11女神、依頼を受けてみる(丘の森)Ⅳ
貧民街で、子供達からの知らせを受けた
何せ、キメラが丘の森に出現したのだと言う。それだけでも充分驚きなのに、聖女が、丘の森に行っていると言うのだ。
聖女……厳密に言えば、その候補なのだが、街中の警備兵によると、この貧民街を通過したのは一昨日の被害者たる黒髪の少女だったようだ。
となると、昨日冒険者ギルドで話したあの黒髪の少女と言うことになる。
「不味いな……。至急、騎士団に知らせを出せ!動ける人員は、俺に続いて丘の森に行くぞ!!」
現在、聖女及びその他の候補者の護衛は、伯爵家以下の候補者の担当については、本職に戻されている。
王国としても、ギリギリの人員運営だからその辺りは致し方が無いんだが……。
一人きりの無防備な候補者に、最強種の魔物との遭遇だぞ!?
まだ、南の森でなら兎も角、何故王都に出現した!?
驚きと何より無防備な状態で危険に晒されている聖女候補の無事を願って、俺は集まった部下を率いて救出に向かった。
◇◇◇
早朝より南の森の調査を続けていた第三、第四騎士団と宮廷魔導師団の合同調査チームは、森の中の異変を直ぐ様感じ取っていた。
「魔物が……居ない……?」
何時もならニードルビーやスウィングラット等が直ぐにでも出てくるのに何も出てこない。
全く何にも……。
泉の奥まで辿り着いても、何も居ないのは異状だった。
他の魔導師達も異変には気付いた。
魔物が居ない以上に、そこに残る魔力の残滓についてだ。
「こ……この魔力は…………!!」
今まで感じたことの無い、強い魔力の痕跡が、ここに何か強大な魔力を持つ魔物が降り立ったと言う証となる。
それと同時にこんな強い魔力が残っているのでは、暫くここには他の魔物は近寄れなくなると言うことだ。
今日は、件の魔物の姿は無かったが、一度訪れたものが、再び現れないとも言い切れない。
暫く、南の森の監視と王都周辺の警備強化は必須となるだろう。
◇◇◇
一斉の鳥達の羽ばたきの後、舞い降りたその巨大な魔物は獅子の頭で、頭頂部から、黒く渦巻く太い二本の角と背中から黒い蝙蝠のような翼を生やしていた。
私の半身を前足の間に挟む様に着地したため、尻尾に当たる緑の蛇の姿は見えない。
鋭い、赤と言うよりかは小豆色に近い瞳が私を視界に捉える。
頭を屈め、その顔は私の眼前まで近付けて、フンッ、フンッと鼻を荒く鳴らし私の匂いでも嗅いでいるのだろうか?
恐怖で顔は引き吊っていると思う。体は、いつ噛まれるか分からない恐怖に固まっているし、逃げ出す所ではない。
『甘い匂いだ……。懐かしい……甘い匂い……』
頭に直接響く声は、低く冷たいものだが、何かを懐かしむ響きにも聞こえた。
キメラの口が僅かに開き、そこから涎が滴り私の服が濡れた。
…………まさか、『甘そうな匂い』って、食べる方の意味!?
私、ここでこの
嫌よ嫌!!転生して覚醒したばかりよ!?
いきなり死んで、また書類と格闘の日々に逆戻りなの!?
嫌、嫌、嫌、絶対に今直ぐは嫌!!
震える体と、固まった体に鞭を打って、私は腰の剣に手を伸ばす。
無駄かもしれない、こんな至近距離では時間稼ぎにすらならない。
この距離で…キメラが口を開いて、パクンとすればいかな私でもそこでお終いだわ……!!
少しだけ、
その剣を見た瞬間、キメラの目が瞠目し咆哮した。
「ヴアァァァ!!」
咆哮の衝撃もさることながら、それ以上に息が臭い!!
そして、涎が顔にまで飛んできてるし!!
