第2夜 対立

妖怪

ここはどこだろう?


辺りは薄暗く、よく目を凝らしてみれば、室内のようだ。


土壁で囲まれた3畳ほどの板張りの空間には、目立った家具は無く

中央にあるいろりから細く煙が昇っている。


木戸が開き、誰かが入ってきた。


一瞬のまぶしさに目がくらむも、現れた男の姿に頬が緩む。


その人物は黒髪を腰まで垂らし、額の両端には黒曜石のように艶めく2本の角があった。


私は、ためらいなく彼の胸に飛び込む。


着物の裾に足を取られて転びかける私を彼は大きな手で受け止めてくれた。


「○○○」


彼の唇が動いて何かを囁くが、私の耳にその音は届かない。


黒い瞳に、頬を染める私の顔が映り込んだ。


照れ臭くなって彼の手の甲をつねる。


彼は口の端を意地悪く持ち上げる。


袖のたもとからツツジを取り出すと、私の髪に差し入れた。


髪をすく指がくすぐったい。


そのまま、彼に優しく手を引かれた。


戸口をくぐると、初夏の香りを含む風が私の前髪と戯れていく。


目の前には、どこまでも田んぼが続いていて、その淵には真っ白なツツジが咲き乱れていた。


小さな子供が泥だらけになりながら楽しそうに駆け回っている。


奥底から湧き上がる幸福感に、酔いしれた。


隣に立つ男の袖を引く。


男は私の長い髪をすくいあげ、口づけた。


私は驚いて、再び離れた男の顔を覗き込む。


光を背負う彼は、おかしそうに誇らしそうに口元を綻ばせた。


*****************************************************


「あれ……?」


目を覚ませば、すっかり日は高く昇っている。


湿った土の香りにまじり、草の匂いが肺を満たした。


うっ。


身体を地面から起こすと、節々がきしむ。


さすがに、野宿は体に良くないなあ。


せめて、寝袋さえあればと思う。


「俺の前に、まぬけな寝顔をさらすとはのんきなものだ」


頭上から声が聞こえ、見上げれば楠の枝に、青年が腰掛けていた。


枝葉の陰でその表情はみえないが、不機嫌そうな物言いだ。


何よ、昨日は優しそうに笑ってくれたのに。


ワンピースについた土や葉っぱを払って立ち上がる。


「ねえ、クロ」


梢が風に吹かれて鳴いた。


無視ですか。


大人げなくも苛立ちが募る。


「クロ、クロ、クロッ」


側の幹を勢いよく蹴ると、頭上からはらはらと何かが落ちて来た。


地面に着地したそれは枯れ草色の……。


「花?」


腰をかがめて手を伸ばすと、また頭上から何かが降ってきた。


えっ?


