第4夜 狂い咲き

猿の昔語

私が洞窟に足を踏み入れるとすぐに目当ての妖が現れた。


「おや、お若い妖怪がこんな老いぼれに何用か」


くぐもった声が、洞窟に反響する。


知ってるくせに。


私は、足を踏ん張り精一杯虚勢を張ってみせた。


「で、何が知りたい?」


奥から風がふいたと思ったら、ヒヒのしゃがれた声が続いた。


「なんでクロは囚われているの?」


挑むようにヒヒを睨み返す。


しばらくの沈黙の後、下品な笑い声がした。


「よかろう。あやつの過去ついて教えよう」


私は近くの岩に腰を下ろして、耳を澄ませる。


「それははるか昔、まだ妖怪と人間の世界が分かたれてはいなかった時代の話だ」


ヒヒのしゃがれた声は、昔語りには妙になじんでいて、美しい詩を聞いているような心地になる。


気づけば私は目を閉じ、物語に思いをはせていた。



*****************************************************


「お姉ちゃんは、僕と虫取りに行くんだ」


「ちがうもん、私と花摘みに」


両袖を童にひかれ、困った様子の姉様がいる。


「ごめんね、今日は他に用事があって」


「姉様、本当に行くんですか?」


ワシは目の前で子供たちと戯れている巫女様に声をかけた。


「当たり前じゃない」


「お姉ちゃん、どこかに行っちゃうの?」


小童が、姉様の袖を引き、物悲しそうに姉様を見上げている。


「黒様を迎えに行くのよ。皆も早く会いたいでしょう?」


姉様は、しゃがみこんで小童らの頭を撫でた。


「小童ども、母が待っているぞ」


ワシは戸口に立つ女性を示した。


『お母さん!』


小童らが、扉の方に駆け出し、女性に抱きつく。


「姫様、いつもありがとうございます」


女性は深々とお辞儀をした。


子供たちも親を真似て頭を下げている。


「またね」


姉様は、手を振り小童らを見送った。


「で、やっぱり出迎えに行くんですか? 主はまだお帰りでないと」


「今日明日にも急ぎ帰るって、文に書かれていたわ」


赤い瞳に真っ直ぐと、見据えられる。


「はあ、分かりました」


やれやれ、この巫女様は。


「ありがとう、ヒヒ」


姉様は瞳を輝かせ眩しい笑顔を浮かべる。


この愛らしい笑顔が病みつきになるから困ったものだ。


「ただし、見に行くのは峠までですよ。壁の外は危ないですから」


「わかってるわ」


姉様の豊かな2本の尻尾が、忙しげに揺れていた。




『火事だあ』


急に外が騒がしくなる。


「ちょっと様子を見てまいります。姉様はここでお待ちを」


ワシは、今にも飛び出していきそうな姉様を制して外に向かった。


「一体、何事だ」


通りの男を捕まえて、話を聞く。


「なんでも峠の方から火が飛んでくるっていうもんで」


「ふらり火か?」


あやつはこんな山奥に出るような奴ではないはずだが。



「に、人間だ」


村の門から悲鳴のような声が上がる。


「敵襲、敵襲」


非常を告げる鐘が鳴り響く。


「ヒヒ?」


姉様が戸口から顔を出した。


「出てきてはいけません」


目を見開く姉様。


背後から風を切る音がして、ワシは自分の体で姉様を庇う。


抉られるような痛みに、歯を食いしばった。


「ヒヒッ!」


姉様の悲鳴がワシを正気に戻す。


「あ、姉様は皆を連れて逃げてください」


背中に刺さった矢を力任せに引き抜いた。


「でも……」


姉様は顔を蒼白にしてこちらを見上げる。


「ワシは、強いですから」


ドンっと胸をたたいてみせる。


強すぎて咽せてしまったが、

姉様は深くうなずくと真っ赤な瞳に熱を宿してワシに背を向けた。





どれだけがむしゃらに腕を振り回しただろうか。


何人なぎ払っても人間は湯水のごとく現れる。


亡霊のように蒼白い顔で、ワシの懐に飛び込んできた最後の一人をワシは掌で叩き飛ばした。


