20 美しい人
「ごめんください、最上堂です」
「はーい」
パタパタと足音が近付いてくる。この声は奥様の八重子に違いない。
基経じゃなくてよかったと思うが、やはり久しぶりのせいか緊張する。
直立不動で待っていたら、信夫に肩を小突かれた。
「おい、顔が怖えーぞ。笑顔だ笑顔」
「……う、うん」
そうだ。手伝いとはいえ、今は最上堂として来ているのだから。
笑顔になろうと、努力し始めたところで、カラリと玄関の戸が開いた。
「こんにちは最上堂さん……あら、繭子ちゃん」
信夫の隣にいる繭子の姿に、八重子は驚いたように目を丸くする。
「こんにちは。ご無沙汰しています」
ぎこちない笑顔で何とか挨拶をすると、八重子は少し考えるように繭子と信夫を交互に見つめる。
「繭子ちゃん……もしかして最上堂さんの息子さんとは仲がよろしいの?」
「いいえ、まったくです」
おい、とまたもや信夫に小突かれるが気にしない。
「単にご近所さんで、幼馴染の腐れ縁なだけです。この通り、身体が大きいものですから、力仕事をよく頼まれるのです」
「あら……そうだったの」
何故だかホッとしたように、八重子は微笑んだ。
「繭子ちゃんは働き者だから、あちらこちらで引っ張りだこね」
「いえいえ、とんでもないです」
その時、奥から猫に似た鳴き声が上がる。
「あら、大変。目が覚めちゃったみたいだわ」
火が点いたような鳴き声、いや泣き声だ。赤ちゃんが泣いている。
「今日はお客さんが来ていて、ちょっとバタバタしているの。本当ならゆっくりしていって貰いたいのだけど、ごめんなさいね」
「いえ、今日はお菓子を届けに上がっただけですから」
「ああ、そうだわ最上堂さん、繭子ちゃん。すまないけど、上がってお菓子をお台所に持って行って貰える? 繭子ちゃん、最上堂さんを案内してあげて」
「は、はい」
よろしくね、と八重子は客間の方へと急いで行った。恐らく泣いている赤ちゃんの様子を見に行ったのだろう。
八重子が去った後、信夫と顔を見合わせる。
「ええと……上がっていいってことだよな」
「うん。上がらないと、台所に持っていけないもの」
「……じゃあ、お邪魔するか」
「お邪魔します……」
靴を脱ごうとした時、三和土に並んでいる履物のひとつに目が留まった。
婦人用の革靴だ。今日下ろしたばかりのようにピカピカだ。恐らく、今日来ているというお客のものだろう。
「台所、どっちだ?」
「こっち、真っ直ぐ」
風呂敷包みを抱えて、廊下を進む。
薄暗い廊下を進むと、すぐに台所だ。調理台に空いた場所を見つけ、そこに風呂敷包みを置く。
お客様のだろう。お茶の支度が用意されていた。茶托と湯呑み茶碗が四つずつ。思ったよりお客様の人数は少ない。
「お客が来ているにしては静かだな」
「……そうね」
日持ちするお菓子は、お土産なのかもしれない。
やだ……詮索しているみたい。
反省しつつも、ふとさっき聞こえた赤ちゃんの声が気になった。
お客様の赤ちゃんだろう。自分でもよくわからないが、何か引っ掛かるもの感じる。
つい考え込みそうになるが、信夫と一緒に来ていたことを思い出す。
「ごめんね、帰ろうか……信ちゃん?」
いない。いつの間にか信夫は姿を消していた。
「ちょっと……信ちゃん」
信夫は先に戻ったのだろう。追慌てて繭子も後を追う。
「……いない」
てっきり玄関に戻っているかと思いきや、そこにも信夫はいない。履物はそのままだ。
「もう、どこに行っちゃったのよ……」
もしかして、間違えて客間の方へ行ってしまったのか。
そう思った繭子は、客間へ続く廊下がある方へ向かう。すると、廊下に差し掛かかる手前に信夫がいるではないか。
「信ちゃん」
「しいっ」
静かにしろ、これ以上来るなと手で制される。
全く、他所のお家で何をやっているのやら……。
よくわからないが、信夫の指示通りに立ち止まる。すると信夫は壁に貼り付いたまま、顎で窓の外を指し示す。
何なのよ、もう。
その廊下は庭に面している。床から背丈を超すほどの大きな硝子窓になっていて、窓から暖かな陽射しでいっぱいだった。
身を隠してそっと庭を覗くと、小袖と袴姿の青年と、薄桃色のワンピース姿の女性の姿が見えた。その女性は、おくるみに包まれた赤ちゃんを抱いている。
もちろんその青年は基経だ。一緒にいる女性がお客様だろうか。綺麗にひとつにまとめられた黒髪と、背が高く、すらりとした後ろ姿が印象的だ。きっと綺麗な人なのだろう。
何やら二人は親しげで、こうして見ているとまるで夫婦のようだ。
見ていられなくて、目を逸らしたが、ふと何かが引っ掛かった。
あの人……どこかで見たことが。
「……あの人、戻って来たのか?」
記憶の糸を辿ろうとした時、信夫がひとり言のように呟いた。
「知ってる人なの?」
「いや、直接は知らないんだけどさ。子供の頃、何度か見かけたことがあって、すっげえ美人だったから覚えてる」
「へえ」
やっぱり美人なのか。美人というのは、後ろ姿だけでもわかるものだと感心する。
「どんな人なの?」
「ここの神社の元嫁だよ」
何気なく言い放たれた言葉に、繭子は息を呑み込んだ。
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