「勝手に触るなっ」


鬼気迫るクロの顔が目の前にある。


「ごめ……」


恐る恐る視線を上げると、クロは苦し気な表情を浮かべていた。


私の耳横まで手を伸ばしてきたが、肌に触れる前に引き戻す。


「悪い」


彼は、左手で右腕を強く押さえた。


着物の袖には深いしわがいくつも寄っている。


「……」


声が出ない。


どうやら私は息をするのを忘れていたらしい。


慌てて肺を膨らませると、新鮮な空気が喉につかえた。


「ケホケホッ」


むせて、目元に涙がたまる。


「別に気にしてなんか」


まぶたをこすりながら答えると、両手を振ってうろたえるクロと視線がかち合った。


「怖がらせる気は……、なかった」


彼の声はひどく弱弱しい。


「いや、怖がってないし」


私を何歳だと思っているの。


背筋を伸ばして胸を張る姿はさぞかし大人びて……。


「耳が思いっきり垂れているぞ」


クロに指摘されて慌てて耳を探すと、

髪の間から起立していた狐耳はいつの間にか頼りなく臥せっていた。


「そっ、そんな」


脳天を撃ち抜かれたような衝撃を受け、

楠の影から日光の下によろめく。


なんて、体は素直なの。


「なあ、キツネ」


青年がこちらに近づいてきた。


日の光の下で改めて見た彼は、スポットライトを浴びている俳優のようだ。


「あやです」


黒真珠のような瞳にみつめられ、

胸が高鳴るのがやっぱり悔しくて、

素っ気ない返事をする。


夢の中の彼は、私をよんでくれたのに。


「何で……」


なんでそんなことを思ったんだろうか。


改めて思い返してみると、夢の内容はおぼろげだ。


「なぜ泣く?」


クロは眉根を限りなくよせている。


「泣いてない」


泣く理由なんて思い浮かばないのに、

触れたまぶたは濡れていた。


「今のは無し、忘れて」


彼に背を向けて両目をこする。


「何をだ?」


「いや、人前で泣くのは恥ずかしいし……」


「そんなものか」


背後で木の葉が舞う音がした。


「あっ」


慌てて振り向いたけど、そこに彼の姿はなくて。


「なによ、もうちょっとかまってくれてもいいのに」


私は砂利を足でけりながら、

拝殿の方へ向かった。



「はあ」


拝殿の前の階段に腰かけて両足をぶらぶらさせながら、

無愛想で表情筋の使い方を知らない彼のことを思う。


「私って、何にも知らないもんな」


クロともっと話してみたかったのに、結局あれから姿を見せてはくれなかった。


空を見上げると、いつのまにか橙色に染まりかけている。


「日が暮れる前に家に帰らないとなあ」


腰を浮かせて鳥居の方へ視線を向けると、参道に何やら白いものが現れた。


「わあ。あれは……ウサギ?」


沈みかける日を気にしているのかしきりに背伸びをして、鼻をひくひく動かしている。


綿胞子みたいな純白の毛側を見ていたら、

両手がうずいた。


たまらずウサギの方に駆け出す。


「あ、待って」


ウサギは、俊敏な動作で私の腕をかわし続けた。


「お願い。少しでいいから、撫でさせてえ」


数分も経たず息切れし、膝に手をあて喘いでいると小さな体がよちよちと近づいてくる。


私のこと気にかけてくれたの?


警戒させないようできるだけゆっくりと手を伸ばす。


あ゛あ゛、抱きしめたい。


それに……。


ちょっと美味しそう……?


って、なにキツネみたいなことを考えているんだろう、私。


慌てて口からあふれたよだれをぬぐう。


「おい、キツネ」


「あやです」


反射的に振り返って抗議すれば、いつの間にか鳥居のそばにクロが立っていた。


って、私は気づかぬうちに境内から道路に飛び出していたようだ。


慌てて周囲を確認する。


よし、巨大な生首はいない。


安堵の息を吐く。


「そこにいると喰われるぞ」


「いやいや、何を言って」


ぐるるる。

お腹の音が周囲に響く。


「なっ、私じゃないから」


全力で顔の前で手を振りながら否定すると、クロはため息をこぼした。


少しむっとして、前方に視線を戻せば……。


「ぎょえ」


先程まで小動物がいた場所には、何かがいた。


いやウサギなのだろうが、その愛らしかった赤い目は、今や私の頭上にあり、荒い鼻息が顔を直撃する。


うっわ。


勢いあまってその場にしりもちをついた。


「なんで、巨大化しているの?」


「いや、妖怪だしな」


冷静に解説していないで、助けてよ。


鋭い犬歯が鼻先にせまる。

ってウサギは草食系でしょうが。


じゃなくて、逃げなきゃ。


あれ?


首だけ動かして背後にいるクロを探した。


「腰が抜けました」


涙で潤んだ瞳をクロに助けを求めるも、クロはかたくなに鳥居をくぐろうとはしない。


この薄情ものっ!


うっ。


粘ついた唾液が、膝にかかった。


「ク、クロ」


弱弱しい声で、彼の名を呼ぶ。


「ッチ」


クロはこぶしを振り上げて透明の壁をたたいた……!?


って、こんな時にパントマイム?


しかし明らかに境内と道路との境目で透明な何かがクロを阻んでいるように感じられた。


「自力でこっちまで戻ってこい」


クロの苛立った声に我に返り、何とか体を引きずって境内まで戻る。


「でかした」


ドカッ。


鈍い音が響いて、頭上に視線をやると、ちょうど剣の柄が追いすがるウサギ(仮)の頬にヒットしていた。


ウサギ(仮)は拝殿の前まで吹っ飛ばされて、そのまま泡をふいてひっくり返る。


気絶したからか、元のかわいらしい姿に戻っていた。


「あっ、ありがとう」


思わず声がひきつる。


「相変わらず間抜けな奴だ」


彼は涼しい顔で剣を腰に挿した。


私に対する失礼な発言はあえて無視しよう。


今はそれよりも……。


「巨体を簡単に吹っ飛ばすとか、あなたは一体何者なの?」


地面にスライディングした時の痛みも忘れて立ち上がり、クロに人差し指の先を突き付ける。


「……鬼だが」


さも当然のことだという風に、彼(=鬼)は答えた。


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