22 もしかすると、なんて

「まあ、まずは食え」


 最上堂で出されたのは、厚切りのカステラと熱々の番茶だった。

 店内の縁台で食べるのは落ち着かないが仕方がない。しかも、いつもいるはずの信夫の両親の姿が見当たらない。


「おじちゃんと、おばちゃんは?」

「お得意先のお嬢さんの結婚式」

「へえ、だからお休みなんだ」

「神社の配達分で、今日の仕事はおしまいだ。無駄口はいいから、さっさと食いやがれ」

「はいはい、いただきます」


 さっきの話が気になって、食べ物が喉を通る気がしない。とはいえ、せっかく用意してくれたのだからと、繭子はカステラに添えられた菓子切り楊枝を手に取った。


 蜜を吸ったようにしっとりした生地は柔らかく、口に入れると濃い卵の風味と強い甘味が広がる。しゃりしゃりと音を立てるザラメの食感。噛むほどに甘味が滲み出てくる。


 あまりの美味しさに、思わず頬を押さえる。


「美味しい……」

「だろ?」


 信夫は誇らしげに胸を張る。

 前言を撤回する。甘い甘いカステラは、するりと喉を通ってしまった。

 正月明けに梨恵子の家でご馳走になった時よりも美味しくなった気がする。

 

「気に入ったら、じゃんじゃん触れ回ってくれよ。最上堂のカステラは旨いってさ」


 繭子はカステラを頬張りながら頷いた。


「……ところで信ちゃん」

「なんだ?」

「さっきの神社の話だけど……どうしてそんなに詳しいの?」

「ああ、うちは商売してっから。色んな話が耳に入ってくるんだ」

「そっか……」


 不意に、防空壕から出た時に見た、焼け残った夫婦銀杏の姿を思い出す。

 あの二人は、夫婦銀杏の実と枝を交わし合ったのだろうか。


「ところで、繭子さ」


 信夫の声で、思考に沈んでいた意識が浮上する。


「うん?」

「……いや、あの神社で……今後も手伝いに行ったりするのか?」

「それは……」


 どうだろう。最初は脅されて、次は頼まれて。その次はあるのだろうか。


「今のところ、予定は無い……かな」

「そっか」


 ホッとしたように、信夫は相互を崩した。


「あそこに関わるのは、ちょっと面倒そうだからな。もう関わるのは辞めとけ」


 面倒そうとは酷い言い様だ。繭子はムッとなる。


「……皆さん、いい人たちよ」

「いや、皆がっていうわけじゃなくて……そうじゃなくてさ、あの兄さんだよ」


 基経さんがどうしたというのだろう。

 繭子は首を傾げる。


「あの兄さん、お前のこと結構気に入ってるみたいだったからさ……妙なことになったらどうするんだよ」

「妙なことって?」


 信夫は一瞬言葉を詰まらせる。


「なんつーか……ほら、あの兄さんの嫁になんて話になったらどうするんだよ」


 信夫の突拍子もない話に、繭子は思わず吹き出した。


「何、馬鹿なこと言ってるのよ。無い無い、絶対に無いってば」

「でもなあ」

「あの人が欲しいのは、都合のいい労働力だから」

「そ、そうか?」

「そうよ。それに信ちゃんも言ってるじゃない。『この世の男は、お前みたいなガリガリの見返り入道に興味持つわけない』って」


 うっ、と信夫は苦い顔になる。

 元許嫁は、かなりの美人だったのなら尚更だ。繭子なんて箸にも棒にも引っ掛からないだろう。


「まあ……けどお前、よく動くし気が利くし、爺婆には受けがいいじゃねぇの」


 なるほど。嫁という名の労働力か。


「それはそれは、ありがとうございます」


 適当に受け流すと、信夫はきまり悪そうに首筋を掻く。


「まあ……ガキの頃は言い過ぎた。悪かった」


 あの信夫が謝るなんて。今日は一体どうしたのだろう?


「……信ちゃんさ」

「おう」

「最近、やけに親切ね」

「お、俺は前から親切だぞ」


 と胸を張って言うものの、視線が泳いでいる。が、すぐに観念したように息を吐くと、がりがりと首筋を掻き毟った。


「……まあ、俺もいつまでもガキ大将なんて呼ばれたかないからさ」


 どうやら以前、基経に言われたのが堪えたようだ。

 その表情が、子供の時に叱られた表情そのもので、笑いそうになってしまう。


「おい……笑うな」

「ご、ごめん」


 繭子は肩を震わせながら、笑うのを誤魔化そうとカステラを頬張った。


 わたしはどうしたいのかしら。

 信夫の冗談はさておき、繭子自身がどうしたいのかを考える。

 信夫はやめろというが、神社の手伝いは結構楽しかった。

 ご夫婦もおば様方も親切だ。

 基経は、最初は怖いし感じが悪いと思っていたけれど、実は当たりは柔らかく、そつが無い。

 何より、あれだけ怖がっていた夫婦銀杏が、少しだけ怖くなくなった。

 怪異を寄せてしまうと聞いたからかもしれない。理由がわかれば、意外と怖くないのかもしれない。


 でも。

 月明かりの下で見せた、銀杏泥棒を目ね付けた冷やかな眼差し。

 甘酒が美味くできたと嬉しそうに笑った顔。

 逢魔が時の夫婦銀杏の下で見せた、少し途方に暮れた顔。


 もう少し、あの人がどんな表情を見せるのか、知ってみたいような気がする。

 

「わたしは……そうね……」


 もしかすると、また神社の手伝いを頼まれることがあるかもしれない。

 もしかすると、町のどこかですれ違うかもしれない。


 だけど。『もしかすると』来るかもしれないと思っていた基経からの連絡は、あれ以来ずっと来ない。だから。


「もしかすると……は、やめようかな」

「はあ? なんだそれ?」


 訝し気に顔をしかめる信夫に、繭子はただ笑った。

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