第10話 選択授業

 俺の学校では、1年と2年の時に、芸術科目で選択授業が存在する。音楽、美術、書道の中から一つ選ぶシステムだ。


 俺は絵が下手だ。それは小さい頃からずっと変わらない。比較的最近の例でいえば、中学生の時、自画像を描く授業があって、その時に美術の先生に「只野くんの絵は……うん、とっても……独創性があっていいね」と、引きつった笑いを貼り付けた顔で言われたぐらいである。それって要するに、下手ってことだろ? 実際、美術の成績は5段階中の3だった。2じゃなかったのは、多分授業態度を加味してくれたからだろう。わりかし真面目に受けてたからな、一応。


 一方の書道はどうかというと、俺は字も下手だから、やっぱりあまり気が進まない。授業ノートはちゃんと取っている方だと思う。だが、ノートを見せてくれと友香に頼まれることがあるので、見せると、「マサくん、字汚いね。読みづらい」と、バッサリ切られてしまうのだ。……しかもとびっきりの笑顔で。その顔が俺は割と好きなので、なんか俺は怒る気になれない。


 かといって、じゃあ音楽ならいいのかといえば、必ずしもそうとは言えない。なぜなら、俺は合唱が苦手だからだ。俺はカラオケではそこそこの点数を出せるが、大勢で歌うとなると、他のパートにつられてしまうので、どうしてもなんか変なふうになってしまうのだ。あと、俺は大勢の前で歌うのも苦手だ。別にすごいあがり症ではないのだが、まあ普通に緊張すると声が出にくくなってしまうのである。


 ……俺は何を選ぶべきなんだろうか。今検討してみた結果、一番マシそうなのは音楽なのかもしれないが……。


 だがしかし、今回は考慮すべきことがもう一つある。それは、高嶺さんとは同じ科目を選択しない方がいいということだ。伊藤さんの方は、まあ同じになっても仕方ない……だろう。あまり気は進まないが。


 そんなことを考えて悶々としていると、「マサくん」と友香に声をかけられた。


「マサくん、選択授業って何選ぶつもりなの?」

「え、ちょ、おま、そんなやぶから棒に……」

「私、今年はマサくんと一緒がいいなー」


 ……えっ? な、なんだよいきなり……。

 言い忘れていたが、今俺は自分の家にいる。それも友香と二人きりで。姉は多分サークルかなんかでまだ大学にいるだろうし、千佳は塾だ。だから今日は一人で夕飯を食べる予定だったのだが、友香が「今日はうち、誰もいないから、マサくんちでご飯食べてもいい?」と、突然聞いてきたのだ。断る理由が特に思い浮かばなかったので、友香をうちに招くことにした。今日は部活も休みだったので、まあちょうどよかった。……友香がうちに来るのって、確か中学の時以来じゃなかったっけ? どういう風の吹き回しなんだ、ホントに。


