屋は本当にキレイで整理整頓されている。こんなに部屋をキレイに使っているのは男の子だから、だろうか。




 このマンション、中も広くて何部屋も有るようで物凄く家賃が高そうである。新人の漫画家だと聞いていたけれど、お金は大丈夫なのだろうか、という疑問があった。よくよく考えてみると、答えはすぐに分かった。


 おそらく男性だから、色々と援助してくれる人が居るのだろうな。もしかしたら、咲織さんもお金を出して彼を支援しているうちの1人、という可能性もありそうだ。そうだとしたら、彼女にはガッカリだった。


 男の子が漫画を描いている、という現状について次第に理解し始めた私は、段々とイライラした感情が沸き起こってきた。


 男性なんかが、読者を魅了するような漫画を描けるのだろうか。読者を楽しませるストーリーを創ることが出来るのか。彼に、エロの真髄が分かるというのか。どれも無理だろうと思う。




 嫉妬もあった。


 今の自分が雑誌で連載を持てていないような状況だというのに、なんで彼のような存在が連載する枠を一つ奪い取ろうとしているのか。


 彼の実力がどの程度なのか分からないけれども、きっとコネや性別を利用して奪い取ったに違いない。咲織さんも毒牙にかかっているようだし。


 証拠は無いけれど、色々な妄想を繰り返す。そうしているうちに色々と考え、思い直した。私は、誰かのアシスタントをしている場合じゃないのではないか、と。


 もっと焦らないと。自分のために、作者のために漫画を描かないと。連載枠を手に入れるまで必死に努力しなければ。そんなことを考えているうちに、彼が自己紹介を始めた。


「改めて初めまして北島タケルです。近々、雑誌で連載の予定があるので、お二人にはアシスタントをお願いしたくて今日は来てもらいました」

「……」


 丁寧な挨拶をする彼の様子を眺めながら思った。その丁寧な挨拶は、ただ単に取り繕っているだけだろうな、と。


「は、初めまして、甲斐萌水と申します。咲織から話は聞いていると思うけれど、私は十年ほど色々な漫画家さんのもとでアシスタントの経験があって、技術には自信があります。どうぞ、よろしくお願いします」


 私の横では、甲斐さんが大人らしい振る舞いで挨拶をしていた。彼女の次に私も、ちゃんと挨拶をすれば良いことは分かっている。だけど、私の口は開かなかった。


 結果、黙って彼の顔を見つめるだけの時間が流れる。


「……」

「……」


 そんな私を黙ったままジーッと見つめ返してくる、北島と名乗った男の子。


「……」

(ウッ……)


 その視線に耐えられなくなって、私は顔を逸らして咲織さんの方を見た。そして、思わずこんな言葉を口にしていた。


「咲織さん、申し訳ないけれどアシスタントのお話は無かった事に」


 今回に仕事については断って、自分の作業場に帰ることにした。

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