第22話 ファーストミーティング
とても静かだった店内に、咲織の驚く声が響いた。もちろん、その声は店内に居た他の女性客全員からの注目を集めることになった。その場が、騒然となる。
「あの、声がデカイです。お店の中では静かにしないと」
「ご、ごめんなさいっ! で、でも。まさか、お、男の人だったなんて」
人差し指でシー、というジェスチャーをするタケル。声を小さくしながら咲織は、自己弁護した。
「そうですよね。男だって知らせておくべきでした」
「あ、そんな!? 私が驚いたのが悪くて、その、テンセイさんは悪くないです」
咲織の弁解に、それはそうだと頷きタケルは納得した。素直に納得されてしまうと、タケルの方に責任があると押し付けてしまったような気がして咲織は申し訳なく思った。それで、また言い訳してしまう。
「どうかされましたか?」
2人がそんな会話をしていると、咲織の大声を聞いて女性店員が飛ぶような勢いで駆け寄ってきた。店員は、声を上げた咲織ではなくタケルの方に事情を尋ねる。
「あ、大丈夫です」
「あの、いえ、えっと……!」
自分がお店の中で大声を出して、一大事にしてしまった。これはマズイと思って、何とか釈明するため割って入ろうとする咲織だったが、なんて説明するべきなのかが分からなくて結局、口ごもってしまう。
上手く説明できないでいる咲織に代わって、最初に女性店員に尋ねられたタケルが話をした。
「ちょっとビックリしちゃって。店内で大声を出してしまって、すみませんでした。アイスコーヒーを1つ、お願いします」
「は、はぁ……。かしこまりました。アイスコーヒーを1つ、すぐにお持ちします。ごゆっくり」
「どうも」
なんでもないと説明されて、騒いでしまったことに関してしっかりと謝られると、女性店員は何も言えずに引き下がる。大声を出した咲織に不審そうな視線を向けつつタケルの言葉にとりあえずは納得して、注文を受ける。
注文されたコーヒーを、待たせないうちに早く彼のもとに持って来ようと用意するために、女性店員は素早い動きで店の奥へと引っ込んでいった。
可憐な王子様という見た目からはギャップのある、頼りになるスマートな振る舞いだった。咲織は状況も忘れて、思わず胸を高鳴らせていた。また何も言葉を発せず、タケルの顔を凝視したまま立ち尽くしている。
「とりあえず、座りましょう」
「はっ、ハイ」
お店にやって来たばかりの男の子と、驚きで声を上げて椅子から立ち上がっていた咲織。タケルの言葉に従って、咲織は向かい合うように座る席についた。
椅子に座ってみたものの咲織は、萎縮して一息つくなんて余裕も無くなった。同じテーブルに座っている男の子を目の前にしている現状に、彼女の頭は更に真っ白に。そんな咲織の様子を見て、タケルの方から率先して会話を始める。
「初めまして、テンセイって名前で活動しています。本名は北島タケルです」
「た、たけるくん」
「はい。よろしくおねがいします」
「あ、私は、えっと
「よろしくおねがいします。仲里さん」
「あっ。はい……」
聞こえるか聞こえないかぐらいの音量で、咲織がタケルの名を呼んだ。シッカリと返事して反応してくれる。しかも、自己紹介すると名前まで呼んでもらえた。
その何気ない彼の振る舞いが、咲織にとって非常に好ましい印象を持たせていた。つまり、彼のことを一気に好きになってしまった。
「コーヒーです。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
女性店員がコーヒーをテーブルに運んでくると、徐々に落ち着きを取り戻してきた咲織。だが、まだまだ全然慣れはしない。
「じゃあまず、仲里さんには僕のことについて色々と知ってもらいます」
「は、はい」
タケルはコーヒーを一口だけ飲んでから、会話を始めた。気を遣って、まず初めに自分の事情について詳しく話をする。咲織の様子を見て緊張していることが分かったから、積極的にタケルが話をした。漫画編集者との関係を築くために、アピールするという目的もありながら。
自分は今、漫画新人賞に何度か作品を応募して、漫画家デビューを目指しているということ。
応募したコンテストで不合格が続いていたので、技術を磨くために同人誌を描いたこと。
それが意図せず、ネットを騒がせるような大きな騒動になってしまったとタケルは語った。
「そ、そうだったのね」
「はい。そうなんです」
こんな可愛い男の子にあんな絵が描けるとは到底思えず、にわかには信じがたいと咲織は思っていた。そもそも、男性が漫画を描くなんて業界では珍しいことだった。それがエロ漫画を描いているだなんて、聞いたこともない。そんな男性が、この世に存在しているのだろうか。
「でも、本当に……?」
貴方が描いたのか、という失礼な言葉が漏れそうになって慌てて止める。流石に、そんな事を本人に聞いてしまうと失礼すぎると思ったから。
「あ、いや。その違くて……」
言葉を口に出す以前に、疑うような視線を向けている事が彼の気分を害する可能性もあるんだという事に咲織は思い至った。慌てて謝ろうとした彼女に先んじて、口を開いたタケル。
「じゃあ、コレでどうでしょうか?」
タケルは、咲織の態度に気を悪くした様子も無かった。それどころか彼女に自分の実力を知ってもらい、描いた本人であることを信じてもらうための行動に出る。
バッグの中に入れて持ってきていたペンとスケッチブックを、テーブルの上に取り出す。疑っている咲織に信じてもらおうと、彼女の目の前でイラストをサラサラッと描いて見せたのだった。
漫画編集者として数々の仕事をこなし、様々な漫画家たちの実力を目にしてきた。そんな咲織の目から見ても熟練したペンの使い方、短時間かつ下書き無しでバランスの崩れていないイラストを数分で完成させてみせたタケル。
「こんな感じで、どうでしょう」
それを見せつけられて、信じないわけにはいかない。彼の実力が存分に出ていて、日頃から絵を描いているという事がよく理解できた。
「ちょっと見せてもらえますか」
「はい、どうぞ」
「すごい……。今までに、絵をたくさん描いてきたのね。その実力があれば、プロとしても通用するわ」
「ありがとうございます」
スケッチブックを受け取ってイラストをチェックする瞬間、咲織は緊張も無くなりプロの編集者としての目線で評価をしていた。
男女は関係なく、尊敬するべき技術の持ち主だと判明した。疑いの視線から尊敬の眼差しに変わった、咲織のストレートな感想。絵を褒められた事でタケルは喜んだ。笑顔を浮かべている。
実はタケルも、初めて会う大手出版社の漫画編集者である咲織に対して、緊張していた。無意識のうちに表情が硬くなっていたのだが、絵を褒められてようやく緊張が和らいでいた。
そんなタケルの表情の変化を目にして、年相応に可愛らしい笑顔を浮かべるのだと分かると、咲織も同じく気持ちが落ち着いていった。
可愛い男の子の浮かべる笑顔は見るだけで癒やしの効果があるなぁ、というような感想を抱く。
それにしても、まさかエロ漫画の編集者の仕事をやっていて男の人と知り合う事になるなんて、咲織は考えもしなかった。一生、男性と縁のない仕事だと思っていた。
タケルは、漫画家志望だという。漫画編集者をしている自分ならば彼の夢のために手伝える事も沢山あるだろう。これは、ぜひとも全力を尽くして彼の力になりたいと考える咲織だった。あわよくば、プライベートでも仲良くなりたいと思った。
そんな邪な考えを表には出さないようにと必死で抑えながら、ようやく落ち着いた咲織は、タケルと仕事に関する会話を始めた。
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