二、青年のドリッパーと魅惑のひととき
東三国のその研究所にもう一度、訪れた。
今度は、ぼんやりしにきた。所長でなく前に原稿を持ってきた時に、出会った
看板娘の女性がいた。そこでガトーショコラと珈琲をいただいた。美味しかった。
ガトーチョコラの甘みはほんのりとチョコレートが強すぎない、生地と相性がよく。ほろっとやすらぐ甘さに、すべてが癒やされる。食べることは、人を良くする。自炊が好きな教師の一人が料理漫画を読んでこの言葉が大好きなんだと教えてくれた。その言葉をふと、思い出す。食べることは、悪いことじゃない。生きていくことで必要なことであり、楽しんで食べて良いことを思い出す…。
学生時代に、食べることに、抵抗を感じたことがあった…。
私なんかが食べて良いのかしら、私が食べることで、食べたかった他の誰かの邪魔をしていないだろうか?そう思って、あまり欲しがらない幼少期を過ごした。親戚たちが我先に集う部屋に恐怖を覚えていたのだ。彼らの邪魔をしてはいけない。祖母は兄ばかりを溺愛した。母は…そんな私を理解してくれているから、
「なっちゃんが、食べたいものをたくさん食べたら良いんだよ。」と、
私に声をかけてくれた。あまり大食いではないが、そのおかげで人並みには、
食事をしたり、お菓子を食べたりすることが出来た。(時々、しんどいが…。)
『食べることが幸せ。』それは、人間の衣食住のなかにもあるほど、人間的で、
ごくごく普通の喜びなのである。それを当たり前に言える、笑い合える。
そんな平凡は、嬉しいものだなと、感じた。
その時分、私はすこぶる荒れていた。自分は、何なのだ?と、さえ思った。
身体が、バラバラと砕けそうになった。このままじゃ壊れてしまうと思った。
その叫び声を聞いて欲しくない。その嘆きを書いてはいけない。
お前は、それほど…過ちを平気で犯してきたのだから、それは自分の罪だろう?
説明のできない、罪悪感や悔恨が油断すると脳裏に思い出す。あの時に…。
そのあの時は、どうあがいても、どのシーンでももう変えられないのだから、
今を変えるしかない。自分が、変わるしかきっと進む路はない。そして、その路は、戻ることができない一方通行の路なんだと思う。帰り路は、ない。
休憩したいなと思った、家族からも、仕事からも離れて、なにもかもから、
すこしだけ、ほんのすこしの時間が、欲しかった。
その時間で、何もしないことをしたかったのです。
その話題で、何日後のアニメやらウイルスのあれこれで、まるで地獄絵図。
いじめてはいけないと言いながら、何故…平気な顔をして殴るんだろう。
脆いものには優しく扱うこと、習ってきた人間が、平気な顔をしてトンカチを
振り挙げ、そして、振り落とすのだろうか…?
トカトントンという作品を読んだことが、ある。
気取った悩みだね…なんて、言われた気持になる作品。最初は理解できなかった。
理解すると、耳鳴りがした、怖い、潰されるのが怖い、怖い、辛い。見たくない。
音が追いかけて来る、どこまで逃げても、ただ私を見つけて脅すためだけに、
『トカトントン』という軽快なトンカチの音を奏で、それで、叩き潰すんだ…。
豆腐よりも丈夫には出来ていない精神が、情報の波に溺れそうになる。
綿雪よりも柔らかくない、痛いミゾレの雪が降り注ぐのに似ている気がした。
綿のなかに、毒針を仕込まれた気持になった。…なにを信じれば良いんだろう?
