「はっ」


冷たい砂利の上で、目覚めた。


辺りはすっかり明るくなっていて、鳥のさえずりも聞こえる。


「って、もう朝っ!?」


慌てて飛び起きた。


「携帯、携帯は」


ポケットをまさぐる。


顔から血の気が引いた。


「いや、その辺に落ちているでしょ」


汗をぬぐって、境内の中を探しにかかる。




ないっ!


10分後、地面に這いつくばって絶望した。


携帯がなければ、今日の白様が拝めないではないか。


乙女ゲームの中のキャラクター、二階堂 白神の姿を思い描いて、

奥歯を噛みしめた。


課金までしてようやくお迎えしたというのに。


「なんでないの? 他に探す場所なんて……」


ふと、社殿の横に脇道があるのに気づく。


「まさか?」


私の足は自然とそちらに向かった。


社殿の脇の道をまっすぐ進んでいくと、立派なクスノキが目に入った。


「誰かいるの?」


全身に鳥肌が立つ。


私の体は自然と後方に飛んでいた。


さっきまで私のいた場所には、剣が突き立てられている。


「ちっ」


小さな舌打ちの後、クスノキから何者かが降り立った。


闇夜にまぎれる黒に、異様に浮き立つ白い肌。


忘れもしない、私の眼前にはあの青年が立っていた。


「なぜまだいる?」


青年の視線は相変わらず氷のように冷たい。


しかし、地面にささる剣の柄をつかんだまま動かないということは、

少しはこちらの話を聞く気があるようだ。


「私はただ、大切なものを探してて」


「お前は、俺が平気なのか?」


青年は、僅かに上擦った声をあげた。


「いや、何を言っているんですか。

 初見で殺しにかかる奴が平気だなんてありえないでしょう。でも」


拳を震えるくらい強く握りしめた。


「そんなことはどうだって良いんです」


必ず取り戻してみせます、私の王子様。


思わず力んで、青年の方へ一歩踏み込む。


「訳がわからん」


青年は、刀の柄から手を離した。


「お前は一体何者だ?」


青年の声は相変わらず素っ気ないが、

纏う空気がほんの少しだけ柔らかくなったように思える。


私はこわばった肩をほぐし、息をついた。


「私は、ただの人間で」


青年の顔からみるみる表情が失せるのを見て、途中で言葉を飲み込んだ。


青年は、今まさしく地面に刺していた剣を引き抜いている。


先ほどまでの緩みかけた空気はどこへいった?


「つくならもっとましな嘘をつけ」


こちらを睨む青年の表情は硬い。


「いや、嘘じゃ……」


私は視線を左右に揺らした。


「あなただって、にんげん」


ひりつくような痛みを感じて、吐きかけた息がのどでせき止められる。


いつのまにか青年の顔が鼻先にあり、無感情な瞳が私を見下ろしていた。


「あんな愚かなものと一緒にするな」


青年の爪先が首に食い込む。


気道が徐々に締められた。


「苦し……い」


首から延びる太い腕をかきむしって、何とか青年から逃れようとする。


背中から塀にたたきつけられ、残り少ない唾液が口の中から飛んだ。


うっすらと瞼を持ち上げ向けた視線の先で、青年は眉一つ動かしてはいない。


いよいよ肺に残る酸素がなくなって、最後の力で青年の腕をたたく。


奈落のように黒い瞳がわずかに開かれ、私は地面に落ちた。


「こっほごほ」


肺を酷使してありったけの息を吸い込む。


勢いよく顔を上げると、一瞬閃光がはじけたように目がくらんだ。


我慢強く同じ方向を見つめていると、焦点が合い青年の輪郭がくっきりと浮かび上がる。


「キツネか」


低い声がパイプオルガンのように頭の中で反響した。


青年の帯と着物がすれ、懐から鉄と生臭い血の匂いがただよってくる。


「ヴぉうぇ」


急に過剰な情報を拾い始めた五感に、終には地面に両手をついて吐いてしまった。


*****************************************************


拝殿前の階段に腰掛け、ため息をつく。


「キツネ」


青年は、確かにそう言った。


私は耳の付け根をなでてふわふわの毛触りを堪能する。


えぇー!?


キツネになっちゃった……。


って、ツッコミはおそいよね。


一応頬をつねってはみたが、しっかりと現実のようだ。


それにしても、夜なのに数メートル先の石粒の色まで識別できるのはどうかと思う。


こめかみを押さえて、鈍い頭痛にひたすら耐えた。


「キツネってこんなに五感が鋭いっけ?」


自分の声が、頭の中で反響する。



「妖力に酔ったのか?」


隣から冷たい声が聞こえて、鳥肌が立つ。


この青年はなんでいつも急に現れるのか。


黙秘を決め込むと、彼からの視線が全身に容赦なく刺さった。


どうやら私が何か言うまで去るつもりはないらしい。


「悪いですかっ」


妙なプライドがメキメキ育って、口を尖らせた。


もともと人間だし、とは口が裂けても言えない。


だって、まだ死にたくないしね。


挑発的な視線で隣に立っていた青年をにらみ返した。


すると彼は何を思ったのか、

リュック一つ分くらいの距離をあけ、私の隣に腰を下ろす。


「ん?」


「なんだ?」


「……いえ」


私は足元に視線を戻し、意味もなく砂粒を数え始める。


ちょうど、100個見つけたところで再び隣を窺いみると、

青年は変わらずそこに座っていた。


「その……、あなたこそいつまでここに居るんですか」


青年が僅かに目を見開く。


「お前、俺のことを知らないのか?」


私は首を傾げる。


「だから、お前はのこのこと俺の住処に入って来たのか。

 まったく呑気なキツネだな」


人を小馬鹿にした口調に腹が立ってきた。


「キツネじゃなくて、あやです」


挑むような目つきで、隣の青年を見上げる。


彼はやっぱり美形だけど、私に向ける瞳は濁っていた。


「私の名前は、あやです」


「……」


聞こえなかったのかもと思い、もう一度伝えてみる。


「そうか」


彼は短い返答のあと、関心がないという風に他所を向いてしまった。


また沈黙の時間が流れる。


ううっ、会話が続かない。


「あ、あなたの名前は?」


目一杯の愛想を詰め込んで笑顔をつくった。


「忘れた」


一刀両断され、頬の筋肉がひきつる。



それにしても、改めて見ると青年の装いは何ともシンプルだ。


「クロ」


思わず発してしまい、慌てて口を押さえた。


青年の訝し気な視線が顔にささる。


「別に変な意味とかなくて、ただ名前がないと不便というか、

 あなたがいろいろと黒いし……」


彼の鋭い瞳に耐えかねて、全力で弁明を始めた。


しかし悲しいかな、私の饒舌はすぐに失速する。


ええい、もうどうとでもなれ。


「だから、私は勝手にあなたをそう呼ぶことにします」


異論はみとめないぞという風に、胸を張り言い切った。


気恥ずかしさでゆがんだ顔をごまかそうと青年をにらむ。


すると、彼は口の端を軽く上げた。


やさしげに細められた彼の目に、私の真っ赤な顔が映りこんでいる。


胸の鼓動は勝手に駆け出した。


結局その日私は、大クスノキの根本にくるまって夜を明かすことにする。


本当は屋根のあるところで寝たかったけれど、

さすがに神様の家にお邪魔する勇気はないしね。

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