7日目のその後

顔を上げれば、辺りを覆いつくす邪気が見えないせいか、あまりの明るさに目を焼いてしまう。


「は、は」


あっけなさにいっそ清々しくて可笑しくなる。


私は、両の掌にわずかな重みを感じながら、


振り向けば、クロがいた。


なんで、まだ見えちゃうんだろう。


鬼の角に触れているからかな。


残念ながら、さんさんと照る日の元では立ち尽くすクロの姿がはっきりと見えた。


クロは驚愕をはりつけたまま微動だにしない。


見えなければよかったのに。


「クロ」


呼べば、クロははっとして、鬼のような形相を浮かべた。


ガラス玉のような瞳に映る私はうす汚れていて醜い。


幾千年ぶりの人間の姿はさぞかし不快なことだろう。


足を引きずりながらクロに近づいて、鬼の角を差し出した。


何か言ってよ。


彼の頬の筋肉はピクリとも動かない。


角の乗った両手をクロの胸に押し付けても、彼は動かなかった。


いっそ、最初みたいに剣を突きつけてくれたら良かったのに。


素早く角を帯に差しこむと、クロの体がわずかに跳ねる。


「憎いでしょう?」


クロから距離を取り、震える手を必死に押さえつけながら、最高の作り笑いを浮かべる。


「ずっとクロを騙していた、賢しい人間なんだよ」


強がれ。


「だけど、もうあなたの前から消えるから」


強がれ。


「すぐにいなくなるから」


あと少しだけ側に……。


土塗れの袖で顔を拭う。



「待て」


クロの声は最初に会った時みたいに酷く低い。


梢が揺れた。


「行くな、行かないでくれ」


乱暴に突き出された腕が、私を捕まえる。


けれど、私の腕は霞のように透けてクロの手からすり抜けてしまった。


私は静かに首を振る。


触れられない代わりに、真っ黒な瞳が私を射抜く。


「あや、お前が、お前だから愛しいんだ」


端正な唇が紡ぐ私の名前は、鈴の音のように可憐に空気を揺らす。


「人間でもいい?」


クロが深くうなづいた。


「なずなさんじゃなくても」


クロが両手を広げている。


「そっか」


何だかこそばゆい。


そっか。


もっと早く、気持ちを伝えられていたら。


「やだ、やだよ」


口の中が、しょっぱい。


押さえても押さえても、溢れてくる水で顔はぐしゃぐしゃだ。


「クロといっしょに、いたい」


がむしゃらにクロの胸に手を伸ばしたけれど、もはやあのぬくもりを感じることは出来ない。


せめて、最後にクロの姿を瞼に焼き付けようと鼻をすすって、前を向く。


クロの秀麗な顔はひどく歪んでしまっていた。


「……!」


綺麗な唇が動いて、しきりに何かを言っている。


だけど。


もう、聞こえない。


クロの腕が私の唇に伸びてきた。


「ん゛ぬっ?」


太い手首ごと口に突っ込まれ、強引に何かを放り込まれる。


驚いて喉を鳴らした拍子に、それは食道を転がって。


「げほ、ご。うぇ」


遅れて、体が異物を吐き出そうと反応するも無駄だった。


口を押えて喘ぐ。


この鬼は、良いムードのまま終えさせてはくれないのか。


最期の別れさえも。


ヒリヒリと痛む瞼を見開き、クロの胸を思いっきり突く。


「えっ?」


柔らかな布に沈んだ指は、反発にあって押し戻された。


視界が黒く染まる。


気づけば、すっぽりとクロの体に覆われていた。


微かな香と湿った青葉の香りが満ちる。


「あったかい」


全身に広がる熱が心地よかった。


「なんで、まだクロが見えるの?」


覚めない夢に落ちてしまったのだろうか。


だけど、背中にまわされた手は徐々に腰に食い込み始める。


「もう、逃がさない」


くぐもった声が鼓膜を揺らした。


夢、でもいいか。


「好き」


ずっと言いたかった言葉が、こぼれた。


濡れた頬をクロの肩に乗せる。


クロの腕の力が強まった。


って、


「ギブ、ギブ」


腰にまわされたクロの腕を手のひらでペシペシ叩く。


やっと顔を上げたクロと視線が交わった。


「っ!」


この世のものとは思えない整った目鼻立ち。


ほんと、美形すぎるでしょ。


完璧だった造形が崩れて宝石のような黒い瞳が潤み、色白の肌がほんのりと赤く色づく。


こんなに尊い顔は、なずなさんだって見たことないだろう。


嬉しさと、気恥ずかしさで、一気に熱が耳まで駆け上った。


口をパクパクさせていたら、クロの指が私の唇をなぞる。


私は負けじと背伸びをして、クロの唇めがけて突進した。


危なげなく抱き留められる。


熱い抱擁を交わして、しばしとろけるキスに酔いしれた。


「……まだ角戻らないの?」


くったりしてクロの腕の中から、額の右側に手を伸ばす。


「てっきり、直ぐに生えてくるかと思ったのに」


「ぷ、はは。俺の角は蜥蜴のしっぽか」


クロは声を上げて笑い始めた。


私は口を開けたまま呆ける。


クロはひとしきり笑った後、私の手を取る。


「おいで」


クロに手を引かれ、鳥居の下まで来た。


「この先は……」


私は不安げにクロを見上げる。


「問題ない」


クロは意味ありげに笑って、及び腰な私を引っ張った。


「!?」


いともたやすく境内の外に出る。


隣にはクロが何食わぬ顔で立っていて。


「……え? 何で角はまだ戻ってないのに?」


「角はもう手元に無いが……」


「まさか」


クロの言葉に青くなる。


まさか、帯に入れたはずが落として割ってしまった?


あんな重い岩の下に長時間放置されていたのだから、だいぶ痛んでいてもおかしくはない。


いや、でも、クロが境内の外にいるから……。


一人でおろおろしていると、ふいに真顔のクロと目があった。


透き通るような白い指先が私の胸をとんとつく。


「ここに」


私は首をかしげた。


「あやに飲ませた」


「……っへ?」


そう言われてみれば、人間なのにクロの姿がしっかり見えるのって。


思考は高速回転を始めて、ようやく現状を把握し始める。


「だから、あやはもう俺の一部だな」


クロは意地の悪い笑みを浮かべた。


「なっ」


ぼふん


急に思考回路は停止し、湯気がでるのではないかというほど、耳まで熱を帯びる。


『神様、どうかクロ様が幸せに笑えますように』


頭の中で響いた声は、なずなさんの思いか、はたまた私の願いか。


オタクが鬼に恋したら、どうやら幸せな明日が来るようです。


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