鬼に恋して

ねるこ

第1夜 奇

変 

月夜の晩。


「いやいやいやいやいや」

私は、現在居酒屋の立ち並ぶ通りを全力疾走していた。


「一体あれは何?」

ちらりと背後に視線をやれば、そこには、こちらに迫る大きな顔が。


腐ってただれた肌からは、目玉がこぼれ、耳まで避けた口にはサメのように鋭利な歯が並ぶ。


巨大な顔は地上すれすれを浮遊して、大きな口をあけたまま私を追いかけてくるのだ。


「あー、正体を見たいと少しでも思った過去の私のばかあ」

酸欠と恐怖でマヒした脳では、正常な思考などできるわけもなく、わめきながら大通りの真ん中を駆け抜ける。



そもそも、何でこんなことになっているんだっけ。


いつものように、退屈な日常が始まるはずだったのに。


ほんの数時間前の出来事に思いを馳せる。



*****************************************************

「あれ、寝ちゃってた?」


また、動画中に寝落ちをしたのか。


カーテンの隙間から淡い日の光が差し込んでいた。


枕元をまさぐり携帯を探す。


腫れぼったい目で、画面隅を確認すれば、16:00PM(水)。


中央では乙女ゲームの麗しい殿方が爽やかに微笑んでいる。


「おはよう、白様」


私は画面越しのキスをした。


『お昼はもう食べた?』


白様の麗しいボイスが耳に心地よい。


そういえば。


お腹が盛大に鳴った。


凹んだお腹をさすっていたが、一向に治らない。


「仕方ない、買い出し行くか」


ベッドからのそのそと這い上がりカーテンを勢いよく開ければ、

空は赤く焼けていた。


クロックスを突っ掛けてしぶしぶ外に出る。


満開だった桜はいつの間にか緑に変わっていた。


だらだらと歩いていると、

木々の切れ目に鮮やか朱色を見つける。


近寄れば、大きくそびえ立つ鳥居が現れた。


「こんな都会の真ん中に、大きな神社があるなんてちょっとラッキーかも」


「ちょっと中を覗くくらいなら、アイス溶けないよね?」


右手のコンビニ袋を振り、アイスが十分に冷えているのを確認すると、

立派な鳥居をくぐった。


境内は思いのほか広かった。


参道の両脇には、隣のビルと同じくらいの高さの木々が並んでいるし、拝殿の脇には大きな池もある。


境内を散策する人もちらほら目につく。


「やっぱり、お参りしていかないと失礼かな」


境内を一周回って拝殿の前に立った。


ポケットをまさぐる。


「よかったぁ。小銭ある」


赤褐色の平等院鳳凰堂を賽銭箱に投げ入れ、

ぎこちない礼の後に、両手を合わせて目を閉じた。


『神様、どうか素敵な殿方に会えますように』


内なる煩悩をこっそりと打ち明ける。


「よしっ、また明日から頑張りますか」


大きく伸びをした後、少しすっきりした気分で、参道を引き返していれば、

ふと脇のおみくじが目に留まった。


「あめみくじ?」


見たことのない名前に、好奇心がくすぐられる。


気づけば、箱に手を突っ込みくじの束を鷲掴んでいた。


「かっかわゆい」


手のひらに収まってしまう小さな包みには、

キツネのイラストと7枚の花弁をもつ赤い花が描かれている。


イラストを傷つけないように慎重に包みを開けると、

中からビー玉サイズの真っ赤な飴と、紙が出てきた。


「なるほど、飴だからあめみくじか」


飴を頬張りながら、おみくじをめくった。


『大吉』


思わず口角があがる。


続く文字を追えば、


『恋愛;人生を変える出会いがあるでしょう』


「早速神様が私のお願いを聞いてくれたのかな」


若草の香りを含む風が前髪をかきあげていった。


「あれ?」

ちらほら見えていた参拝客が、いつの間にかいなくなっている。


電灯がポツ、ポツと灯り始めた。


「いたっ」


ふいに右手の甲が燃えるように熱くなり、おみくじを取り落とす。


痛みが引いたそこを見やれば、

手の甲いっぱいに7枚の花弁を持つ赤い花の模様が焼き印のごとく刻まれていた。


「何だろう」


電灯にかざしてみたり、擦ってみたが消えそうにない。


「まあ、いっか」


おみくじをポケットにしまい、急ぎ足で神社を後にした。



「おかしい、絶対におかしい」


大通りに、人の気配がない。


それどころか、道路にも一台の車さえ走っていなかった。



結局誰1人としてすれ違うことなく、アパートの前に到着してしまう。


「!?」


ふと漂ってきた強烈な異臭に、鼻をつまむ。


匂いは、どうやら坂の上からしているようだ。


問題の方角を凝視していると、風を切る音が聞こえてきた。


音は段々と大きくなる。


「逃げた方がいいかな、どうしよう」


堅実的な考えが一瞬頭をよぎるも、

冒険心をくすぐるこの状況に、興味の方が勝ってしまった。



曲がり角を見つめること数秒。


それはビルの角から現れた。


****************************************************

で、現在に至る。


