人間

夜は更けて満点の星空の下、

またもや家に帰りそこなった私は定位置となりつつある階段に腰かけ、

先ほどのウサギを胸にだいていた。


「ほら、草をあげたらおとなしくなったよ」


ふわふわの毛玉と戯れながら、ドヤ顔でクロに視線を向ける。


あの後、目を覚ましたウサギ(仮)が丸まって震えていたものだからつい抱えてしまったけれど。


間違いじゃなかった。


ふかふかの毛並みに頬をうずめて、極上の触り心地を堪能する。


「お前も物好きだな、自分を食べようとした相手に気を許すなど」


「この子はひもじかっただけなんだよ、

 ねっ」


「きゅ」


胸に抱いた“うさぎ”が鳴いた。


「で、なんでクロはそんなに離れている  の?」


彼は、境内の端に生える木に寄りかかって、こちらを険しい目で観察している。


私との距離はざっと5mくらいだろうか。


狐耳は優秀だから、たとえ離れていても彼との会話は十分可能だ、が。


なぜか悲しい。


胸がズキズキする。


ささくれた心をなだめるべく、あらゆる手管を使ってウサギを撫でまわしていると、つぶらな瞳が閉じ始めた。


「よしっ」


クロだって、こんなにいたいけないものを抱いたら少しは眉間のしわがとれるかも。


「撫でてみなよ。かわいいから」


腕の中のウサギが起きないように慎重に立ち上がると彼のほうへ回れ右をする。


クロの顔が不快に歪んだ。


「そんなに嫌がることないじゃない」


「ほら」


むきになって、微睡むウサギをクロの鼻先に突き出した。


「痛っ」


途端にウサギは激しく暴れ、私の手を引っ掻く。


「ちょ、どうしたの?」


必死に宥めようとする度に、腕やお腹を容赦なく蹴られた。


ウサギと格闘していると、向かいからクロの手が伸びてくる。


その白い指先がウサギの体に触れると、ウサギは白目を向いて地面に落ちた。


「……?」


砂利の上に横たわるウサギの体は冷たい。


毛玉はもはや息をしていなかった。


「何、したの?」


声が上擦る。


「殺す必要なんて……」


「低級な妖は俺の妖気に触れると死ぬ、そういう呪いだ」


クロが抑揚のない声で言った。


その瞳は、まるでブラックホールみたいに何も宿してはいない。


「妖力がある程度強ければ、痛みを伴うだけらしいが」


クロの手が方向を変え、こちらにせまる。


私は反射的に目を閉じてしまった。


「……逃げていいんだぞ」


小さな声だった。


あまりにも弱々しかったから、

気になってまぶたを少し持ち上げる。


白い手が不自然に鼻先で止まっていた。


見上げると、クロはどこか切ない表情で微かに笑っている。


私はやり場のない感情をもてあましたまま、彼の小指をつまんだ。


その手が僅かに跳ねたから、逃げ出さないように今度は両手でがっしりと捕まえてやる。


よかった、何ともない。


こっそりと強張っていた肩の力を抜く。


「ざまあみろ」


ちょっとだけ調子に乗って、これまで彼に受けた仕打ちを思い出しながら睨んでやると、クロの目と口は徐々に大きく開かれた。


「お前は変わっている」


小さく噴き出した後、

心底呆れたようなクロの声が聞こえて、

私はとっても良い気分になった。


「ちょっ、何するのっ」


クロにぐいと腰を引かれる。


「わっ」


荷物のように担がれてしまった。


クロはそのまま跳躍し、

あっという間に大木の枝に降りたつ。


「人攫い〜」


大きな肩を拳骨でポカスカ叩いているのに、全然効果がない。


「あまり暴れるな」


私はクロの膝の上に収まった。


おしりと背中に彼の体温を感じて、むず痒い。


何なんだ、この鬼はっ。


勝手するにも程がある。


「離してっ」


せめてもの抵抗と、体をよじった。


「そう怒るな、これを見せたかっただけだ」


クロは私の脇を抱えて、隣に座らせると眼下を指し示す。


「俺のお気に入りの場所だ」


「……」


言葉は出てこなかった。


この景色をなんと表現したらよいのか。


楠の枝からは街が一望できた。


建物から溢れる灯りが点々と暗がりに浮かび、それはまるで地上の星のように見える。


負けじと地上を照らす月は、手を伸ばせば捕まえられそうだ。


「そんなに身を乗り出すと落ちるぞ」


クロの腕が腰にまわされ、引き戻される。


「まあ、キツネが木からおちるなんざお笑い草だが」


クロは意地悪く口角を持ち上げた。


「そんなにまぬけじゃないもんっ」


私は頬を膨らませ、顔を背ける。


けらけらとまだ笑っているクロの様子を横目で伺っていると、不揃いにはねた黒髪の間からふいに角が現れた。


あれ?


「なにを見ている?」


どうやら不躾にも見つめすぎたらしい。


「角」


ぼそりと私がこぼせば、

クロは呆気に取られた顔をする。


「鬼に角なんか珍しくもないだろう」


変顔でもイケメンです、クロ様。


それは、そうなんだけれども。


何だか違和感がある。


「でも、なんで一本だけ?」


そうなのだ。


クロの頭から延びる角は、左耳の方に1本だけ。


「だって、鬼なら2本あるでしょう?」


漫画やアニメ、いや昔の伝記にだって語られる鬼は、多くが2本角だったはず。


1本角もいないわけではないけれど、その場合角は体の正面、額から延びているはずだ。


「折られた」


思考にふけっていた私の耳にクロの鋭い声が届く。


「えっ?」


思わず聞き返した。


「折られたんだよ、人間に」


乱暴に言い放った後、クロは口を堅く閉ざしてしまう。


相変わらずの無機質な表情を浮かべながらも、ゆがむ瞳からは静かな怒りをともしていた。


「おい、何をするっ」


身を乗り出して、クロの右側の髪をかき分ける。


そこには、確かに角の痕跡があって、切断面がいびつにとがっていた。


「痛かった?」


熱いものがこみあげてくるのを必死で押さえつけながら、そのいびつな角の残骸をなでた。


「もう昔のことだ」


ぼそりとつぶやいたクロの声は少しだけ震えていて、胸が痛む。


「いつまで触っている」


クロに無理やり脇をつかまれて、角から引きはがされた。


「今でも、人間が憎い?」


祈るように問いかける。


「……ああ」


月の光を背に受けてクロの顔に一層深い影が落ちた。


私は、クロを騙してる。


「何で、お前がそんな顔をする?」


唇をかみしめていれば、クロの戸惑った声が聞こえた。


「力を入れすぎたか?」


首を全力で左右に振る。


「お前は表情がコロコロ変わるな」


クロは私の頭に手を置いた。



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