巡る縁の果てに

赤い花弁が散る

「待って」


引きちぎれんばかりに伸ばした腕の先には、見知らぬ天井があった。


扉にあいた格子状の隙間から、白い月の光が板の間に差し込んでいる。


背中から冷え切った板の間の感触が伝わってきて、ぞくりとした。


ゆっくりと身体を起こし周囲を見渡す。


どうやらここは社の中らしい。


「クロは……」


3畳ほどの小さな空間に、私の声は吸い込まれていった。


木戸を乱暴に開けて、たまらず外に飛び出す。



「何を突っ立っている」


参道の方にクロの姿を見つけると、

強張っていた肩から力が抜けた。


「クロを探してて」


よろよろとクロの方に一歩踏み出すと、右足の裏に痛みが走った。


思わず捕まえたクロの袖にシワがよる。


「お前は」


労わるようにクロの手が背中に触れたかと思うと、横抱きにされてしまった。


「ちょ、クロ?」


「裸足でうろつくからだぞ」


クロの右手が添えられた足先からは確かに血の香りが漂ってくる。


一瞬、クロの顔が怪訝に歪んだ気がした。


「こんな擦り傷、大したことないよ。だからおろして」


暴れる心臓を必死になだめる。


まつ毛の1本1本までくっきりと見えるこの距離は危険だ。


「で?」


クロは端正な顔を鼻先まで近づけてきた。


なっ、私の要求は却下ですか。


身体はガッチリとホールドされているから、逃れられない。


「……怖い夢を見て」


私はクロの首に手を回し、広い胸に顔をうずめて、クロの視線を回避した。


「クロが……恋しくなった」


もごもごと白状する。


頭上から押し殺した笑い声がした。


自分だけ余裕がないみたいで何だか悔しい。


「明日は、夜這い星が降るそうだ」


「へっ? 夜這い?」


思わず顔を上げると、闇を押し込んだ瞳に1点の光が映り込んでいた。


「ああ、今は流れ星と呼ぶかな」


なっ、からかわれた!?