見上げると目の前には、今がひろがっていた。さて、さて…と切り替えよう。
今は、珈琲の温かさに心地よい時間をケーキとともに呑込み、落ち着いて考える。
そういえば、今日は…と、声がする。なにか調べている看板娘さん…。
日付を確認し、『スーパーに、今なら彼がいるわ!』と、話していた。その彼は、ドリッパー技術が上手く、愛でるように、愛しむように珈琲を淹れるらしい…。
芸術や美しいと言う言葉を聞くと気になる性質なので、私もSPという場所に歩いて行く。街の日常、スーパーの喧噪から外れたカウンターにその青年は、
眼鏡をかけて、珈琲のドリップをしていた。
私は、調律師であり、夢を抱く青年と出会った。たしかに真剣に向き合う姿。
珈琲を抱くように淹れる姿は、美を感じ、慈しみもこもった姿勢を感じた…。
それでも、眼鏡は、やはり苦手だ…。なんだか、わからないけど、表情が読みづらくなる。でも、自身も書けないとあんまり実は、文字が読めないのである。
それでも、顔になにかつけるのは、あまり好まない。
眼鏡のないぼやけた世界が好きであった。真剣に、見つめない。
だいたいでいいや。そんないい加減を完璧主義者は、ユルサナイ。(自身の信念を折らなければ、時として、力を抜いても良い気はするのになあ。ダメなのかな、自分なりに努力すれば、報われる気がするのに…)と、(いつも全力では、疲れるのになあ。)と、思うのです。それは、私がいままで、真面目に取り組むわりには、根性が、正真正銘のぐーたらな性格だからかも知れないのですが…。
美しいと思うもには、言葉がでない。言葉に出来ないことに…悔しさを感じる。
音楽家は美を音や雰囲気で表現するから、ただただ…すごいな。と、圧倒される。
それは、画家や役者にも言える、すごい。強い夢を抱くひとに出会うとそう感じてしまう。美の最終地点で、笑われた気分になった…。それでも、嫌な気持ちは、まったくしなかったのです。いいものを見たなという気はしました。
彼のドリップ姿は、老若男女の心を魅了するなにかがある。
その彼の姿、彼の写真集を…という意見まででるほどの美的なのである。
プラトンの書のなにかで、自身に欠けている美への欲求と考えるという、なにかの本を読んだ気がした。そこには、色欲のあれやこれではない。美への追求が、あるのだと思った。
美への追求があるからこそ、人間の本能は自分にない、欠けている者を探し求める。探し、見つけたときに…それが美しく見えるのは、自分にないものが、その見つけたものに対して存在するから花のように、蝶のように華やかに映る。
自分にはない世界観の美が、旋律のように空間を支配している。そのコンサートホールを想像させるスポットライトのもとで、奏者は演奏する如く、その十の指で芸を施し、美へと導き、そして、一杯の珈琲を完成させる…。芸術的である。
ただ、美しい姿に人々は魅了されるのだ。彼がこの町の全てを魅了するのも
時間の問題だろうとさえ感じたとアフロディーテという神話の神を想像させる、皆、身体が特異的に大きいことや小さいことにフォーカスしがちだが、ただただ、
そんな肉体的な特質もある意味では、欠けているものへの美を追究する行為に相違ない気はするが…その追求でなく心の美の追究に魅了された。男女の間の営みに、発生する、色や慾ではない、それは、情欲というものである。あまり私は、好まないものである。書けているものを満たそうとする孤独が引き寄せ合う。
それが、その存在のすべてを美しく、愛おしく、魅了するそれは…究極の追求。
究極の美の旋律、タッチ、描写にこそ、愛が宿る。それが、美への追究になる。
綺麗な世界観を絵に描いてみたいな、この美を…しかし、まいったなぁ。
頬杖をついて、その魅力的な甘美と耽美の世界観を纏わせる場所で無力を感じた。この場所のこの空気感を紹介できないことが、なんとなく惜しい気がした。
絵筆を昔に、折った。そして…音楽は、それより、もっと昔に諦めた…。
楽しむことが出来なくなって辞めてしまった。甘えかも知れないけれど…、
したいことが、できないということに捕らわれるよりも、少しだけ、前に進めば、
何かを変えられる。そんな気がしたので、いろんな事に挑戦した。失敗して、
失敗して、ほとんど、失敗した…。
マンガのようなキセキは、意外と難しいらしい。それでも、路は枝分かれしていて、あたたかな陽のあたる方向へ進めるように、前を向けるようにゆっくりと、根を広げ、広げてゆき…、枝を伸ばし、伸ばし…。
そうして、今、文字を書くことを単純に、楽しんで書いている。
文字を書いているこの路から、他はない気がした。
自然と流れにのって、なんとなく、なにかできないかなと考えたりしている。喫茶店の外は、誰かの日常を店内のむこうで流れる時間をほんの少し考えると、たくさんの考えや情報が、めまぐるしく動き、変動してゆく、変わらないものは、なにひとつとしてないような気がした。
きっと、私も、その誰かも、これを読んでいる時間のなかや、何気ない日々や、
生活のなかで、少しずつ、少しずつ、移り変わってゆくのだと思ったのです。
私が、最終的にやってみたいことは、文字を書くことと、読むことでした。
ひとによって、この人生でやってみたいことは、個々あり違うものです。
きっと歩み方も、歩幅も、足音もすべて、異なります。
それはそれぞれの個性であり、大切な感性や感情であり、思考や理論。
違うからこそ、それぞれに、素敵なところがあるのだと思うのです。
私は、究極の美を文字として残してみたい気がします。
素敵な場所、人を…そして、この景色、時間、ひとときの休息を…。
タイトルに悩んだら、『SPにしたら?』と、提案してくれたので…。
