3章 跡取り息子の婚活事情

1 回想

 儚げな人だと思っていた。


 その印象は今も変わらない。例えその腕に赤子を抱いていたとしても、彼女は幻のように、幽鬼のように、常世の住人のような儚さをただよわせている。


「ねえ、基経もとつねくん」


 かつて義兄の妻であり、義兄亡き後は束の間の許嫁であった女性……十和とわは、緑の葉が芽吹き始めた夫婦銀杏を見上げながら言った。


「基経くん。あなた、今良い方はいるの?」


 何を言い出すのかと思えば。

 ふと、とある人の面影がかすめたが、はぐらかすように背を向ける。


「さあ、どうでしょうか。風が出てきたから、そろそろ中に戻りましょう」


 十和が背後から近付いてくる気配がする。気づかぬ振りをしてそのまま進むが、「待って」と彼女が袖を引く。


「もしよければ、私に任せてくれないかしら?」


 仕方なく足を止めると、十和は意気込んだ様子で口を開いた。


「あなたと合う年頃のお嬢さんに心当たりがあるの。壱重いちょう家のご両親も、あなたがいつまでも独り身だから心配されているのよ」


 本当に、何を言い出すかと思えば。

 しかし、案外心が痛まないことに驚く。

 これまで、かつての許嫁であった彼女にこんなことを言われたら、どんな思いをするのだろうと恐れていたというのに。

 もう自分の中では、彼女は過去の人となったのだろう。

 

「…………間に合っています」

「まあ、じゃあ良い方がいるのね?」


 足早に基経の隣に並ぶと、好奇心に満ちた目でのぞき込む。


「あなたには関係ないことです」

「まあ……水臭いわ。私も責任を感じているのよ」

「あなたに責任を感じていただく必要はありません」

「もう……」


 彼女は拗ねたように呟くと、小さな溜め息を吐いた。


 儚げだった彼女は、ずいぶんとしたたかな人になった。いや、もしかすると以前からそうだったのかもしれない。

 少しは彼女を見習うべきだろうか。

 生きることに貪欲に。望むものに手を伸ばしてもいいのかもしれないと、彼女を見ているとそう思う。


「私はもう平気です」


 せっかく生きているのだから、もう少し欲張ってみようか。

 何気なく思い付いた些細な決意に、思わず笑みが溢れた。


「大丈夫です。自分の伴侶は自分で探しますから」

 





 

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