……うぎゃっ!!
『何故お前がそれを持っている!?それは至高の方の持つべきもの!!たかが人間ごときが持つべきものじゃ無い!!』
キメラの咆哮と共に聞こえてきた思念は、そう叫んでいた。
「こ……これは、今は私の剣です!……ちゃんとお金を払って買いましたし……」
『何だと!?人間は至高の御方の剣を売り買いしていたのか!!……人間が隠し持っていたのか……道理で見つからぬ訳だ……!!』
忌々しげに吠えるキメラは、どうやらこのくすんだ剣の気配を追ってここへ来たようだった。
「あの……これが欲しいんですか?」
剣一つで身の安全が図れるなら御安い物だ。
そう思って私は、剣をキメラに差し出した。
―――その剣を目の前の娘が差し出した瞬間、黒ずんで輝きを失った至高の御方の剣は、僅かだかその輝きを取り戻した様に見えた。
あの剣が、失意、慚愧、後悔……何と称すべきか……あの方のあの時の想いは……。
それらを宿し、自ら輝きを失った剣が再び輝きを取り戻そうとする……。
この娘は―――何者だ!?
その僅かな変化に、この娘の存在に何の意味があると言うのか……。
これは、見定めねば成るまい。
『お前を嗜好のままに喰らうのは、お預けだ。その剣は、お前が持っていろ。無くすなよ?必ずお前が持ち続けろ……。手放せば、その時には、迷わずお前を喰らい尽くすからな……』
そう言うとキメラは、翼を羽ばたかせ空高くへ飛び去ってしまった。
い、命拾いした――?
今度こそ、駄目かと思ったわ……。
でも、この剣を手放すな?手放したら迷わず喰らい尽くすって…………。
これって…?
やっぱり…!?
正真正銘の呪いの剣じゃ無いのよ―っ!!
うわ~んっ!何でこの剣選んじゃったのかな!?
私―――!!
水を汲んでいた俺は驚いた。
突然、森の中の鳥が一斉に羽ばたいたと思ったら、空からデカイ魔獣キメラが飛んできたからだ。
キメラは、イリスにのし掛かった様に見えた。
直ぐに助けなきゃ!……そう、頭は言うけど体が動かない。
恐怖で震えて、竦んで動けないんだ。
どうしよう、どうしたらいい?
俺が出ていって、何が出来るって言うんだよ!?
今なら、彼女一人の被害で済む…彼女には悪いけど今の俺が、キメラになんか勝てる気がしない……。
暫くすると、『ヴアァァァ!!』と、キメラの咆哮がして、いよいよ彼女の最後だと思ったんだ。
目をギュッと瞑り、彼女の断末魔が聞こえるのが恐くて耳を塞いでいた。
暫く、静寂が続いた。彼女の断末魔も、彼女の体を喰い荒らす咀嚼音も聞こえてはこなかった。
変わりに聞こえたのは、何事も無いかのような風のそよめきと、木々の擦れ合う音だけだった。
俺はそっと目を開けると、キメラが翼を拡げ飛び立つところだった。
あっという間に天高く舞い上がり、消え去ってしまった。
視線を地上に移すと、腰を抜かして固まったままのイリスが茫然自失となっていた。
丘の森に差し掛かったとき、『ヴアァァァ!!』獣の咆哮が聞こえてきた。
間に合わなかった!!
恐怖に震え、挙げ句に無惨に喰い千切られた少女の亡骸が脳裏を過った。
何も償いも出来ずに俺はその相手を喪うのか?
鉛の様に重くなる足を、叱咤し彼女の元に急ぐ。
頂上に辿り着いたとき、キメラが羽ばたいていくのが見えた。
地面に腰を落とし剣を手に、体を震わし固まりきった黒髪の少女の姿があった。
間に合った――無事だった!!
良かった、本当に……良かった!!
