23 逢魔が時の樹の下で

 どうしよう……。


 翌日、繭子は銀杏神社へ向かった。

 向かったはいいが、神社の近くまで来たものの中に入る勇気が出ない。


 近くの本屋で寄り道をしていたが、そろそろ限界だ。

 長居していたせいで、おかしな目で見られていたらしい。一冊本を買かったものの、始終店主に怪しいと言わんばかりに不躾な視線を向けられていた。


 繭子は逃げるように本屋を後にしたが、外に出ると、すでに陽は傾き始めていて驚いた。


 こんなに長くいたら、お店の人も怪しむはずね……。


 昼過ぎに出たというのに、陽が暮れるまで本屋にいたとは。意気地の無さに、我ながら呆れてしまう。


 梨恵子の家で勉強をすると言ってきたから、あんまり帰りが遅くなると不味い。

 基経に会うのなら、すぐに行動に移さないと……とは思うが、やたら緊張して上手く話せるか自信がない。


 やっぱり……今日は無理かもしれない。


 今日は遠目から姿を見るだけで帰ろうそう思った途端、少し気が楽になった。

 勢いでここまで来てしまったが、やっぱり覚悟ができていなかったようだ。


 繭子は物陰に隠れながら、恐る恐る神社へ近付いた。周囲に人もいなかったのが幸いだ。

 とうとう神社の鳥居を目前にしたが、やはりこの周辺にも人の気配はない。


 普段なら基経さん、掃除をしているはずなのに……。 


 繭子は不思議に思いつつ、鳥居をくぐった。


 しゃりしゃりと、自分の足音だけがやけに響く。空はいつの間にか綺麗な朱色で、ああ明日はいいお天気のようだ……と、呑気に思いながら歩く。


 ……どうして誰もいないのかしら。


 遠くから基経の姿を、鳥居の前を掃除する彼の姿を見て、すぐに帰るつもりだった。なのに、気が付くといつの間にか、拝殿の前に立っていることに驚いた。


 さすがにおかしいと、今更になってようやく気が付く。


 カラスの鳴く声もない。

 それだけではない、何かしら聴こえるはずの音、風の音や遠くから聞こえる人の声……といった音が聴こえない。


 境内は夕陽で染まり、周囲の木々の影が色濃く地面を染めている。

 影をたどった先には夫婦銀杏。二本の大樹が寄り添うように、空高く枝を伸ばしていた。無意識のうちに、繭子は夫婦銀杏へと足を進めていた。


 異界とこの世の境目……だっけ……。


 ようやく繭子は、逢魔が時と呼ばれる時刻を迎えていたことに気が付いた。


 見慣れた場所だというのに、知らない場所へ紛れ込んでしまったような感覚に、急に恐怖が足元から這い上がってきた。


 帰ろう……帰らないと。


 後ずさりしたその時、少し離れたところから砂利を踏む足音が聞こえた。

 繭子は思わず足を止める。ゆっくりゆっくり歩を進めるように砂利が鳴る。


 わたしの足音じゃない。誰かが、いる。


 音がするのは、背後からだ。恐る恐るそちらに目を向けると、よく見知った人の姿に凍り付く。


 基経さん……?


 基経もまた、繭子の姿を目にした途端、驚いたように目を瞠る。


 ど、どうしよう……今日は会うつもりじゃなかったのに!


 確かに基経に会いに来たのではあるが、今日はまだ会いたくなかった。いっそのこと、あの女性の生霊が出てきてくれた方がありがたかった。

 恥ずかしさと気まずさのあまり、この場で消え去りたい気持ちでいっぱいになる。


 逃げよう、とにかく逃げよう。


 そう思っているのに、一歩も動けない。しかも、じゃりじゃりと足音を立てながら迫ってくる基経は無表情で怖い。


 背後には夫婦銀杏。眼前には基経。繭子は逃げ場を失い、ぎゅっと目を閉じた。

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