とても素晴らしいなと思ったこともあり、そのまま作品に反映させることにしました。こうして、知らないひとと、ひととでも…波長が巡り合い、会うことが出来る。その交流が調和し、旋律が、ハーモニーになり空間を鳴り止まない音楽と美と珈琲の余韻のの世界を魅せてくれて、儚く終わるのであった。
始まりがあれば、終わりも…いつかはやってくる。それは、いつかは分からない。それでも、終わりがあれば、同時に、始まりもある。
人生のそれらが、マッチの先の炎を見つめるものに似ている気がした。そんな、気がするのです。ふっと揺らぐ炎にも輝きの時間には、限りがあるのです。
だからこそ、その炎を移し、移し、回想したりするものかしら?と、考えたことがあるのです。その回想に意味は、あるか分からないけれど、少なくとも、
自分を見つめることは、出来るし、その先の暗闇を照らすことも出来る。
ランタンや、松明に火を灯す、先には…まだ、路が続いている気がする…。
この路をまっすぐに進もう、とりあえず、どこかに、辿り着くかもしれない。
自分にない。ならば、…探せば良い。その足をつかって歩けば良い。
見つからないこともあるけれど、しなかった後悔よりもずっと良い気がする。
それでも、私は逃げることが、癖にいつの間にかなっていた。
たぶん、これからも、変わろうとは思うものの変わりづらいものだと思う。
疲れたら、休もう。それから、また人生の路を再び歩き出す。後ろなんか振り返る必要なんかない時もある。そこに出来ているのは、己の足跡のだけだのだから…。
きっと、それを知っている、みんな。それでも、微笑む過去に未練が、
ある限りは、すっぱりと過去を忘れることなんかできない。きっと、無理に忘れる必要のないものでもある。そういう気が、するのです。曖昧な癖は、闘争から、逃げる癖でもあります。僕は、争い、ケンカ、殺意の感情に酷く…苦手意識が、
あるのです。それは、臆病な気弱のせいないのです。
路がないなら、歩いて創れば良い。この先に何があるかは、未定。
ふとその旋律から、すっかりと覚めて。ふとその青年をみた。
安心して…笑ってしまった。夢を追う人々に、囲まれていることに気づいて…。
惚れはれではなく、安心してしまったから、…笑いが止まらなかった。
どうやら、まだ、孤独への理解は遠いようです。夢を追うお客様やドリッパーの一杯の珈琲を…相手のために淹れるという思いやりの心遣いが、なによりも嬉しいものであり、そんな人たちに出会えたことが、自分にとっては、なによりも、励みになるのです。
究極の美を、相手の求める旋律を追い求める職人を見て…安心したのです。
雰囲気やその人が経験してきたなにかがその人間に染みついている……。
何故かしら、紹介してくれたその女性の力説も相まって、強烈に印象が残る。
音楽家、芸術家、なんだかそういう人たちから…私は、美を見い出す事が多い。
指先が器具を絡め、視線は珈琲にのみにむけられる。
珈琲ができあがると、自然にカウンター席に置かれる。全てが芸術的だった。
人間の美を追究するならば、彼を見れば分かる。美とは、愛である。
ただ、色香だけではない。そこに、魅力があるからこそ人は惹かれる。
アイドルのようなものかなという浅い言葉に、看板娘の彼女がこう説明した。
『愛をドルで売るわけじゃないから……。』 と、自然と話して聞かせてくれた。
納得した。たしかに、愛は金銭的なやとりで得るものではない。心のやりとりや、
時間のやりとりで育まれるものである。
思想や視点が変わるだけで、世界観が…ガラリと、変わるような気がした。
年齢や性別は、関係ない。人種もそうかもしれない…。
僕ら、私たちは…男や女、それらの要素の前に人間だ…人間という生物だ。
なにかを探し求め、必死にその日、その日を追いかける理性と野生に惑う。
どうしようもなく、個性や感性が似たり異なり合う、人間という生物なのだ。
人間という生物は、他の生物と異なる点はそれぞれにあるでしょう。
簡単に言えば、慾望を理性で制御することができることや、思考を理論的に、
まとめたり、感情や感性を多種多様に持ち、許すことも出来れば。
憎むことも出来る。それが、人間なのかしらという、持論があります。
この持論は不完全、そして、時代や環境や思想が変わればなんの価値もなく、
間違えた考えになるかも知れないけれど、そのあたりは、ゆるくBGMに、
流してしまっても良いことなのです。 Que sera sera (なるようになる。)
違うからこそ、それぞれが、異なるからこそ…
なにが、どう違うのか。なにをすれば、理解し合えるか…。
境遇や、環境の差異や運や家庭環境もあるかも知れない。
同じなわけない、あなたより私のほうが苦しいんだ、辛いんだ、地獄なんだ。
そう叫ぶ声が、幾層にも重なり耳なになって、私は、動けなくなることがある。
言葉が、無力に、なることが……ある。
それは、暴力。
たすけて下さいという叫び声が、力で捻れ、沈黙になる。
力で、暴力で、ねじられた世界。無音の春が、……ここにある。
この先、どうなるのか、自身にも、分からない。
夏は、訪れるのかしら?
秋は…、冬は…?
一体、…この先これからは、どうなるのかしら?それが、現実。
へえ、こんな奴がこの喫茶店で、こんなことを思ったのかという作品です。
下手くそなのは、ご愛敬で笑って下さい。
笑うというのは、福を招く。万病予防になりますから。
いま笑えなくても、いつか笑える日が訪れる。いつか、花は咲きます。
僕は、それを信じています。なので、信じてみませんか?
東三国の駅を降り、花屋の角の路を進んで行く。
すると、心地よい珈琲の香りがあちらこちらから漂う。
すこし、休憩する。それから、各々の路へと歩いて行く。
これを読んで下さった方の路の先が、幸あるものでありますように…。
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