14 正体

 逢魔が時。

 魔物と禍が跋扈する時間。

 それは神域である神社でも同じこと。


 以前、基経が告げた言葉を思い出した途端、心臓を掴まれたかのように息苦しくなる。


「わたし……霊感なんてないのに……」

「幼い頃、神社ここの夫婦銀杏が怖かった、と言っていましたね」


 基経は湯呑み茶碗をお盆に置くと、障子の隙間から覗く薄暗い空に視線を投げ掛けた。


「あの樹には、元々怪異の類いを惹き付けるものがあるのでしょう。恐らく、あなたは勘がいいようだ。ここに来るようになって、怪異を見る力が開花したのかもしれません」

「そんな……」


 繭子は茫然と呟いた。

 やはり、この神社と関わってはいけなかったのだ。

 でも、神社ここで過ごした時間は、けして嫌ではない。むしろ心地いいとさえ感じていることをもう自覚していた。


「繭子さん、お願いがあります」

「い、嫌です」

「まだ何も言っていませんよ」


 基経は困ったように眉根を寄せる。


「だって……夫婦銀杏の下へ一緒に行こうと言うのでしょう?」


 すると基経は驚いたように目を瞠ると、ふっと目元を緩ませた。


「繭子さん、以心伝心ですね」

「何を馬鹿なことを言い出っているのですか」

「大丈夫、あれは死霊ではありませんから」

「死霊じゃなければいいという問題ではありません。でも……どうして死霊ではないと?」


 そう。どうして死霊ではないと、この人は言い切れるのだろう。

 もしかして、正体を知っているの?


「では……一体」

「そうですね」


 基経は再び外へと目を向けた。まるでそこに答えがあるかのように。


「……人を惑わす、物の怪の類い。でしょうか」


 自分でも確信が持てないのか、曖昧に呟く。

 繭子は大きく身体を震わせると、じりじりと後ずさる。


「……わたし、怖いのは駄目なんです」

「実は私もです。ですが」


 火鉢の赤く燃える木炭を見つめる。

 基経の瞳に映る赤が、ゆらりと揺れた。


「確かめたいのです。あれを見せるものの、正体を」

というのは……あの女性のこと、ですか?」


 基経は静かに頷いた。


 繭子が幽霊だと思った女性。

 基経が知りたいのは、この女性を見せるものの正体。

 一体どういうことなのだろう。


「確かめたいのですが……ひとりでは怖いのではす」


 怖い?

 繭子よりもずっと大人で、この世に怖いものなんて無いような顔をしているのに。

 予想もしない基経の告白に、繭子はどう答えたらいいのかわからない。


「あの怪異と、向き合うのが怖いのです。だけど繭子さん、あなたが隣に居てくれたら……向き合えると思うのです」


 基経は繭子を真っ直ぐ見つめると、深く頭を下げた。


「お願いします。御神木まで、ご一緒願えませんか?」

「え、やだ、頭なんか下げないでください」


 そう頼んでも、基経は顔を上げてくれない。

 繭子はあたふたとするばかりで、どうしたらいいのかわからない。

 こんな小娘に頭を下げるなんて、よほど怪異が恐ろしいのだろう。

 それでも向き合いたいと、思う何かが基経にはあるに違いない。


「……わかりました」


 しばらくの間、葛藤していた繭子だが、首を垂れたままの基経にその決意を告げる。


「行きます。わたしも」


 固い声で宣言すると、突如基経はむくりと首をもたげた。


「……繭子さん。安請け合いしてはいけないと言ったばかりですよ」

「頼んできたのは、基経さんの方じゃないですか」

「確かに」


 基経は笑みを滲ませると、安堵したように目を細めた。





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