いいニュースあります!

遊行 晶

いいニュースあります!

 十和田周平がコロタ先生の事を知ったのは数日前だ。紹介してもらいたいと思い、馴染みの居酒屋「鳥浜」の見知った客仲間に自分の名刺を渡し、頼んでおいた。


 十和田は2年前、つまり2020年からコミュニティFM局で働いている。その前は大学新卒で入った都心の中堅広告会社で約10年間働き、転職した。

 午後の情報バラエティ番組の中のコーナー、「いいニュースあります!」のために、町や世間の「いいニュース」を収集し編集するのが十和田の仕事だ。番組内でパーソナリティが、十和田が拾った「いいニュース」を紹介し、話を展開してくれる。

 十和田にはそれまで、マスメディアの報道に関して一つの思いがあった。ひと言で言えば、胸が詰まるニュースが多い。マスメディアには社会の雰囲気を作る力がある。だったら自分は、「いいニュース」を人々に届けたい、と思ったのだ。


 十和田は転職を機に、帰途に見付けた居酒屋「鳥浜」を利用し始めた。独身なので、ここで夕食をとる事もある。ある初夏の宵、仕事終わりに立ち寄った鳥浜で、既に赤ら顔の常連客数人がカウンター席で話していた内容が十和田の興味を引いた。

「コロタ先生が言うにはよ、長ーい宇宙の時間の中で2020年の夏ちゅうのは、人類の歴史どころか、宇宙の歴史の転換点だったんだと」

「そりゃ、どういうこと? もう2年も過ぎてるじゃん。何か変わったっけ」

 十和田は「面白そうな話ですね。コロタ先生ってのは、誰ですか」と口を挟んだ。そして是非その話を詳しく聞きたいと、たまに一人で来店するというコロタ先生の紹介を頼んだのだ。「いいニュースあります!」で紹介できる話かどうかはまだ分からないが、内容によっては使えるかもしれない。


 それから半月ほどたった夕刻、十和田の携帯電話が鳴った。

「今、鳥浜にコロタ先生、来てるよ」

 十和田は礼を言い、すぐに向かう旨を伝えた。

 到着すると、常連客が十和田を認め、照れ臭そうに恐縮するコロタ先生を紹介してくれた。70歳前後だろうか。無造作な髪型に口ひげ。どことなくアインシュタイン博士を思わせる風貌だ。座敷に落ち着くと互いに自己紹介し、十和田はコロタ先生の本名が『頃田軽男』だと知った。

 それから食事をしつつコロタ先生が話してくれた事は、十和田の好奇心を刺激した。


 英国の物理学者、ポール・ディラックは1930年代、「大数仮説」を唱えた。曰く、全宇宙に普遍の物理定数を探求する過程で、様々な事象について偶然とは考えられない頻度で「1対10の40乗」という値が現れる事を発見したという。陽子・電子間の重力と電磁気力の比。宇宙に存在する陽子と中性子の数の比。そして、「陽子の半径を光が通過するのに要する時間」を1とすると、その10の40乗倍は現在の宇宙の年齢である138億年になる。すると、我々が今生きているこの時代には、宇宙の歴史上重大な意味があるのではないか、という。

 この説に私は惹かれ、何がその「宇宙史的出来事」なのかずっと考え続けてきた。先の世界大戦がそれなのか、1969年の人類の月面到達だったのか。

 大数仮説の真偽は検証しようがないので、その後の学者の間でも議論が深められていないようだが、私は信じている。そして、宇宙での出来事には本来良いも悪いもないのだろうが、私はそれが我々人間にとっていい事である気がしている。

 あるいは私は、1990年代から顕著になった地球規模の環境危機がそれかもしれないとも考えた。その危機に立ち向かうために人類が連帯し、新しい文明のあり方を創造するなら、それこそがまさに宇宙史的な出来事なのではないか。

 だが残念ながら環境問題では、いや、環境問題だけでなくあらゆる分野で、価値観の相違による社会の分断が起き、相手を攻撃する「不寛容な社会」化はますます進んでいるように見える。では、「いい事」であり、かつ「宇宙史的」な出来事とは何なのか。


 コロタ先生の口調は落ち着きを保ったままだが、眼差しは熱を帯びてくる。


 十和田さん、私は、我々人間は地球という宇宙に浮かぶ星の表面に生きているのだから、我々の運命も宇宙の運行法則の影響を免れないはずだと思う。だから宇宙の法則に素直に従って生きれば、万事うまく行くと思うのだ。では、具体的に人間がどう生きるのが宇宙の法則に沿う事なのか。私にもまだよく分からないが、運や縁に逆らわない事であるような気がしている。そう考えると、既に前世紀から「運や縁に従い、宇宙の秩序に沿うべし」という事に気付いている人々―「覚醒者」が世界中にいて、そのメッセージをストーリーに託した小説や映画等の形で多数発信している事にも気付いたのだ。


「それで、2020年の夏なのです」とコロタ先生が話の核心に近づいた事を告げた。


 私は、ある概念の認知者の数が閾値を超えると急速に普及し一般化する事は実際にあると思う。「宇宙の秩序に沿うべし」という概念は、2020年にはコップに水が満たされるようにその閾値に近づき、まさに今溢れんとしていたのだ。

