15 女神、転移する

 エストニア大陸内、転移当日。


 その場には、の候補者と、二ヶ月間の護衛兼指導役の騎士と魔導師、それに候補者達の見送りが集まっていた。


 家族や知人と涙を流し別れを惜しむ声や無事の帰還を願う声、無事に試練を勝ち取り、凱旋を果たすよう叱咤激励する声が、そこかしこで聞こえてきた。




 ――――――が、イリスの所は…………。




「全く、出立の前日までフラフラ出歩いた挙げ句、熱を出す奴があるか!?だからお前は、駄目なんだ!愚図なんだ!!全く成っておらんじゃないかっ!!」


 養父であるハスラー男爵が、まだガミガミとお怒り中です。


 昨夕、早目に仕事を切り上げて帰宅すると、養女であり聖女候補イリスが午後の外出後、体調を崩して寝込んでいると執事のシャーマンに告げられ、それからずっとお怒りなのだ。

『自覚が足りない!』『先読みも出来ないのか!?』『愚か者!』等々……熱で寝込んでる隣でそんなに怒鳴らなくても……とも思う程、ガミガミ、ガミガミと約小一時間程は怒鳴っていらっしゃった。


 だって、この世界の神様自ら条件を満たせば、『加護』と『祝福』を授けてくれるって言うのよ?


 加護は守りの力だし、祝福はその神の持つ力の一端を貸してくれるって事なのよ?


 くれるものなら使わない手は無いって、普通なら考えるでしょう!?


 それが、まさか肉体の乗っ取り計画だったなんて、誰が想像しますか!?


 でもまぁ、これで魔力等裏工作の協力者アヴィスを手に入れられた訳だし、新たに闇属性の回路を開いて貰っているから、そのうち私にも使えるように成るだろうし万々歳よね?


 ……少し位強い魔法を使っても、闇の女神アヴィスの加護と祝福のお陰って事で誤魔化せるし、何より一人じゃないのは良いものよね?


 



『――そうは、思わないアヴィス?』



『……はい……仰る通りで……』


 ハリシュのやや後方に控え、ひきつった笑みで答える闇の邪神アヴィスは今、非情に後悔していた。


 当時、五歳位の明らかに聖なる器……神の依り代と成りうる少女が泣きながらこぼしたのだ。


「聖属性が無いと駄目なの……?魔力が低いと、出来損ないなの……?」


 心から溢れ漏れだすその声に…叫びに惹かれ依ってみれば、何とも愛らしい幼子がいることか……。


 神の依り代に出来る……新たな器を手にすれば、この地から離れられる。だからこそ、その可能性に付け入るならだと思ったのよ。


 将来、美人に成るのは間違いないし、私がこの地から抜け出し新たな人生を歩むのにお誂え向きだと判断したのよ!



 殊更優しげに話しかけて、油断するように……心を私に寄せて、期が熟したら私に身を預けるように仕向けた…………。


 全ては、この戒めを解くために、利用するつもりだった。


 漸く、全ての髪が黒く染め上がり、娘自ら私の元にその身を捧げに来たのだと思ったの。


 その健気な心に、美貌に、魂の輝きに私はこの娘の隅から隅まで、それこそ器に入るのに邪魔となる魂でさえ、傍に取り置き愛でるつもりになっていた。


 口付けを交わし、舌で掻き回してやったときのあの顔……今思い出しても、興奮するものが有るわ………。

 驚きと未知への恐怖と……何とも言えない、ガラス細工を壊してしまいそうになるあの感覚……。


 揺れる瞳、震える体に、息も絶え絶えに漏れだす息も、必死に抗おうと足掻くあの非力な腕も……もっと先を教え込みたい……私の色に染め上げて、私だけを見るように…………私しか見れないように!!


 そう、意気込んで行ったあの器の聖域に……あの方が居た。


『飛んで火に入るなんとやら……』


 あの方はそう仰ったけど、………違う!!

 そんな……可愛らしい規模じゃないあの方の力は!!



 例えるなら…………


 蛇に睨まれたカエル?…いえ、そんなんじゃないわね。


 なら、象に挑む蟻?……これでも可愛いくらいだわ!


 ……ええ、そうよ!これだわ!!


 私なんて輝く太陽に突っ込もうとする宇宙の塵よ!!ゴミ屑よ!!


