16 クロノス・タワーの崩壊

 聖なる導きのハリシュが神界より行方知れずとなって、はや一週間の時が経った頃、暗黒神ダフネスはその苛立ちを隠しもせず、その場を訪れていた。


 漆黒の甲冑とマントを纏い、漆黒の髪を腰の当たりまで長く伸ばした、精悍な顔立ちと怒気に満ちた鋭い眼光を金色の双眼に宿していた。


 全てを威圧し捩じ伏せる、その殺気を隠そうともせず真っ直ぐと入り口へ向かって歩いてくる。


「ダ……ダフネス様……!!きょ、今日は如何な御用向きで!?」


「………………。」


 門番が慌てて止めようとするが、その殺気に怖れ為してその体に触れることすら出来ずに、建物内に入られてしまう。


 カツッ、カツッ、カツッ、カツッ……!


 鳴り響く靴音にすら、殺気と苛立ちが溢れだし、遠くからその音を耳にしただけでも、建物内の内勤者達は、恐怖に震え上がっていた。



 二つの鎌が交差し、開かれた書が中央に彫られた光沢のある深紫の扉。


 その重い扉がバンッと開かれると、中で書類に目を通していた人物が顔をあげ、僅かに目を潜めた。


「今日は、謁見の予定は無かった筈ですが?」


 部屋の主は冷静に訪ねるが、訪問者はそうでは無かった。


「ハーデス、ハリシュのアホを何処に転生させたんだ!?」


 怒気も顕に暗黒神ダフネスは冥界神ハーデスに詰め寄る。


「死の宣告も死者の魂を回収するのも我々の役目ですが、転生は我々の管轄ではない。転生あれは、聖属性の神々の領域。私にはわかりかねます」


 そう答えると、ダフネスは更に怒りを強めた。


「その所管のだとよ!!……くそっ」


 その話を推察するに……。


「ハリシュ様自らと言う結論に至りますね」


 彼女なら可能だ。全ての裁可は彼女に委ねられていたし、彼女自身その部署での勤務経験も豊富だったから……。


「これだけ手を尽くしても、手掛かり一つ無いとなるとそうなんだろうが、何故だ!?何が目的だ!?」


「それを私に訊ねますか?……分かるわけが無いでしょう?私はハリシュ様では無いんですから…………」


 何ゆえハリシュが神界から姿を消したのか、確かに本人にしか分かることでは無かった。ハーデスは、彼女が居なくなってそんなに心配するなら、普段からもっと優しくしていればいいのに……と、上位神ダフネスに対して思っていた。


 普段、ハリシュをからかったりイタズラで困らせたり、意地悪ばかりしているこの天の邪鬼な暗黒神ダフネスが、実は聖なる導きの女神ハリシュに恋していることは公然の秘密だった。


 知らないのは本人と、ハリシュ位なもので、長い付き合いの癖に、全く二人の仲は全く進展していないのだ。


 二人の付き合いは、暗黒神ダフネスが終焉の魔王ダフネスで、聖なる導きの女神ハリシュが新人の光の女神ハリシュであった頃からの付き合いだ。


 うん万年……何にも進展なしとは、何やっているんですかね~。この二人は…………。


 神界では、何時の事だったか密かなる賭けとして、この二人が何時になったら互いの気持ちに気付いてくっつくかを掛けたのだが…………。




 未だその気配が見られなかった。




 ハリシュ自ら神界より姿を消し、何処かに転生を果たしたのかは、確かに誰にもわからない……それは、彼女の心の闇だろうか……?


「…………くっ!!」


 その結論に至ったのは、ハーデスだけではなくダフネスもだった。

 故に、怒りも通り越して……。しかし、ダフネスはハリシュを諦める気は無かった。



 冥界神ハーデスの居城を出たあと神界の移動中、もう一度、全ての世界に向けハリシュの気配を探り、自らが支配可能なに触れハリシュの存在を探った。



 それでも中々見つからないことに、更なる苛立ちを膨らませ、苛立ち紛れに力を暴発させた。


 立ち上る暗黒の闇と終焉の炎、それらが入り交じり、うねりを上げ吐き出された。


 完全なる八つ当たりだった――――!!



 ヴアァァァァン――!!



 ドゴゴゴゴォォォォ――ン!!!!!!



