第8話 家にて

 「……ただいま」


 とりあえず帰宅した。なんかもう、思い悩むことが一気に増えた感じだ。玄関のドアを開けると、出迎えの声が聞こえた。


「あ、お兄。お帰り。今日の料理当番よろしく」

「え、今日お前の番だったんじゃないの?」

「明日やるから。今日は忙しいの」

「この前もそう言ってたじゃん! その埋め合わせ、まだしてないだろお前!」

「受験生なんだからちょっとは配慮してよ」

「……そう言っとけば済むとか思ってる?」


 この少々わがままな妹、千佳ちかをはじめ、俺の家族はフリーダムな人間が多い。俺は両親と姉一人、妹一人の五人家族である。だが、両親ともに仕事が忙しく、家を留守にしがちだ。だから、俺は事実上、きょうだいで三人暮らしなのである。家事などは三人で分担して当番制でやっているのだが、なんかいろいろ理由をつけてやらない奴(主に千佳)がいるので、結構流動的だ。姉のつばさは大学2年で、妹の千佳は中学3年である。千佳は決して悪い子ではないのだが、末っ子で甘やかされて育ったためか、まあちょっと生意気なところがある。反抗期というか思春期というかに突入したせいもあるかもしれないけど。でもまあ、千佳は平凡な俺とは違って、勉強もできるし、結構可愛いと思う。……身内だからフィルターかかってる可能性はあるが。


 俺、今日掃除当番だったのにな……とか思ってると、


「たっだいま〜。お夕飯できてる〜?」


と、間延びした声が玄関から聞こえてきた。


 姉、翼の帰宅である。


「姉ちゃん、お帰り。聞いてくれよ、千佳が俺に料理当番代われって……」

「あら、そうなの? じゃあ政広のお好み焼き食べたいなー。私、あれ好きだから。というわけでよろしく〜」

「……」


 姉は……まあ、のんびり屋で、いい奴だ。でも少々天然でマイペースすぎるところがあり、空気を読むのが苦手である。とはいえ、俺は全然嫌いじゃないんだけど。というかむしろ……いや、なんでもない。


 俺は夕飯の準備をしながら、ため息をつき、少し思案にふけった。高嶺さんと伊藤さんの言ったことを思い出したのだ。


 高嶺さんの言ったことから確かめよう。とはいえ、まあ普通に考えて、人類を滅亡させる計画になんぞ加担できるわけがない。仮に家族や友人の無事が保障されたとしても、他の人間を見殺しにするなど言語道断だからな。まあ、俺が彼女につく理由は一つもないわけだ。俺がそっちで優遇されるとか言われたけど、俺としてはそんなこと微塵みじんも望んでないわけで。


 というか、むしろ天使につくと言った場合の方を積極的に検討すべきなんだろうな。うん……俺にはまだその気はないが、伊藤さん曰く、人類を救うためにはそれしか方法がないらしい。なぜなのかはよく分からんが。確かに、人類を救済するという、その目的は非常に崇高なものだと思うから、そこに関しては素直に敬意を表したい。ただ、別にその役目は俺じゃなくても良かったんじゃないか、という疑問は残っているので、そこは後で彼女に問いただすべきだと思う。これ以上何かされる前に。


 あと、これは完全に俺のエゴだが、もし本当に魔王とかいうのが人類を滅ぼそうとしていて、それに対抗できる存在がいるとするなら、俺だって救われたいのだ。残念ながら、俺は進んで自分の命を差し出せるほど出来た人間じゃない。……もしかしたら俺は、高嶺さんや伊藤さんが望んでるような人材ではないんじゃないのかな? それはつまり、魔王がどうとか、天使がどうとかよく分からないが、俺みたいな小物に、そんな人類全部の命運を背負って立つ資格があるのか? という率直な疑問である。


 俺は生来、面倒ごとが嫌いなのだ。今まで何かを自分から進んでやったことはほぼない。責任ある立場になることは極力回避してきた。……俺は、自分でも時々嫌になるほど受動的で平凡な人間だ。そんなんだから、今回、天使と悪魔という、両極端かつ現実離れした存在(しかも美少女)に同時に迫られて、キャパオーバーして、両方を拒絶するとかいう方向に走ってしまったのだ。……なんかすごく言い訳じみた感じになってしまった。だがまあ仕方あるまい。


 ……彼女たちの言うことが真実であるならば、本当は俺は突きつけられた問題に対して真摯に向き合うべきなんだろう。しかし、はっきり言って、俺には自信がない。それだけの力もないだろう。だって俺は普通の人間なんだから。……果たして本当に俺が人類の命運を握ってしまってもいいのだろうか。


 一人で物思いにふけっていると、


「まーさひろっ。なーんか考え事してるみたいだねー。あと、お好み焼き焦げてるよ」


 突然後ろで姉の声がした。……え、あ、やばい、ホントだ!


「あっ……どうしよう。結構焦げちゃった……ごめん」

「へーきへーき。これぐらいならいけるって。それ、私食べるね〜」

「姉ちゃん……ありがと」

「どういたしまして〜。ところで政広、何悩んでるの?」

「……な……悩んでなんかないよ。心配しないでくれ」

「ふーん。ま、いいよ、話したくないなら。でもその代わり、辛くなったらお姉ちゃんに話しなさいよ〜。あんまり一人で抱え込まないでさ」

「……うん」


 ……なんだかんだ言っても、姉は優しい人だ。ただ今は、その優しさに甘えるわけにはいかない。俺もそろそろちゃんと自分のすべきことを真剣に考えなくちゃなんだろうな。逃げてばかりいないで。


「おーにーい、まーだ夕飯できないの? おっそーい。お腹空いたから早くしてよ」

「あーもー分かったって! もうすぐできるからちょっと待ってろお前は!」

「お腹空くと勉強捗んないんだからね。あたしが受験失敗したらお兄のせいにするから」

「いや、それはいくらなんでも極端すぎるだろ! というかまだ4月なんだし、今から失敗とか気にすんなよ!」

「受験生はナイーブなのー」


 ……全く、受験生という単語を免罪符のごとく乱用しやがって。でもこいつ、やっぱ憎めないんだよなぁ……。


 ともかくも俺は、まずは伊藤さんに接触してみようと決意した。できれば彼女には、余計な色仕掛けみたいなのは挟まないで話をしてほしい。高嶺さん……と、あとそのファンクラブを自称する連中とかになんか言われても、なんかされても、とにかく自制心を強く持って頑張ろう。……高嶺さんのなまめかしさに当てられて平常心を失う可能性は否定できないけど。



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