 そのぐらいの歴然とした力の差……。


 その場にいて感じる……触れれば私のが、崩れ去る。


 例え触れずとも、この場にいる限りあの方がその気になれば我が身など何時でも露と消え去る身だが……。



『ねぇ、折角ここに来ちゃったんだし、お互い協力し合わない?』


 思いも掛けないことをあの御方は切り出してきた。


『協力…………ですか?』


『そ、協力!貴女はこの地から離れたいのでしょ?私は上位神界うえに見つかりたくないの。だから、お互い協力しましょ♪♪』


『一体、何を……すれば…………』



『イリスの体に『加護』と『祝福』と『闇』の回路を通して欲しいの。そうしたら、光と聖を使っても使わなくても強い魔法を使える口実になるでしょ?……で、私はアヴィス、貴女をにします!!』


『……はっ!?聖なる…???…何故!?』


 この御方が、イリスの器に闇の回路を付けたい理由は理解できた。上位神界から逃亡しているようなので、目眩ましも兼ねているのだろう。


『…………しかし、なぜ私が聖なる闇の女神になる必要が有るのですか!?』



『え~?だってぇ~……貴女、私にしたんですもの。相応のは、受けてもらわないとねー?』


 身体の自由を奪っての、口中蹂躙と、肉体の強奪未遂………。

 幾ら普通の人間を装う為とは言え、そこまでの危険を犯し、尚且この私にその聖域まで侵入を赦すとは……無謀としか思えない行為だ。


 けれど…その姿を一目見れば、最早…絶対服従以外の選択肢は残されていないのだ。


『……つまり、私の指向の大幅な方向転換と大規模な神格上げが、貴女様に対して不埒な真似を働いたなのですか!?』



 それが果たして……罰と成りうるんでしょうか?


 甚だ疑問では有りますが、あの御方の為さる事に対して私に拒否権など微塵も無いことはご理解頂けましたでしょうか?



『そうよ。貴女の事は、キッチリ、バッチリ、しっかりと、私が♪♪♪』



 にっこりと満面の微笑みを浮かべるハリシュの顔に、背筋の凍り付かせ青ざめた表情で答えるのだった。


『有り難き、幸せにございます………』




 この先、闇の邪神アヴィスに聖なる導きの女神ハリシュによるが、施されて行くのであった。





 ◇◇◇





 大陸内に転移二日前、王宮騎士団官舎、第三騎士団長室にレインは、呼び出されていた。


 団長室には、団長と副団長、それに宮廷魔導師団の上役とがおり、深刻な面持ちで待ち構えた居た。


「お呼びでしょうか?」


「よく来た。詳細は、そちらのクレーメンから話して貰うから、よく聞いてくれ」


 クレーメンと呼ばれた壮年の男は、細身の青白い顔色で丸眼鏡を掛け、紺色の官僚服を着ていた。

 遣り手と呼べるほどの覇気は見られず、かといって経験が浅い訳でもない。

 上から押さえられ、下には手を焼いている気の弱い中間管理職の印象だった。


「ん゛ん゛っ、ご紹介に預かりました。内務省、内務審議官のクレーメンと申します。……実は、今回貴方と同行することになる聖女候補のイリス嬢ですが、幾ばくかの嫌疑が掛けられておりましてね。そちらを真偽の程を共に旅する間、確かめて欲しいのです」


「それは……キメラ騒ぎの一件でしょうか?」


「その通り……と、言いたい所ですが、他にも有ります。彼女の髪色の件です。元々彼女の髪は銀色でした。しかしながら現在の彼女の髪の色は黒です。これがどういう意味か……理解できますか?」


 一般的に、金や銀髪からの髪色の変化は、魔族や悪しき闇の力と契約を交わした証と言われている。

 逆に黒髪から白銀や白髪への変化は、無条件で『聖女』の証しとされている。


「それは……常識に照らし合わせれば、魔族と通じた……と、見なすべきですね」


 レインの回答に、クレーメンは、ニヤリと満足げな笑みを浮かべると話を続けた。


「その通りです。彼女の魔法属性に今は等は無いようですが、今後もしが生まれればそれが魔族と通じた証となる。……彼女が聖女であれば問題は有りません。しかしながら、魔族と関わりがある…或いはその疑いが有るならその証拠を掴んで欲しいのです」



 彼女が、聖女かそれとも魔族と通じた我々か見極め―――処断せよ。



 それは、共に仲間として旅をする女性を嫌疑の目で見続け、場合によってはその命を奪えと言うことだった。


 この状況で、否やは言えない。

 胸に鋭い刃を刺した様な気持ちで、レインは声を絞るように紡ぎだした。


「…………承知……致しました……」


 レインは、重い気持ちを抱えて、に挑む事になった。



 同じことが、ライセル、ソレイユにも通達されていたことは言うまでもない。


 ソレイユはイリスへの肩入れぶりから別のチームに回され、イリスのいるチームには別の魔導師が派遣されることになった。



 ◇◇◇



 お父様と別れて、候補者達の中に立っていると、前方からいらした金髪を頭の高い位置に一括りにされ、赤い鎧ドレスを纏ったアンジェリカ・トレニス侯爵令嬢がツカツカと歩いていらした。


「まぁ!何ですの?その顔色の悪さは!?貴女ね、今日からがどんなに大切な日々と成るか分かっていらっしゃるの!?としての自覚が足りないじゃ無いのかしら!?……全く、自らの体調一つ管理も出来ないなんて、情けなさ過ぎですわよ!!」


 一目見るなり、私の顔色の悪さを指摘し自覚云々の話をやはりと言うか、すごい剣幕で叱咤してきた。


「全く!私が庶民や下級貴族と組になったと言うのに、貴女ときたらレイン様やリドイ様と一緒だと言うのに……そんな調子で!!。良いこと?お二人の迷惑となるような事があれば、トレニス家の、名に懸けて貴女をこのエスターナリア王国から断罪追放に致しますからね!?」


 なんと言う脅しでしょうか?

