8 ギンナンのおまじない
「でも、ご神木はもう古い樹だから、あまり良い実は取れないっておっしゃっていませんでしたか?」
「確かに実は小さい上、数もそう採れない。ですが、ご神木から採れる実ですからね。大変貴重なものですから、ギンナン盗人に盗られないよう、いつも注意を払っているのです」
ギンナン盗人って……。
穏やかな口調であるが、言葉の端々に棘を感じる。
居心地悪いやら、耳がいたいやら。すぐさまこの場から消えてしまえたらいいのにと思う。
「よかったらあなたもお食べなさい。無病息災のご利益がありますよ」
「……お気持ちだけで十分です」
「若いお嬢さんが遠慮なんて無用です」
無理やり手の中にねじ込まれた。これでは受け取るしかないだろう。
「午後は私と一緒にお札やお守りをお授けする手伝いをしてください」
「……はい」
基経と一緒に仕事をしなければいけないなんて。最後の蜜柑もお腹に納めてしまったので、繭子は仕方なく腰を上げた。
お守りやお札を授与する窓口は、大きく開放されていて非常に寒い。しかも小袖の袖口や襟元、袴までも風通しが良すぎて、熱いお茶を飲んでも、ストーブに手をかざしてもちっとも温まってくれない。
両手を擦りながら彼の隣に座ると、ぶるりと大きく身を震わせた。
「寒いですか?」
「ええ、多少」
強がってみせるが、本当は多少どころではない。すると、さきほどの女性たちが使っていた膝掛けを渡される。
「膝や腰に掛けておきなさい。ああ、これもよかったらどうぞ」
自分の懐から小さな巾着袋を取り出すと、繭子の手にしっかりと握らせた。
ベンジンの匂いが多少気になるが、じんわりと温かい。可愛い柄の巾着袋に入っているのはカイロだった。
指先を暖める小さなカイロを握り締めると、繭子は慌てて礼を述べる。
「ありがとうございます」
「いえ、どういたしまして」
素っ気ないが、一応は気を使ってくれているらしい。
もしかして、そこまで悪い人ではないのかもしれない。
ちらりと基経を盗み見る。彼の視線は境内を行き交う小さな子供たちに向けられていた。
繭子も同じように着飾った子供たちを眺める。
楽しげにはしゃぐ子供たち。追い掛ける大人たち。色付いた黄金色の銀杏の葉が、幸せそうな家族を彩るように降り注ぐ。
不思議だ。あんなに怖いと思っていた夫婦銀杏の樹が、今はほとんど怖いと思わないなんて。
ひらひらと舞い落ちる銀杏の葉を、素直にきれいだと思えるだなんて。
七五三か……。
ふと、目の前の子供たちを見て考える。
繭子が七五三の時はまだ終戦を迎えたばかりだった。一番やりたくなかったお参りはしたものの、今の子供たちのように着飾りは出来なかった。
贅沢を言ってはいけないのはわかっている。綺麗な晴れ着を纏ったり、甘い千歳飴が欲しかったなと今でも思ってしまう。
そういえば梨恵子は晴着を着ていたな、と思い出す。さすがお嬢様は違う。
しばらく境内を眺めていたが、何もしないで二人で過ごす時間が非常に気まずい。
せめてさっきくらい忙しかったらよかったのに。
早く叔母様方と交代してくれることを祈りつつ、何気なく目の前に並んだお札や御守りに目をやった。
その時、ふと「恋愛成就」と書かれたお守りに目が止まった。
手のひらに収まるほどの薄紅色の巾着袋には、小さな丸い物が入っているような膨らみがある。何気なく手に取ってみると、袋には説明が書かれた薄紙が帯のように巻かれていた。
「このギンナンは、当神社のご神木である夫婦銀杏から実ったものです。あなたの恋もきっと、この実のように芽吹くでしょう……って、これ」
梨恵子が話していたギンナンのおまじないに酷似している。
思わずお守りを握り締めて基経に向き直ると。
「あなたの話を聞いて置いてみたのですが、なかなか売れ行きは好調ですよ」
恋のおまじないだと話した時、人を馬鹿にしたような態度だったくせに、ちゃっかりとお守りとして売り出すなんて、ずうずうしいと言うべきか、ちゃっかりしていると言うべきか。
「よかったらお友達のお土産にでもいかがですか?」
「…………結構です」
その時だった。
「すみません」
突如外から鈴を鳴らすような少女の声がした。
途端、繭子はその瞬間、床に突っ伏した。
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