「2020年の初め、この世界で何がありましたか」という問いに、十和田は答える。

「新型ウィルスですか」

 そうです、とコロタ先生は続ける。世界中が混乱し、批判や糾弾や責任のなすりつけ合いもあった。だが、春になり、初夏が来て、世界の空気が変わっていった。覚醒者たちの多くが、人類とこの難事との遭遇を「縁」と捉え、その克服はまさに宇宙の法則に沿うことであると捉えた。宇宙は秩序と調和で成り立っている。引力と斥力のバランス、規則正しい周回軌道。だから不寛容や対立は、これとは正反対のものだと。そして、覚醒者たちが様々にメッセージを発し始めた。今般の危機は難儀だが、それを世界全体で乗り越えることは、危機以前よりも強力に人類を再連帯させる好機であると。

 それに共感し、呼応する人々が増え、やがて優しさと寛容の連鎖が世界を覆った。各国も「正解」が無い中で何とかそれぞれに最悪期を脱したことで、互いのやり方を認め合う多様性が危機前より拡大した。10の40乗があらわす「宇宙史的な出来事」とは、覚醒者の数がある閾値を超えると同時に、この新型ウィルス危機を契機として人類が再連帯することだったのだ。それがあの2020年の夏だった。


 二人とも、しばらく黙っていた。十和田は、ようやくコロタ先生の話が一区切りついている事に気付いた。


 それから数日、十和田はずっと「コロタ説」について考え続けている。それを荒唐無稽とは思わない。本当なら自分としても心から嬉しいと思う。2020年の夏を挟んで世界が少し優しくなったと言われれば、確かにそうだと肯定もできる。だが一方で、「宇宙史的な出来事」の前後として考えるならば、この程度の変化で良いのだろうか?

 一部で露呈した自分中心、自国中心の行動は、事態が鎮静化したとて、すぐに世界から消えて無くなったわけではない。ネット空間やマスメディアでは以前と変わらぬ誹謗中傷、罵詈雑言も未だ見られる。

 十和田は「コロタ説」を、自身にとっても興味深いだけに、もう少し熟成してみる事にした。


 十和田がコロタ先生の訃報を聞いたのは、さらに2カ月が経ち、梅雨が明け、2022年の夏も盛りを迎えた頃だ。

 ある夜、鳥浜の暖簾をくぐった十和田を認めるなり、常連客の一人が言った。

「コロタ先生、亡くなっちゃったよ」

「えっ」と言ったきり十和田はしばらく絶句した。

 聞けば、鳥浜の店員や常連客達も知らなかったが、コロタ先生はしばらく前から癌を患っていたらしい。常連客の一人の知己にコロタ先生の元同僚がおり、たまたま街で会った際、知らされたという。


 その常連客が仕入れた、鳥浜に集う面々も知らなかった新情報によれば。

 コロタ先生は高校卒業後、家業だった住宅設備の下請け工務店で働いていたが、やがて経営者である父親が亡くなり、20台半ばで経営を継いだという。結婚したが子供はおらず、その奥さんも10年と少し前に癌で亡くなった。気落ちもあったのか、工務店の業績もあまり振るわなくなり、程なくして畳んだのだそうだ。それでも、廃業から間もなくして東日本大震災があり、コロタ先生は自らを奮い立たせ、住宅設備の知見を活かして福島でボランティアとして活動したという。


 鳥浜を出て一人家路を歩きつつ、十和田は考える。

 コロタ先生の人生は、客観的にはあまりツイていなかった。皆の評判も十和田の印象も優しく穏やかな人物だけに、経営者の立場は荷が重かったかもしれない。勿論、数行で語れる人生年表などその人のほんの一面でしかないし、十和田も一度会っただけだ。本人の主観はうかがい知れない。でも…。「コロタ説」はそのまま、コロタ先生の希望だったのではないか。そういう世の中がやってくることを信じたい一心で、出会った知識と考察を組み合わせ、自説を発展させたのではないか。そして、自身の不遇への、逆転の願いも込めたのかもしれない。

 2020年は十和田にとっても、自分の足元からささやかな「いいニュース」を伝え始めた、人生の転機だった。自分の新しい使命として街角で拾い集めた、様々な2020年の夏の「人々の良心」の場面が十和田の脳内に蘇る。そして、それに触れたリスナーの温かい反応も。

 十和田が歩きながらふと目を上げると、夜空にいくつか星が見え、唐突に悟る。

 そうだ、これはコロタ先生がメディアに関わる自分に託す事で社会に散布しようとしたワクチンなのだ。「コロタ説」が本当でも本当でなくても、この考えが広がる事で人々が「世界はいい方に転換したのだ」と意識し、そういう人々の割合がさらに増える事でそれが現実になっていく。まるで「他者への不寛容」という、人の心に侵入するウィルスが宿主を失い、人々が免疫を得、同じ脅威にもう二度と屈しないように…。

 十和田はもう、その「説」を提唱者不詳として紹介する事に決めていた。

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