クロの胸をポカポカたたく。


「楠のてっぺんから見たらきっと綺麗だろうから」


クロは極上の笑みを浮かべている。


「明日は……」


唇を噛む。


私に明日なんてない。


「下ろして。もう大丈夫だから」


クロの胸をついて、離れようとしたら、余計に深く抱きこまれてしまった。


「……痛いよ」


そのまま社に連れ戻される。


板の間にそっと寝かされた。


上半身を起こして立ち上がろうとすると、腕をつかまれ阻まれる。


「離して」


私は腕を引く。が、やはりびくともしない。


「体調がわるいんじゃないか?」


クロの眉間に深いしわが刻まれる。


意味が分からない。


「むしろ、ぐっすり寝たから調子よいよ?」


私は、首をひねる。


「妖気が弱まっている」


クロは壊れ物に触るように、私の手をさする。


つられて見えた右手の甲の花弁は薄くなっていた。


上気していた頬から一気に熱が抜けて、全身の穴という穴から冷汗が噴き出す。


「やっぱり。顔が真っ青だ」


クロは無理やり私を抱き寄せようとして、


「違うよ」


私は慌てて、クロの手を払う。


「ちょっと、外の空気を吸ってくる」


視線を激しくさ迷わせながら、私は戸の外に助けを求めようとした。


「なあ」


彼の声に、肩が大きく跳ねる。


「何か隠していないか?」


恐る恐る振り向けば、彼のひたむきな視線につかまった。


「別に、ないよ」


視線が泳ぐ。


うつむけば、最後の花びら点滅しているのが目に入った。


待って、まだ。


まだクロと一緒にいたい。


右手の甲を左手できつく押さえつけた。


「ねえ、クロ。私は」


奥歯を噛みしめて、なんとか声をしぼりだす。


クロの視線が柔らかい。


「私は人間に」


「悪い人間に脅されているのか?」


クロは私の肩を鷲塚むと激しくゆする。



クロにとって、やっぱり人間は敵だよね。


「ごめんっ」


あふれそうになる思いを深く深く沈めて、社を飛び出した。


*****************************************************

クロのお気に入りのクスノキを通り過ぎ、

いつのまにか奥に広がる森に足を踏み入れていた。


少し歩くと、開けた場所にでる。


目的のものはすぐに見つかった。


竹としめ縄で作られた境界線を挟んで、石と面と向かうとため息をつく。


「ちゃんとお別れ言えなかったな」


きっとこの石の下に、クロの角が封じられている。


私は、ごくりと唾をのんだ。


痛い、かな。


石の隙間から立ち上る嫌な気配に思わず顔がゆがむ。


「何を」


クロの気配が迫ってきて、私は慌ててしめ縄をくぐった。


伸ばされたクロの手は、私に触れることなく結界にはじかれる。


良かった。


私はクロに触れられなかったことに安堵する。


きっと、クロに捕まったらもう抗えそうにないから。


「何を考えている?」


クロの眉が顰められ、声は棘を帯びる。


私はクロに背を向けた。


「この石の下に、クロの角があるでしょう?」


クロが息をのんだのが分かった。


「やめろっ」


背後の壁が激しく叩かれ、結界がわずかにゆがむ。


「私が、クロに角を返してあげる」


振り返って、一番いい笑顔をクロに贈った。


「早く、そこから出るんだっ」


クロがかすれた声を上げてこちらに手を伸ばしている。


ああ、そんな顔してほしくないのに、クロは今にも泣き崩れてしまいそうな、

そんな顔をしている。


私はクロの視線から逃れるように石のほうに向きなおった。


人の頭1つ分ほどの石に手をかける。


石をつかむ両手からおぞましい気配が体の中に染みてきた。


「うっ」


唇をかんで、悲鳴を抑えた。


「やめろ。子狐ごときではたちどころに邪気に侵されてしまう」


クロは聞き分けのない幼子を諭すように言いながら、結界に阻まれてそれ以上私に近づけないでいる。


今のうちに。


石を引き上げる手に力を込めた。


「うう゛」


「これ以上やれば、お前は」


「ヤダ」


絶対に離すもんか。


強情なのか、石はどんどん熱を帯び、触れる手のひらは燃えているのに、

徐々にせりあがる凍てついた何かに、体の芯から熱が奪われていった。


『こんなに身を呈しても、鬼が思うのは妖だけ』


石の抵抗なのか、邪なささやきが聞こえる。


終に耳がおかしくなったか?


『お前じゃない、なずなに代われ』


ああ。


彼女には、勝てないよ。


いつかの夢でみたなずなさんは綺麗だった。


いつだって、無防備な胸に迎え入れられ、耳元で甘い囁きを聞くのは、彼女だった。


本当は、クロの思いを受け取るのはなずなさんだったはずなのに。


悔しいけど、石を持つ手が離れる。



「あや」


クロが呼んだ。


彼が私の名を必死に呼んでいて。


私の身を案じてくれて、今は私だけを見てくれる。


にやける口元を押さえる。


単純だなあ、私。


活力が漲って、再度石に手をかけ、宙に放った。


「ねえ、クロ。聞いて」


痛みをごまかすように乾いた唇を必死に動かした。


「くそっ」


地面が揺れる。


「あなたはもう呪われない」


額に汗がにじむ。


「私がクロを解放するからっ」


腹の底から叫ぶ。


呪いの石の抵抗か、たちのぼる黒い気が私の耳や尻尾に絡みつき、

ふれたところから強烈な痛みと肉が焼けるいやなにおいがした。


「もう、やめてくれ」


クロは何度も結界に手を伸ばしているのか、背後で火花が散る。


「俺はお前を失うことなど」


私は、静かに首を振る。


容赦なく肌をやく煙に、目も開けられずに地面に膝をつく。


じゅうじゅうと、全身を焼かれながらも犬のように土をかき続けた。


「あや」


愛しい人が私の名を叫ぶ。


私は平気だ。


だから、そんな苦しそうな声で呼ばないでほしい。


大好きなあなたにはずっと笑っていてほしいのに。


この邪気は妖怪の身にはつらいけれど、ヒトの身にはどうってことはないのだから。


石はのけたから、あとはその下に埋まっているはずの鬼の角をとるだけだ。


それで、クロはようやく解放される。


長年の呪縛からようやく解放してあげられる。


なのに。


瞳からなみだがこぼれて、地面を覆う邪気に触れるとすぐに蒸発した。


「お前がいれば、俺はこのままでもいい」


クロが結界を無理やりこじ開けようとしているのか、私を囲っている透明の箱が激し

く揺らぐ。


また、涙がこぼれた。


だめじゃん。


一緒にいられないから、このままじゃダメなんだって。


必死に両手を動かしていれば、指先に固いものがぶつかった。


あった。


私は、それが壊れてしまわないようにやさしく両掌ですくう。


ふと、全身を焼く痛みが消えた。


瞼の裏に明るい光が差し込んできて、私はそっと目をあける。


目の前には今までの苦労が嘘だったように、なんの変哲もない地面が広がってい

た。

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