俺は彼女の側に駆け寄り、傷の有無と意識の状態を確認することにした。
あんな恐い目に会って、心を病まないとも限らない。気が触れてしまうことだって有るだろう。
そのぐらいのことが、この少女の身には起きたのだ。
気を使いすぎるほど使っても足りないかもしれない。多感な年頃の少女だ。
繊細なガラス細工よりも脆くなっていてもおかしくは無いんだ……。
「大丈夫か?……怪我は無いか?俺が、誰か判るか?」
俺が話しかけても、もしかしたらパニックを起こさせるだけかもしれない。
一昨日、彼女を追い詰めたのは紛れもなく俺だ。
思い出して、恐怖に狂って暴れたとしても、俺はそれを甘んじて受け入れよう……。
「……え?ああ、うん何とか……死ぬかと思ったけど、何か…大丈夫だったみたい……」
呆然と呟くような答えだったが、何とか大丈夫のようだった。
気も触れてはいなさそうだし、ただ本当に気が抜けただけの様子で、その辺は安心した。
その後、駆け付けた騎士団と共に彼女達から事情を聞いたが、キメラがここにきた理由も彼女か無事だった理由も結局分からなかった。
「ごめん…イリス。助けられなくて……」
「仕方がないわよ、相手がキメラじゃ…。……はっ!それより、水は?水筒に入れ終わったの!?」
突然の話の展開に、周りにいた俺達は驚いた。
今の今、死と隣り合わせの目に遭っていた人間の物とは思えない、話の展開ぶりである。
豪胆……としか言いようがない。
見た目が繊細に見えるだけに、何だこの強心臓ぶりは!?
二人は事情聴取を終えると脱兎の如く――正確にはイリスが放心状態のリドイを引っ張って行ったのだが――駆け抜けて行った。
「ああ~んもうっ!ランクアップ目指しているのに、どうしてこうも
何とも、気の抜ける感想を漏らしながら駆けていく彼女に、自分の先程の情けなさを軽くして貰っているようで、彼女の笑顔に心癒される自分に気が付く。
リドイはこの時誓った。
この先、必ず強くなろう。
目の前で傷付く、傷つけられようとしている者を守れるように、何よりも……誰よりも強く大きな男になろうと……。
レフェナーパン工房に、水筒の配達をしギルドに向かった。
レフェナーパン工房では一騒ぎとなったけど……。
「キメラが出たんだって!?お嬢ちゃん達怪我は無かったかい?……すまないねぇこんなときに行かせちまって……これ、少ないけど食べとくれ」
対応してくれた女将さんが、袋に入った山盛りのパンをくれた。
思わぬ追加報酬に内心『ラッキー♪』と、叫びながら、『お心遣い、ありがとうございます。有り難く戴きますね』と、受け取った。
ギルドで依頼完了の報告をし報酬を受け取りリドイに半分渡そうとしたが断られた。
「俺は良いよ。金に困っているわけじゃ無いし…。イリスが全部貰っておいてよ」
流石です!景気良好商会の子息は違いますねぇ~!羨ましい……!!
ここへきて、キメラの涎で濡れていたのは、軽く拭っただけで洗い流してなかったので、流石に気持ち悪い……我慢も限界に来ていた。
幸いなことに、ギルドの併設設備には何でも揃っている。
宿泊室、仮眠室、シャワー室もあるのだ。
「ちょっと、シャワー借りてくるわ。服も洗濯したいし……リドイさんは、先に帰っていても良いわよ?」
昼もとっくに過ぎているし、今から何かの依頼を受けるにしても時間的に遅すぎる。
お昼もまだ食べていなかったし、そこまで待たせるのも悪いと思ったのだ。
「いや、そこで待っているよ。遅くなったけどギルドの食堂で昼も済ませよう」
そう言われたら、断るのも失礼な気がした。
「そう?じゃあ出来るだけ早く済ませてくるわね」
◇◇◇
シャワーと服の洗濯を済ませるのにどう足掻いても一時間近く掛かってしまった。
遅い昼どころか、早い夕御飯?ちょっと遅めのオヤツ?……何れにしろ、お腹の訴える通りには、食べられないわね。
階段を降りていくと、待ち合いの四角いソファに腰かけたリドイを見つけた。
きっと今日の出来事は、彼にとっても何かしらの影響が有る筈よね?
