4 芙蓉の君

「あら、新しい方ね。基経くんはどちらかしら?」


 基経くん。

 基経と親しい人なのだろうか。と同時に綺麗な人だ、と繭子は思う。


 藤色の訪問着に白地に銀の模様が入った帯と、乳白色の羽織姿。豊かな緑の黒髪は上品に纏められている。日に当たっていないかのような白い肌と、黒目がちの濡れたような瞳。目元は切れ長で涼やかだ。


 ふと、誰かに似ているような気がしたが、すぐに思い出せない。


「……失礼ですが、どちら様でしょう」

「あら」


 恐る恐る訊ねると、鮮やかな紅を引いた唇が綺麗な弧を描く。


「遠山家の所縁ゆかりの者、と伝えていただければわかりますわ」


 とおやま……遠山。

 その名を聞いて、この女性が誰に似ているのかを思い出した。

 遠山三和。芙蓉の君と呼ばれる級友クラスメイトに似ているのだ。


 どちらかというと、この人の方が「芙蓉の君」の印象だわ……。


 三和とこの女性は、顔立ちはよく似ているが纏う雰囲気がずいぶんと違う。

 三和はたおやかというよりは、凛々しい印象で中性的な魅力がある。

 目の前のこの女性は、同じ顔立ちでも儚げな印象で、守りたくなるような風情がある。


「……承知しました。では今取り次いで参りますので」

「中で待たせて貰うわね」


 繭子の横を擦り抜け、さっさと社務所に上がり込んでしまった。

 一瞬の出来事に繭子はぽかんとしてしまうが、すぐに我に返る。


「あ、あのっ」


 振り返ると、女性は今まで繭子が座っていた座布団にちょこんと座っていた。


「あら、おやつの時間だったのね。伊勢屋さんの鯛焼き、懐かしいわ」


 女性が手を伸ばそうとした時、繭子は咄嗟に叫んでいた。


「いけません! それは基経さんの分です!」

「平気平気。基経くんは怒りやしないわ」


 繭子の制止も空しく、女性は鯛焼きを一口大に千切り、ぽんと口に入れてしまう。鯛焼きを噛みしめながら、にこりと微笑んだ。


「相変わらず美味しいわ。私ね、少し冷めたのが好きなの」


 女性の言葉にドキリとする。基経も確か同じことを言っていた。

 繭子は早鐘のような心臓の上で両手を握りしめると、ぐっと唇を引き結んだ。そうもしなければ、余計なことを口走ってしまいそうだった。


「……少々お待ちください」


 振り絞るようにそれだけ言うと、逃げるように社務所を出る。

 速足で基経の元へと向かいながら、まだ何か思い出せないものがあるような気がした。


 あの女性。遠山さんに似ているだけじゃなくて、どこかで見たことがあるような……。


 結局思い出せないまま、授与所へとたどり着いた。

 御守りやお札が並んだ受付口から、基経が見たこともない真剣な面持ちで筆を執る姿が見える。

 お客様が来ているのだから、早く声を掛けた方がいいに決まっている。でも、あの女性のことが何か引っ掛かる。

 声を掛けるのを躊躇っていると、ふと基経が顔を上げた。


「おや、繭子さん。どうされました?」

「あの……お客様です」

「お客様?」


 心当たりがないのか、訝しげに眉根を寄せる。


「綺麗な女の人で、遠山家の所縁のものだど伝えればわかる……とおっしゃっていました」

「ああ」


 どうやら検討が付いたようだ。基経はさらに眉を寄せると、苦い溜め息を吐いた。





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