 で、今は、夕飯を一緒に食べながら、選択授業について考えていたところだ。希望の提出締め切りが明日なので、おそらく友香も考えていたのだろう。


「俺は……まだ決めてない」

「えー、そうなの? じゃあ、マサくん、音楽にしたら?」

「なんで?」

「だってマサくん、歌上手いじゃん。それに、楽器もできるし」


 俺と友香は、吹奏楽部に所属している。ちなみに俺はトロンボーンで、友香はパーカッションだ。とはいえ、俺の腕前はそんなに良くない。


「俺は別に歌上手くないし。あと、楽器だって一応演奏できるぐらいのレベルだから」

「またまた、謙遜しちゃって。マサくん、この間竜ヶ崎くんたちとカラオケ行ったんでしょ? その時にマサくんが98点出したって、菊池くんが言ってたよ」

「あれはまぐれだよ。いつもは90点前後くらいだし。……っていうか菊池、そんなことまでベラベラ喋ってんのかよ!」


 菊池……。いらんことばっかり喋りやがって。あとで文句言っとこ。


「でも、マサくんって、結構絵下手だし、あと字も下手でしょ? 他のにする理由がないと思うんだけど」

「お前……そんなにはっきり言わなくたっていいんじゃねーの?」

「私はお世辞とか嫌いなの」

「……」


 まあ、ハキハキしてんのはいいことだしな。そこは友香の長所だろうから。それに俺が絵も字も下手なのは事実だし。


「実は、……一緒の授業にはなりたくない人がいるんだ」

「えっ、誰だれ? 珍しいね。今まで、マサくんが誰かが嫌いって言ってるのなんて、聞いたことないよ」

「……いや、その……」

「あ、言いたくないなら言わなくてもいいけどさ。でも、何、マサくん、もしかしてその人に何か嫌なことでもされたの?」

「……まあ、そんなところかもな」

「ふーん……そうなんだ。辛くなったらいつでも相談してね」

「……ああ。……ありがとう」


 って言っても、まあ絶対相談できないんだけどな。悪いな、友香……。折角心配してくれてんのに。


「で、その人が選びそうなのは分かるの?」

「いや……よく分からん。あ、でも、……女子が選びそうなのってどれだ?」

「えっ? そんなこと言われても、好みとか得意不得意なんて性別関係ないし、分かんないよ。……っていうか、その人女子なんだ」

「え、あ、……まあ」


 言われてみれば当然のことだな、と思った。


「その人が得意そうなことは? 心当たりない?」

「うーん……なんでもできそうだからな、なんとも言えない」

「へー、そんな人いるんだ……」


 友香は何か考えを巡らすように、おもむろに天井を見上げた。


「だったらさ、もうマサくんの好きにしちゃいなよ。その人のせいで苦手なやつ選ぶことないって。それとも、同じ空気を吸いたくないくらい嫌な人なの? 不倶ふぐ戴天たいてんの敵っていうか」

「いや、そこまでじゃないよ。……分かった、そうする」


 まあ、別に高嶺さんと同じ授業を取ったからって、即なんかまずいことになることはないだろう、流石に。


「じゃあ、マサくんは音楽にするの?」

「ああ、そうしようと思う」

「そっか。じゃ、私も音楽にするよ。いい?」

「いや、別に文句なんてないよ。友香のやりたいことをやればいいんじゃないか?」

「うん、ありがと、マサくん」


 別に礼を言われる筋合いはないんじゃないかと思うが、まあ取り立てて突っ込むほどのことじゃないから俺は流した。


 するとその時、ドアが開く音がした。


「ただいまー」


 千佳が帰ってきたようだ。ドスドスというやかましい足音が廊下に響く。全く、何度言ったら静かに歩いてくれるんだろうか。


「お兄、いる? ……って、えっ、……友姉ともねえ!?」

「あっ、千佳ちゃん! 久しぶりー! お邪魔してまーす」

「ホント久しぶりじゃん! 最後に会ったのいつだっけ? ……でも、どうしたのいきなり?」


 千佳の顔が輝いている。そういやこいつ、友香と気が合うみたいで、小さい頃はよくごっこ遊びとかやってたよな。俺も巻き込んでさ。俺はだいたいペットの犬役とかだったけど。


「ふふっ、ちょっとマサくんとお話ししたくて」

「えー、マジ? お兄と話すことなんてあるの? だって、お兄って最近の流行とか全然分かってないっぽいし」

「おい、千佳! 何言ってんだよ、俺だってそれなりには……」

「いいの。別に話題はなんでも」

「ふーん……」


 なんか知らんが、千佳はニヤニヤしながら俺と友香とを見比べている。……おい、お前、何考えてんだよ? 別に俺たち、お前が期待してるような関係じゃないからな!?


「なあ、友香。俺たちって、そういう関係じゃないよな?」

「ん? 何、「そういう関係」って。どういうこと?」

「だ、だから、……その、付き合ったりは全然してねーよなってこと」

「んー……さあ、どうだろうね?」


 へ? ちょっ、……と、友香。お前、この前、付き合ってるわけないじゃんって言ってなかったっけ? おい、何笑ってんだよ。何がおかしいんだ? ……駄目だ。分からん。友香の中であれから何かあったのか? ああ、そうか。これが「女心と秋の空」ってやつなのかもな。


 まあそんなこんなで、俺は音楽を取ることに決めた。




 ……で、授業当日、教室に入ってみると、


「あっ、只野くん! あなたも音楽にしたんだ。奇遇だねー、私もだよ」


と、後ろから声を掛けられた。


 ……たまらなく嫌な予感がしたが、恐る恐る振り向いてみると、そこには満面

の笑みを浮かべた高嶺さんが立っていた。


 ……。


 もうなるようになれ。


 ちなみに伊藤さんも音楽を選んでいた。……音楽の時間に伊藤さんと話すのはやめておこう。高嶺さんに何を言われるか分からないからな。


 伊藤さんに話しかけようと決意したはいいが、高嶺さんの目の届かないところを見つけるのは至難の技だ。


 ……とかなんとか考えているうちに、授業が始まってしまった。


 

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