 ダフネスの放った力は、この神界でもかなりの高さを誇る、クロノス・タワーのド真ん中に当たり、建物が半分になり崩れ落ちていった…………。


 幾種もの数字が様々な色彩の光を放ち、交差して螺旋状に絡み付いて巡り動いていた。

 頂上部には金色に輝く時計が取り付けられており、金色の光を放っていた物が徐々に光を失いながら崩れ落ちていくその光景に、ダフネスは呟いた。




「あ……やべっ………」





 クロノス・タワー。あらゆる世界のに関する流れの、拘束と調整、監視を行う特殊な建物で、時間に関する最上神、時間神クロノスが創り出した装置だ。


 下位世界の管理と監査を行う際、時間率がズレていると、監査や指導に赴いた神々が浦島太郎状態になってしまう。勿論、逆もある。そう言った事態に陥るのを防ぐ事を目的の一つとして産み出されたのがこのクロノス・タワーだ。


 いつしかその建物を中心として、バリバリとした不快な音と、無数のジグザグとした紫の雷のような物が無数に発生し、その場を中心として視界がグニャリと歪み出す。


 あらゆる世界の光景が、断片的に写し出されては流れ出していく………。


 上位世界の神の力で、無理矢理時間率を合わせていた弊害が、クロノス・タワーの崩壊によって生じ始めていた。


 ――――即ち、時間率の崩壊だった!!


 クロノス・タワーによって揃え束ねられていた、あらゆる世界の時間的拘束が失われ、バラバラと不規則に様々な方向に世界の時間が流れ出していくのだ。


 過去・現在・未来………その、あらゆる概念の崩壊を意味していた。


 今、目に映るその世界は過去か、現在か、はたまた未来なのか


 その一角……一点の闇に探し求める聖なる導きの女神ハリシュの気配を一瞬だけ感じた。


 時空の歪み……その向こうに、あの馬鹿が居るのか?


「…………何処まで手間掛けさせるんだか……」


 行くのも躊躇われる、時空の歪みのその向こうに、探し求める虹色の瞳の女の気配を感じた。



 躊躇うのは、肉体的な損壊の程と、事前準備無しに跳ぶ事へのリスクを鑑みての事だった。


 時空の歪みに飛び込み、目的の場所時空と時代に辿り付けるかは、一つの賭けだった。

 流されれば、永遠の時の彼方にでも追いやられないとも限らないのだ。


 …………だが、仕方がない。アレは……あの女だけは、他者に譲る気など無いのだから……。


 俺が見付けた、輝く輝石――唯一の生ける輝石なのだから…………。




 歪み、乱れた時空の渦に暗黒神ダフネスは飛び込んでいき、最上位とも呼べる神界からその姿を消したのだった。





 ◇◇◇




 神界のとある一室。

 暗黒神ダフネスによって半ば強制的に引き入られた中堅クラスの将来有望な神々は、日夜せっせと慣れない書類整理に勤しんでいた。


「本当に、こんな量を御一人で処理為さっていたんですかね?……はぁっ、全く感服の念に絶えません」


 無理矢理引き込まれ、仕事を押し付けられて、早五日が過ぎようとしていた。

 日に日に積み上げられる、新たな書類と稟議書の山に、溜め息どころか生気を吸いとられていく感覚を覚えつつ、黙々と作業をこなしていた。


 現在この部屋には、山積みの書類と格闘する五人の神と二人の神鳥の化身がいる。


 本来の姿は、瑠璃色と翡翠色の美しい鳥で、彼らの主は聖なる導きの女神ハリシュである。

 行方知れずの主に成り代わり、連れ込まれた五人の神々に仕事の仕方を教えていたのだが………。




 ドオオオオォォォンッ―――!!




 ズガガガガガ―――!!








 バリバリバリバリッ―!!!!




 爆発音と共に、地面を揺らす地響き……それに不快な音が続けざまに起こり、皆が皆、音のした方向を確かめに行く。



 空は異様なほどに暗く、本来高々と聳え建っている筈の時間管理塔クロノス・タワーがその姿を半分程残して崩れ去っているのが見えた。


 紫色の雷にも似たキザギザとしたものが、四方に広がり、強制的に束ね揃えられていた時間と言う概念の幻影がそこかしこに流れだし、規則性を失っていく。


 グニャリと歪んだその先に、無数の世界の一場面が流れだしては消えていくを繰り返していた。


 有る意味に於いての、世界の崩壊だった。


 無理矢理時間を束ね、規則性を持たせて揃えさせた、あらゆる世界を監視し支配するために完成された塔の崩壊……………。



 その、一因にハリシュの喪失が関与しているのは言うまでもない。


 この世界は、全ての世界の頂点であると同時に、ハリシュの存在をこの地に拘束し封じ続けるための、彼女の為の檻でもあったのだから。


 世界を導く光であった彼女と、その存在を繋ぎ止めるための膨大な書類の山。


 肝心要を喪ったこの世界に、現存と言う選択肢は遺されていないのだ。



 歪にゆがんだ空間の、その先に主の気配を感じた神鳥に躊躇いは無かった。


 ここに彼女が帰ってこようと思っても、もうこの場はその姿を留めてはおけないだろう。



『『ハリシュ様――!!』』



 二羽の美しい神鳥は、その姿を歪んだ空間の中に飛び込み、崩壊を始めた上位神界から脱出を果たしたのだった。





 無論、この危機を察知した他の神々も早々にこの上位神界を去った事は言うまでもない。



 この世界を頂点と定める神界の常識が崩壊を遂げた、記念すべき日となった。

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