第37話 気乗りしないアシスタントの仕事《二階堂早百合》
「二階堂さんに、アシスタントをお願いしたいのです」
「……」
咲織さんに喫茶店へ呼び出されて、いつもの様に新しい仕事を紹介してもらった。けれど今回の内容は、今までに無かった他の漫画家のアシスタント。
テーブルの上にコーヒーカップが2つ。向かい合って座っている咲織さんから話を聞いた私は、しかめっ面をしているのを自覚した。連載を持ったこともある漫画家の私が、他の漫画家のアシスタントをするだなんて。
今までは要望に沿ったイラストを何枚か描いたり、短期間で終わるぐらいの簡単な仕事を紹介してもらって報酬を貰い食いつないできた。けれどアシスタントは今までと違って、長期の仕事になるだろう。
だから私は、すぐにハイと答えることは出来なかった。
漫画を描く腕は磨けるかもしれない。だけど、自分の作業をする時間が無くなる。アシスタントとして働くのならば、自分の漫画を描く時間を削らなければならない。そうすると私は、新たな連載の仕事を受けるチャンスを失ってしまうかもしれない。
今まで色々とお世話になってきた咲織さんからお願いされたけれども、断りたいと思った。私は、漫画雑誌で自分の作品を掲載してもらうために、読者に描いた作品を読んでもらうために描き続けている。
自分の作品を創作するための時間は、絶対に確保しておきたい。
「詳しい事情について説明できないんだけれど、アシスタントをお願いするのは新人の漫画家なの。貴女に助けてほしい」
「はぁ、新人の……」
私が断ろうとするのを察したのか、咲織さんは何度も頭を下げてお願いしてくる。
お世話になっている人だから、やっぱり断るのを躊躇ってしまう。けれど、彼女の話を聞いているうちに引き受けようと思う気持ちも削がれていく。
詳しい事情を説明することが出来ない? 新人のアシスタント?
新人ということは、アシスタントとして入ったとして学んだり盗めるような技術は無いかもしれない。私と比べて漫画家としての才能や技術は上なのだろうか。それも聞けないのか。疑わしい話だった。
「で、もう一つ聞いてほしいんだけど……」
「はぁ……? 何です?」
「えっと、その、……うーん」
まだ何かあるらしい。あまり聞きたくないと思った。だが、話を聞いておかないと判断も出来ないか。私はそう考えて、問いかける。なのに、咲織さんは何故か語らず黙ってしまった。
もう一度、問いかける。
「だから、聞いてほしいことって何ですか?」
「いやぁ、その。新人というのが男の子なの」
「はぁ……?」
耳を疑う。ちゃんと咲織さんの言葉は聞き取れたけれども、よく分からなかった。どういう類の冗談なのだろうか、理解できない。
珍しく咲織さんが言い淀んだと思ったら、彼女の口から飛び出してきた話は冗談にしか思えないようなことだった。しかし、咲織さんの表情は真剣である。冗談という顔じゃなかった。ということは本当なのか。いやいや、男性の漫画家が居るだなんて聞いたこともない話。ありえないと思った。
もしかすると、男の子のように見える女性の漫画家ということなのかな。
咲織さんは、私の好みを知っている。そんな話をすれば、私がアシスタントの仕事を引き受けると思ったのかな。確かに、ちょっと興味はあるけれど。
「どうかな? 引き受けてくれる」
「いや、えっと、そうですね……」
言葉を濁す。引き受けるかどうか、よく考えてみる。目を閉じて腕組をしながら、しばらく色々と考えた。
引き受けるのは嫌だと思っていても、今回の件を断ってしまえば仕事がなくなる。生活するのが困難になっていく。お金が無いから食べるものに困る。仕事道具である紙やペンも、いつか買えなくなるかもしれない。
漫画を描くこと以外は他に、私に出来るような仕事も無いから。
貯金は、徐々にだけど確実に減っていた。残念ながら、次の連載枠が決まるという予定も決まっていない。ずっと暇である。これで咲織さんから紹介してもらう仕事が無ければ、漫画を描くこと以外にすることは何もない。
連載の予定もないような作品を、いつまでも描き続けるだけなのか……。
「うぅぅぅぅぅ……」
ものすごく悩んだ。
日頃から咲織さんには、とんでもなくお世話になっていた。どうやら今回の話は、彼女も困っているようだった。手助けしなければ、嫌われてしまうかもしれない。
仕事を断ったぐらいで嫌ってくるような人ではないことは分かっている。だけど、今回の咲織さんは、かなり必死そうだった。そんな必死のお願いを断ってしまえば、多少でも印象を悪くしてしまうかもしれない。それは嫌だった。
それなら、少しでも恩返しをするチャンスだと思う気持ちでアシスタントの仕事を引き受けるという選択肢しか無い。
気乗りしないが、アシスタントの仕事を引き受けることに決めた。
「……わかりました咲織さん、今回の仕事もよろしくおねがいします」
「ありがとう! 詳細については、追って連絡しますねッ!」
「はい。連絡、待ってます」
「それじゃあ、また!」
今回の仕事について引き受けると告げると、嬉しそうな表情を浮かべた咲織さん。そして本当に詳しい説明をせず彼女は早々に席から立ち上がると、私の注文した分を含めた会計を済ませて、喫茶店から出て行った。
編集の仕事で忙しい人だし、日々大変そうだった。それでも、わざわざ私に会いに来て、顔を合わせてお願いしてきてくれた。
「ふぅ」
1人になってから、冷めたコーヒーを飲む。かなり苦い。本当に、アシスタントの仕事を引き受けて良かったのだろうかと少し心配になった。お願いします、と言ってしまったことも少し後悔している。けれど、とりあえず咲織さんの手助けを出来るのならば引き受けてよかったと思うことにした。
それから私は、自宅にこもって漫画を描くばかりの日常生活を送りながら咲織さんからの連絡を待った。
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