「ヒヒッ! 無事ね」


朗々とした声に思わず、視線を向けると、姉様がいた。


着物のあちこちは擦り切れ、すすだらけになっているが、凛と立つ姿は息を飲むほど美しい。


「なぜ、戻ってきたのですか」


眉根を寄せるワシを、姉様は挑むように見返した。


「皆は、逃した。だけど」


柔らかな唇を噛み締めて、姉様は唸る。


ああ、こんな悲劇は夢であればよいのに。


ワシは震える姉様の手をそっと握る。




不意に姉様のキツネ耳が真っ直ぐ天に向かって立つ。


「帰って、きた」


姉様はポツリと呟いた。


「姉様?」


「ヒヒ、黒様の足音が聞こえるの」


伏せられていた瞳に光が宿る。


「こっち、早く」


姉様は立ち上がり、ワシの手を力強く引いた。


程なくして、村の門が見えてくる。


堀で囲まれた村の唯一の入り口には、同胞だったものが力なく転がり、矢が地面を針山に変えていた。


炎が渦巻く中で複数の影たちが踊っている。


中央には華やかな着物の袖を優雅に揺らし、舞う鬼がいた。


彼が剣を振るう度、あたりは赤く染まる。


ほんの数刻で、動く影はただ1つになった。


「黒様っ!」


姉様が鬼の下に駆けだした。


「……なずな」


主は刀を握った手とは反対の手で器用に姉様を受け止める。


「ヒヒも無事だったか」


ワシは軽く目礼をした。


「黒様、皆が、皆が」


「……ああ、わかっている」


主は目を細め、姉様をきつく抱きしめる。


「無事で良かった」


いつも気丈な主の肩は震えていた。 


「ヒヒ」


主は、ワシを真っ直ぐに見る。


「なずなを、頼む」


ワシは姉様の小さな背中を眺めた。


「そんな。黒様は」


「俺は亡き同胞たちを残しては行けぬ」


主は優しい目をして、ぐずる姉様をなだめた。



風が吹く。


何がワシの耳横を過ぎた。


目で追った先に、姉様を庇う主の背中がある。


「主っ」


伸ばした手を矢尻はすり抜けて、

肉の裂ける音がした。


黒い着物にみるみると赤いシミが広がる。


「これくらいどうということは、ないっ」


肩から生える矢に手を伸ばした主は、ふいに膝を折る。


剣を地面に突き立て、身体を支えた。


「黒様」


姉様が掠れた声をあげる。


ワシは矢の来た方を振り返り、とっさに近くの瓦礫を放る。


敵が串刺しになるのを見届け、主に駆け寄った。


「今矢を抜きます」


ワシは主の背中に無遠慮に突き立った矢に手を伸ばす。


「駄目だ、ヒヒ。その矢は……」


触れた指先から激痛が走り、ワシは矢から手を離してしまった。


矢からはどす黒い瘴気が吹き出し始める。


「呪だ」


主は短く呟くと、姉様を突き飛ばした。


「何を、なさるか」


ワシは反目して、主に食ってかかる。


が、主の真剣な眼差しに迎えられた。


「……皆を頼む」


終には、主は邪気に飲み込まれてしまった。


ワシは深く頭を垂れ、主に背を向けた。



「姉様、立てますか?」


ワシは、地べたに座り込んで茫然と前方を見つめる姉様に声をかけた。


「ヒヒ、黒様は?」


姉様の視線の先には黒い邪気を纏い虚な傀儡があった。


「呪に蝕まれました、あれはもう」


「黒様は死んだというの? 嘘よ」


「ここにいては危険です」


ワシは姉様の細い腕をとる。


「嫌よ、まだ黒様は」


姉様が無茶苦茶に腕を振り回した。


「お願い、行かせて」


「姉様にはあれが見えないのですか。どす黒い邪気をまとって、あれはもはや主ではありません」


鬼の咆哮がこだまする。


「放して」


姉様は揺らぐことのない炎を瞳に宿してワシを見上げた。


「これは、命令よ」


低く響く悲しい声はワシの脳裏に焼きつく。ワシは自然と手を緩めていた。


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