第10話 波紋は徐々に大きく《編集部》
北島タケルは”テンセイ”というサークル名で同人活動を開始した。その名の由来はもちろん、転生した自分の境遇を密かに表した名前である。
もう一つの理由があって、自分には絵を描く天性があるという事を密かにアピールしている名前だった。普段は謙虚に振る舞うことを心がけていたタケルだけど、実はそんな自信家な一面もあった。絵を描くことに関してだけ、他の人に比べて少しだけ自信がある。そういう気持ちを、こっそり訴えかける名前だった。
最後の仕上げまで気を抜かずに、ほんの一手間を加える。画竜点睛という故事からタケルが学んだこと。それを常に意識して忘れないようにする為にも、点睛の部分をカタカナにして名前に使った、という理由もある。
とにかく、テンセイという名は様々な意味を持たせて名付けたサークル名だった。
タケルが同人活動する目的というのは、自分の作品を売ってお金を稼ぐこととや、知名度を上げる為では無い。描いた漫画を、他の誰かに読んでもらい褒めてもらう、という欲求を満たすためだった。
同人誌を描く目的は、新人賞に作品を応募して受賞できるような漫画を描けるよう実践を積んで、技術を磨いていくこと。
タケルにとって同人活動は意外と優先度が低かった。だから、彼が初めて制作した同人作品の委託販売を申し込んだ時、ショップ側から大量の本を追加で印刷しないかという提案されたにもかかわらず、当初の予定通りに少数だけで申し込んだ。
それで困ったのが、同人ショップ側の人間だった。
***
「断られた?」
「あ、いえ。こちらから提案をした千冊分の追加に関して断られただけです。当初の五十冊だけお願いします、という返答でした」
交渉のメールを受け取った担当者は、表情を曇らせて上司に結果を報告していた。彼女の表情が暗いのは、意図していた成果を得られなかったから。
「うーん……。特別待遇でも駄目だったのね?」
「はい。こちらが追加してお願いする分は前払いで支払いますと、ちゃんとメールに記載して説明したつもりなのですが……」
「それでも駄目だった」
「そうです。電話番号や住所等の情報が無かったので、直接連絡を取る手段がメールしかありませんでした。メールのやり取りだけだと、向こうの感情を読み取ることが困難なので、早めに交渉をまとめました。申し訳ありません」
無理を言って委託をキャンセルされても困る。なので、深追いせず交渉をまとめた担当者を上司は責めなかった。その判断で仕方が無かったと、納得していた。だが、やっぱり納品される冊数の少なさに不安が残る。
その作品は絶対に売れるだろうと確信していた。だからこそ、売れ行きが良すぎて次の入荷まで問い合わせが殺到する、という問題が起きそうな予感もあった。商品としての魅力が高いから、商品入荷と販売のバランスを整えるのが大変そうだった。
「そうね。無理に交渉を続けて決裂したら、目も当てられないものね。とりあえず、五十冊は請け負ったと。その仕事は、キッチリとやり遂げなさい」
「はい、必ず」
上司に戒められた担当者。交渉を上手く進められなかった。今度は失敗しないよう気合を入れて、次の契約に繋げられるよう完璧な仕事を目指して動き出した。
担当者に指示を出した後。上司は自分のデスクに座って、顎に手を当てながら考え込んでいた。悩みは、先程の五十冊だけ売りたいと申し込みがあった作品について。
「でも、この作者の目的は何なのかしら。稼ぎたいのなら前金を受け取るだろうし、有名になりたいのなら、自分の作品をたくさん印刷して世に出したいと思うわよね。こちらの提案を断って五十冊だけに限定して売りたいってのは、どういう目的?」
必死に考えるが答えは出てこなかった。そして、上司の呟く疑問に答えられる者も居ない。
***
テンセイの初作品は、同人ショップのサイトからアクセスできる商品ページの隅にひっそりと掲載された。サイトでは特に宣伝もせず、サンプルの画像だけを載せた。売上の状況を見極めて、それから販売計画を立てるために。
ひっそりと商品ページを公開したはずなのに、公開してすぐに十冊も売れるという事態になっていた。
というのも実は、ネットショップの関係者が事前にテンセイ初作品に関する情報をキャッチしていて、商品ページが公開されてから数秒で、すぐに何人か購入ボタンを押していたから。
関係者がお客様よりも先に商品を買うなんて、モラルに反する行為だと知りつつ、それでも買いたいと熱望していたスタッフ何名かが密かに黙って、お客として作品を購入していたのだった。
交渉を担当した者や、上司の女性も。関係者たちは誰にも言わずに、テンセイ作の同人誌を自分用に購入して手に入れた。
それはともかくとして、その後に売り出された残り数十冊も比較的すぐ売り切れになっていた。初めて売り出す作者の商品で、しかも宣伝なんて無かった中で一週間も経たない内に全て売り切れてしまった。テンセイ初作品である同人誌は印刷されて、すぐに購入者の手元に送付されていった。
テンセイ作の同人誌が売り出されてから、しばらく経ったある日のこと。数少ない同人誌を入手した一人が、同人誌の中盤にあるページをスキャンした画像をネットの掲示板に貼り付けた。
今まで世に知られていなかった作品が、この事態をキッカケにして大きく知られることになった。
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