流石に、全力疾走を続ける足が麻痺してきた。


汗が目に染みて、視界が霞む。


「死にたくない、死にたくない」


悲鳴をあげる足になんとか力を込め続けた。


「神社っ」


前方に大きな赤い鳥居が見えて、私はすがる思いで鳥居をくぐる。


神社は神聖な場所だから、変な奴はきっと入れないはず。


某漫画の知識を思い返しながら、その場にへたりこんだ。


何度もあえいでいるのに、一向に酸素が肺にたまらない。


「さすがに、大丈夫だよね」


重い首を回して、背後を確認する。


確かに大きな頭は、鳥居に阻まれていた、けれども。


けれども、それは、単に巨体がはさまっているだけで、

頭が激しく揺れるたびに木が軋み、少しずつ不気味な顔が境内に侵入してきている。


「うそ?」


零コンマ数秒放心して、すぐに気を取り直す。


逃げなきゃ。


砂利に爪を立て、腰が抜けて動かない下半身を引きずりながら、境内の奥へと這う。


「騒がしい」


前方、社殿の脇から鋭い声が聞こえたと思ったら、

私の逃げ道は黒い布にふさがれてしまった。


「なんだ、この虫は」


頭上から剣のある声が降ってきて、私は恐る恐る視線を上げる。


これは、これは。どちらの2.5次元俳優様でしょうか。


私の目に映るのは、20歳代ぐらいの美青年だった。

濡れ羽色の髪に、黒い着流しから覗く白い肌。

まさに、乙女ゲームから抜け出してきたような神々しいお姿で。


「サ、」


「サ?」


ご丁寧に、艶のある声が私の声を復唱してくれる。


「サインくださいっ」


言ってしまったよ、おい。

いつものノリで。


案の定、目の前の美丈夫はきれいなパーツをいびつにゆがめ、

顔全体で不愉快を表してなさる。


「……」


今私は、漆黒の瞳に無言で睨まれております。はい。


ごりごり。


迫りくる生首がスローモーションのように見える。


そこからは、何があったのか全然知覚できなかったのだが、

次に境内に響いたのは、何か重い物体が地面に落ちる音だった。


視線を左右に動かせば、私を挟んで大きな顔が半分ずつ落ちている。


切断面があまりにも生々しく、

胃から込み上げてきたものをすんでのところで飲み込んだ。


「雑魚はすぐ湧く」


青年は一言ぼやくと、血に濡れた刀身を懐の布で清めてから鞘に納める。


「あっ」


私の口からは何とも頼りない声がでる。


「なんだ、お前。まだいたのか?」


青年は地べたに伏したままの私を鼻で笑った。


黙って聞いていれば、性格は最悪なのではないだろうか。


まるでゴミでも見るような冷え切った視線は、いくら顔が良くても許しがたい。


ただ、結果的には助けてもらえたのだし

ここはお礼を言うのが大人としてのマナーでしょ。


「助けていただき、ありがとうございました」


私は砂利の上に正座をして、なるべく優雅にみえるように頭を下げる。


茶道で鍛えた礼儀作法は、決して無駄ではない。


数秒経ってゆっくりと顔を上げると、私の鼻先には剣先があった。


月明りを反射して、銀色の刃紋までよく見える。


「へ?」


絶句して、剣の柄を視線でたどれば、

閻魔大王も真っ青になるほどの凍てついた表情を浮かべている青年がいた。


「去ね」


地の底から響くような低い声に、私は全身の毛が逆立つ。


あまりの恐怖に、青年を見つめたまま動けなくなってしまった。


呼吸がとまらなかっただけ、幸いなのかもしれない。


しばらく、絶望的なにらめっこを続けていたら、ふいに青年が背を向ける。


「助かった?」


緊張の糸はぷつりと切れ、私は砂利の上に突っ伏した。


********************************************************************


燃えている。


やっと実った稲穂も、苦労して葺き替えたばかりのかやぶき屋根も、何もかも。


つい先ほどまで元気に駆け回っていた妖の子らも黒くただれて崩れていった。


私はまだ動く右手を使い、なんとか瓦礫の中から這い出そうともがく。


とうに足の感覚はないというのに、諦められるはずがなかった。


「行かなきゃ、彼のもとへ」


煙が容赦なく、鼻と喉を侵し、視界もかすむ。


地面を揺らす咆哮が聞こえた。


「早く行かなきゃ、そばに」


私はがむしゃらに手を伸ばす。


音の先には、彼がいるはずだ。


目をすぼめて、力の限り見つめると、

高く積み上げられた屍の上で、天を仰ぐ鬼がいた。


彼は、止まない唸りを上げている。


辺りに低く響くそれは、まるで泣いているみたいで。


私は燃え残った草をつかんで、なんとか前方に這った。


伸ばした手が少しだけ彼に近づく。


泣かないで、笑っていてほしいの。


ずっと。


指先が震えた。


彼を縁取る白いツツジは、業火を映して赤くなりそこはまるで地獄のようで、

神様、どうか……。

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