5 御朱印に舞い散る銀杏

「……私も暇ではないもので、突然来られては困ります」

「あら、お忙しいのはお義父様で、あなたではないでしょう?」

「…………ところで、ご用件とは」

「前にもお話したでしょう? 今日はお写真と釣り書きを持ってきたの」


 基経は招かざる客、眞白ましろ十和とわ……旧姓遠山十和は、母屋の客間で対峙していた。

 基経の隣では義母の八重が、何とも言えない表情を浮かべている。


「十和さん、お気持ちは嬉しいのだけれど、このお話はお断りしたはずですよ」

「まあお義母さま。そんな悠長なことを言っていてはいけなせん。元は私が他家へ嫁いでしまったせいで、基経さんはいまだに独り身。この神社の行く末のためにも、せめてもの償いをさせていただきたいのです」


 穏やかに、だが有無を言わさぬ十和の笑顔。

 基経と八重は顔を見合わせ、困惑の表情を浮かべた。


* * *


 結局、あの女性は何者なのだろう。

 あの後、基経に八重に来客を伝えるように頼まれた。しばらく来客の対応をするからと、繭子は授与所にこうして控えている。

 

 幸い参拝者もない。御守りやお札を揃えたり、棚を拭いたり過ごしていると、ふと出したままの筆と硯が目に入った。

 そう言えば、さっき御朱印を頼まれたと話していたことを思い出す。硯の隣には、お見本らしき書が置かれていた。

 毛筆で「奉拝 銀杏神社」と書かれているそれは、かなり年季が入っているが、お手本にふさわしい綺麗な字だった。


 わたしも……書いてみたいな。


 繭子の祖母は書道の先生をしていて、幼い頃手ほどきをして貰っていた。

『繭子はなかなか筋が良い』と言われ、その気になって一生懸命書いていた。学校でもたまに、賞状書きを密かに手伝うこともある。

 自分でいうのもなんではあるが、毛筆書きは特技だと思っている。


 何か書くものはないかと、辺りを見回す。ふと荷を解いた包装紙や新聞紙が束になっているのを見つけた。恐らく捨てるか燃やすか不要なものだろう。

 そこから一枚を引き抜き、丁寧に皺を伸ばす。


 うん、これなら使えそうね。


 包装紙の裏面なら、少しざらついて墨を吸ってくれそうだ。そのほんのりと黄色みがかった包装紙の半分を御朱印帳と同じくらいの大きさに切り分け、繭子はそっと筆を取る。


 小さな紙に書くのはなかなか難しいが、いくつか書いていくうちに、なかなかさまになってきた。


 ふと、せっかく銀杏の名が付く神社なのだから、銀杏の葉を書き添えたらどうだろう。

 そう思いながら、空白のところに小さく描いた銀杏の葉を散らす。

 山吹色の彩墨で描いたらどんなにいいだろう。


 そんなことを考えながら顔を上げると、背後から声が掛かった。


「なかなかお上手ですね」

「もっ、基経さん?!」


 集中していたせいか、基経が授与所に戻ってきたことに気付かなかった。


「ずいぶんと楽しそうにしていると思ったら、御朱印の練習ですか?」

「……見ていたら書いてみたくなって……申し訳ありません」


 畳に墨が染みてはならないと、書いた手習いは残った包装紙の上に並べていた。基経の視線が向けられていることに気付き、慌てて床に敷いた包装紙ごと無造作に丸める。


「ああ! もったいない」

「いえ、書き損じばかりですから」


 ああもう恥ずかしい……。勝手に御朱印の真似なんかして、悦に浸っていたなんて。

 顔から火が出そうだと、熱くなった頬を押さえる。


「では、これはいただいても?」

「あっ」


 硯の横に、書いたばかりの御朱印もどきを基経は手に取った。そこには細い線で描いた銀杏の葉が舞っていた。

 今まで書いた中では、出来がいいものだ。せっかくだから自分の手元に置いておきたいと思ったが、仕事中に勝手に書いたものだという罪悪感もある。


「……どうぞ」

「ありがとうございます」


 基経がなんだか嬉しそうだから、まあいいかと思ってしまう。


「そう言えば……お客様はもうお帰りになったのですか?」


 基経が戻ってきたということは、そうなのだろう。何気なく訊ねると、基経は微かに渋面を作る。


「今日のところは帰っていただきました」

「……そうですか」


 あの女性は、どうやら招かざる客だったようだ。

 

 でも、あの人……どこかで見たことがあるような……。あんな綺麗な人、見たらきっと忘れないのに。


「………あ」


 ふうっと、突然、記憶の底から浮かび上がる。

 そう。あんなに綺麗な人を忘れるわけがない。級友に似ていると思ったが、その前に遭ったことがあるのを思い出した。


 あの人……夫婦銀杏の下にいた…………幽霊?








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神様の樹 ~ギンナン泥棒とほら吹き宮司~ 小林左右也 @coba2018

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