6 帰り道
「ひとまずご覧になってくださいな」
ふんわりと微笑みながら、十和は風呂敷の包みをほどき、畳の上を滑らすように二つを差し出した。しかし、これを受け取ってしまっては、十和が持ち込んだ縁談を受けたと同じこと。
「……拝見するわけにはいきません」
「まあ、基経くんったら。お義母様、ご覧になってくださいますわね?」
押しの強い十和に根負けしたかのように、「見るだけですからね」と言い訳をしながらまずは写真を手に取った。そっと浅葱色の台紙を開く。
一瞬、にいっと十和の口角が上がった。ぞくり、と寒気が走る。
「…………綺麗なお嬢さんね。でも確か、この方は」
歯切れの悪い八重の反応を目にした基経は、思わず釣書が入った封筒を手に取った。
はらりと畳まれた和紙を開くと、流暢な筆書きが現れた。その相手の釣書を目にした基経は、思わず眉間に皺を寄せた。
「十和さん……このお嬢さんは」
「ええ。幼い頃にお会いしたとは思いますが、あの娘も今年で十八です。そう、社務所にいたあの巫女さんと……ちょうど同じくらいかしら」
ふふふ、と小さな笑い声を立てる。
「姉の私が空けてしまった場所を、実の妹が埋めるのは当然のことですわ。ねえ、お義母様、基経さん」
邪心など一切無い、と言わんばかりの無垢な笑みを浮かべる。
義兄亡き後、代わりに基経が十和の夫の座へと収まるはずだったように。
空席となった基経の妻の座を、今度は十和の実妹を収めようというのか。
夫を失った十和に、義弟である基経との再婚を勧めたのは壱重家の親戚筋だ。まるで当然のように話を進められた最中、基経にも赤紙が届いたのだ。
二度も夫を亡くす目に遭っては気の毒だからと、婚約までに留めはしたが。
基経戦死との誤報があった後、十和は壱重家から逃れるように他家へ嫁いでいった。
彼女には申し訳ないことをした。新たな婚家で幸せになってくれたら……と思っていたが、勝手な願望だったのか。
彼女は恨んでいたのか。
基経に自分と同じ立場を押し付けることによって、恨みを晴らそうとしているのか。
「写真と釣書だけでは何ですから、一度会ってあげてくださいな。手前味噌になってしまいますが、妹は気立てが良い娘ですのよ。きっと私の代わりに壱重家の嫁として役目を果たしてくれますわ。少々気が強いのが玉に瑕ですけれど」
無言のままの基経と八重に、にこやかに十和は話を続ける。
「来週はお時間如何でしょう? うちで贔屓にしている御料理屋さんがありますの。お車で三十分も掛からないし、お庭がとっても素敵ですのよ」
「……十和さん」
「あらなあに? 基経くんは懐石料理より洋食がよろしくて?」
「結婚相手は自分でどうにかしますと、以前お伝えしたはずですが」
冷ややかに伝えるが、十和の方はどこ吹く風。困った子供を見るような目を基経に向ける。
「自分でどうにかできないから、いまだに独り身なのでしょう?」
「…………あなたには、もう関係のないことです」
「そんなことを言っていていたら、一生見つからないわよ」
「跡取りの心配でしたら無用です。両親が考えてくれるでしょう。壱重家にはまだ親類筋がおりますゆえ」
基経は笑みを深める。
「ですから今回のお話はお引き取りください」
* * *
夕方はまだ少し肌寒い。けれど分厚い上着はもう必要ないくらいの温かさになっていた。
重苦しい上着とマフラーも必要ない季節、春は繭子がもっとも好きな季節だった。
日もずいぶん長くなって、帰る時間になってもまだ薄明るい。
「ずいぶんと温かくなりましたね」
「はい。もう外套も必要なくなりました」
そういう繭子はブラウスにカーディガンを羽織った姿だ。川沿いに並んだ桜の蕾も膨らみ、来週あたりには花開くだろう。
桜の木を眺めながら歩く。ふわりとゆるやかな風が繭子の前髪を揺らす。
さっきの女性。前に見た生霊で間違いないと思う。とはいえ、基経に「あの人は生霊の人ですか?」なんて聞くのも、どうかと思ってしまう。もし違っていたら、失礼極まりないからだ。
でも、間違いないと思うのよね……。
それにしても、本当に綺麗な人だった。生霊の姿でもあんなに綺麗な人なのだから、実物はさぞかし綺麗なのだろうと思ってはいたが。
……基経さんと、結婚するはずだった人か。
途端、ちくんと胸が痛む。
「……?」
どうしたのだろう。なんだか胸まで苦しくなってきた。
「どうしました?」
基経の声に、はっと我に返る。
「いえ、なんでもありません……あ、そういえば」
誤魔化すように、咄嗟に話題を考える。
伊勢屋の鯛焼き!
基経の分を、あの女性が食べてしまったことを思い出した。そのことを告げると、基経は軽く肩を竦めた。
「もっと買っておけばよかったですね。まさか来客があるとは思っていませんでしたから」
あの女性が言ったとおり、基経は怒ったりはしなかった。
確かに、うちの意地汚い弟たちのように、おやつを取った取られたと喧嘩などしたこともないのだろう。
あの女性は基経のことをよく知っているのだろうと思うと、また息苦しいような痛みが走る。
「……ですが、私も幼い頃はこっちの芋が太いとか細いとか、些細なことで取っ組み合いの喧嘩をしたものです。当時はろくな食べ物もなかったものですから、それはもう必死でした」
幼い日の基経の姿を想像する。今でもお芋ひとつで喧嘩をする弟たちと重ねてみるが、やっぱりうまく思い浮かべることはできなかった。
「来週はわたしがおやつを持ってきますね。とても美味しいカステラがあるんです」
「……まさかとは思いますが、最上堂さんのですか?」
「はい。信夫くんが作っていて、とっても美味しいんですよ」
最上堂の跡継ぎ息子である信夫が作ったカステラ。あれは糸川家でも評判がよく、最上堂でも贈答品として買い求めるお客が多いという。
「あのガキ大将だった信ちゃんが……今では実家を継いで頑張っている姿を見ると感慨深いものがあります」
信夫の方が年上であるが、やんちゃな弟が成長していく姿を見守る姉の気分である。
しみじみと語ると、隣の基経が声を殺して笑っていることに気が付いた。
「わたし……おかしなこと、言いましたか?」
「いいえ」
肩を小さく揺らして笑いながら、基経は目を細めた。
「カステラ、楽しみにしています」
神様の樹 ~ギンナン泥棒とほら吹き宮司~ 小林左右也 @coba2018
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