彼が道に迷わぬよう、ここは導きの女神として、何かしらの方向性を示してあげた方が良いかしら?
兎も角、彼の話をよく聞いてあげましょう。
「待たせちゃったわね。ごめんなさいね。リドイさん」
「いや、サッパリしたみたいだね。…………………………いい匂いだ」
最後の方は、何を言ったのか聞こえなかったけど、ベタベタ感はちゃんと取れたのだろう。
「ありかと。お腹もすいたけど…時間も時間だから少しだけ食べましょうか?」
「うん、そうだね」
二人で軽食サンドと紅茶を注文し、今日の出来事を振り返った。
「キメラ相手に、君が危険に晒されているのに俺はなにも出来なかった………」
俯き、彼は後悔を口に出す。しかし直ぐに私の目を見てこれからの目標を言葉に表した。
「必ず強くなるよ。今よりももっとずっと……。大切なものを絶対に守れるように……必ず!!」
強い、決意の炎がそこには宿ったのだと思う。
賢者の試練に選ばれたから仕方なく……少しだけそう言う雰囲気も持ち合わせた空気感から、明確に強くなることを決意したそう言う意識に変化していた。
これは………前向きな、とてもいい兆候ね。
「ええ、そうね私も強く、強くならなきゃ。何かあっても、自分の身くらい自分で守れるように……」
私達は、互いの決意を認識し頷き合った。
今よりももっと、ずっと強くなる為に、互いを意識したのだ。
同じ志を抱く同士として――――
◇◇◇
王国騎士団の官舎棟と、棟を隣接する軍事備品管理棟。
そこがこの俺、ルーク・ハスラーの勤務先だった。
ここでは、軍事物資や有事の際の食料備蓄の管理運用が行われている。
各騎士団、兵士、宮廷魔導師団、各地の貴族領へ配備させる武器、防具の管理から、遠征用の回復薬、及び医薬品、糧食の備蓄、管理、分配等が主だった仕事となる。
だから、遠征だの討伐ともなるとこの部署は急に忙がしくなる。
今日は、昨夕急に決まった南の森の討伐の為、直後のお達しから激務と化していた。
そして、朝一の討伐隊が出立して平常運転となった、昼過ぎその知らせが耳に入ってきた。
学生時代からの学友で、数少ない俺の友人だ。
第四騎士団に所属している彼によると……。
「おいっ、お前の妹が大変だぞ!確か……黒髪だったんだよな?聖女候補に挙げられたお前の妹……」
「それがどうした?……大変って何が大変なんだ?」
「キメラに襲われたぞ!お前の妹…!!王都北の、泉の丘で!」
「………なっ!?」
何で、イリスが襲われただよ!?……怪我は?無事なのか!?
何で、キメラが王都に出てくるんだよ!?
失うかもしれない………そう思った時の衝撃と焦燥感は、何と言ったら良いのか分からない。
最近は、妹への接し方を忘れきって、結構酷いことをしていた自覚はあるんだ。
………だけど、黒髪に染まってしまった妹の髪色と、俺自身が把握しきれていない、どうしようもなく胸を焦がすこの思いをどうして良いのか分からず、妹に……イリスに辛く当たってしまっていた。
今なら分かる。
……もう、分かった。
失いたくない。傍らに置いて、昔のように微笑んでいて欲しいんだ。
俺だけの天使、妹じゃなく……愛する人として、俺の隣にいてほしい。
だからこの日は、仕事を終えイリスの無事を確認するまでは気が気じゃ無かった。
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