 ……まぁ、アンジェリカ様らしいと言えばらしいのだけど…。


 それだけ言うと、アンジェリカ様は一陣の風の如く去っていってしまった。



「いい気なものね、ギルドでちょっと活躍したからって、調子に乗っているのではなくて?貴女など本当は卑しい魔族の手先なのでしょ?それなのに、だなんて笑い種よね?」


 今日も嫌味は健在宜しく、ロレーヌ・ガルディー様の登場だけど、何かしら?物凄く顔色が悪い……。

 服装も、何処か華やかさに欠け、表情も何処か精彩を欠いた印象だった。


 キッと、睨み付ける目が、何時もの嘲る物とは違い、憎しみが込められたものになっていた。


 何時も睨まれるけど、こんなに暗い目では無かったと思うんだけど……?


 それ以上は何も言わずに去っていったけれど、何だったのかしら?




 その後、転移門の前に候補者達は集められ、改めて同じ到着点に成る者達に分けられた。


「久し振りだったねイリス嬢」


「よっ!一昨日ぶり、……て、何だ…調子悪いのかよ?こんな日に!?」



 穏やかな挨拶をして下さるのが、コーネリアス公爵家の三男レイン様。

 気さくな雰囲気なのが、アース商会四男のリドイさん。


「ごきげんよう、レイン様、リドイさん。ごめんなさいね、ちょっとだけ体調を崩しただけで問題は有りませんので、お気になさらないで下さい」


 僅かに微笑んで、転移後の足手まといを詫びると、レイン様は僅かに目を鋭くなされた。


 ああ、ここでもまた『自覚が足りない』と、言われてしまうわね。


 如何せん、聖属性と光属性にとって、全くの対極の位置を司る闇属性の回路を敷いている最中なのだ。


 今までにない力の有り様を体が受け入れて馴染むまでに時間がかかる。

 尚且、肉体に流入する闇をこちら側に懐柔するのも至難の業なのよね。


 散らさないように、壊さないように聖と光を加減して、更にこれから闇を強め鍛え上げなくては成らない。

 既に有る、聖と光と比肩出来るる位まで高めないと、残る『土』属性を呼び込めないもの。


 そこまでしていかないと、は、完遂できない。


『何時の間に、全属性制覇なんて考えられたんですか?』


『ん~?何となく?貴女に『闇』を引き入れて貰って、私に定着させるとなると既存の聖と光に比肩させないと折角入れてくれた『闇』が霧散しちゃうもの。そうならないように、『闇』を育てたなら『土』を入れ易くなるなと……そう思っただけよ?』


『土』属性は、マイナーと言われがちかだが、実の所一番気難しいのだ。


『光の大地』『聖なる大地』『祝福の大地』『呪われた大地』『闇の大地』『死の大地』

 とか……色々有るのだけれど、元々持ち合わせているなら兎も角後天的に引き入れる場合、どちらかだけ強すぎても首を縦には振ってくれない。


 三者が比肩して並び立ってこそ初めて、首を縦に振って私の元へ来てくれるだろう。


 そう考えたのだけどね?


「こんにちは、お待たせして申し訳有りません。これから二ヶ月間皆さんの護衛と指導を勤めます、第五騎士団所属ライセル・ソーンです」


「はじめまして、宮廷魔導師団第七師団所属カミーユよ。二ヶ月しか無いけど、魔法の使い手はキッチリ育て上げるつもりだから宜しくね!……て、ちょっと貴女顔色が悪いじゃない、大丈夫だなの!?」


「すみません、足手まといにならないよう気を付けますので……」


 新たに指導役として紹介されたのはレイン様に付いていたカミーユさんだった。

 薄茶色の巻き毛を束ね、薄紫の瞳の可愛らしい女性だった。



 護衛兼指導役の二人と合流し、自己紹介を終えたところで、転移門による、格候補者たちの転移作業が始められた。




 白い巨石が四方を取り囲み、敷き詰められた石畳の上には円形の魔方陣が描かれていた。


 その中央には菱形のクリスタルが浮かびそれに触れると転移魔法が発動する。


 淡く青白い光が溢れだし、視界を覆うと何も見えないが、体がグニャリと捻られ、視界が回りだし目が回るような錯覚を覚えた。



 光が消え、体の捻れや目の回る感覚が治まった頃、それまで聞こえていた人々のざわめきは消え、カサカサと草の葉が風で擦れる微かな音が聞こえてきた。



 緑豊かな草原のど真ん中に、私達五人は転移されていた。





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