第二話 アリア・エルナード

 ◇◇◇◇◇◇


 ──── ベイナント渓谷 ────


 明け方の薄暗がりの中。アリアは大岩にもたれかかり乱れた呼吸を必死で整えていた。

 装備された鉄製のブレストプレートには斜めに大きく深い傷が彫り込まれているのがわかる。


 ──このブレストプレートがなければ私はどうなっていたのか。そう考えるとアリアの冷や汗は止まらなかった。

 アリアは普段から比較的軽装だ。

 服装で重要なのは、一に〝動き易さ〟二に〝可愛さ〟であると思っている。


 つまり、ブレストプレートなどの金属製の装備をしている事はとても珍しかった。今回は〝たまたま〟装備していたのだ。

 しかし、おかげで致命傷を避けれたのだから。非常に幸運だった。


 アリアには物心付く前から両親がおらず、田舎の聖教会で孤児として神の御許で育てられてきたので、今回の幸運は神の御加護だったのかもしれない。


 幼い頃から負けず嫌いで自分の力を信じて切り進んでいく性格だったアリアは、そこまで信仰が厚いわけではなかった。

 だが教会という環境で育ったが故に毎日、神に祈りを捧げる生活は続けてきたのだ。


 そんなアリアは生まれつき魔法の才能があり、教会のシスターにより光の魔法を習い続けてきた。

 だが、シスターとなる道は選ばず。十六歳の誕生日を迎えた日から、冒険者としての人生を始めた。


 それから僅か二年程でAランクの冒険者にまで駆け上がり、アリア・エルナードという名前は中央大陸北部ではそこそこ知られるようになっていた。


 そして十九歳となった現在。

 ランクもAAとなり、アリアは三週間程前からここ──西方大陸に拠点を移して、ルウラの宿屋に住みながら冒険者ギルドで軽く仕事をこなし生活していた。


 西方大陸に渡れどアリアの存在は大きく。既にルウラ周辺では自分の名が広まりつつある事を自覚もしていた。

 故に。少々浮かれていた事は否めないだろう。


 相手はたった一匹のゴブリンだった。

 最低ランクの魔物がたった一匹で自分に剣を向けてきた事でアリアは鼻で笑っていた。

 得意分野の光の魔法〝ライトニングアロー〟で、近付かれる事なくゴブリンを瞬殺する算段を立てた。


 しかしアリアの思い通りにはいかなかった。

 どう育ったのかそのゴブリンの速さも、力も、技も、持っている武器の品質すらも。アリアが想定した数倍は上のレベルだったのだ────



「神がひきし輝ける光の矢は──」


 アリアが魔法の詠唱に入った瞬間、そのゴブリンは一瞬でアリアとの距離を詰めて剣を振り抜いた。

 幸い身体が反射的に反応して飛び退いたが、ゴブリンの剣が僅かに伸びた事を確かに感じた。


 幻覚魔法が付与された魔法の剣は、戦う相手に長さを錯覚させるという。

 まさに錯覚させられたアリアのブレストプレートに、ゴブリンの魔法の剣が激しく打ち付けられた。


 しかし、アリアも高ランク冒険者だ。

 瞬時に光の魔法〝フラッシュ〟が込められた魔法の小瓶を割りゴブリンの目を眩ませた。

 同時に己の速度を上昇させる風魔法〝アクセラレーション〟が込められた瓶も割り、瞬時に近くの岩陰に身を潜めた事で最悪の事態は凌いだ。



 アリアは西方大陸に降りた時から、そこが自分の育った中央大陸より魔物のレベルが低いと感じていた。

 故に規格外のゴブリンがいるとは想像すらしていなかった。


 魔法詠唱の暇さえもらえず、いざという時の為に持っていた魔法のアイテムを一度に二つも消費した事で。

 このまま戦って勝てる相手じゃないという事を理解出来ないほどバカではない。

 次に考えるべきは、そう──逃げる方法だった。


 アリアは自分が隠れている大岩からコッソリ覗いた。

 すると自分を探すゴブリンが一瞬見えた。隠れて移動するには別の岩までが遠すぎるし、もし見つかれば逃げられない事は明白だ。


 しかしアリアの耳に容赦なく足音が聞こえた。

 ゴブリンが近付いて来る足音だ。


 心臓の鼓動が早まる。息が苦しくなってきた。吐息ですら感知されそうで自分でも上手く呼吸が出来ていなかったのだ。


「死にたくない……」


 無意識に口から心の内が零れだし、頭の中は自分の軽率な行動に対しての後悔に満ちていた。


 そもそもアリアがギルドから請け負った依頼は既に片付いており、後は街に戻るだけのはずだった。

 しかしベイナント渓谷の近くを通った時に、以前に冒険者ギルドで目にした依頼書〝ベイナント渓谷のゴブリン討伐〟を思い出したのだ。


 そして軽い気持ちでゴブリン討伐もやってしまおうなどと寄り道してしまった。

 その結果が、絶体絶命の危機を招いたのだ。

 

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