10 その理由
「……まゆちゃん、学校でずっとふさぎ込んでいて、何かあったのかなと思って。そうしたら幽霊を見たっていうから、つい気になってしまって」
繭子は、ただただ冷や冷やしながら耳を傾けていた。
「だから三人でここに来たというわけだったのですね」
「はい」
梨恵子はお行儀良く頷いた。
「ですが、繭子さんが正体を突き止めたいと言っていたのですか?」
「それは……」
梨恵子は困ったように口を閉ざす。
梨恵子は昔から、自分が正しい楽しいと思うと、人の話を素通りしてしまう節がある。
基経は、ふうと息を吐いた。
「お友達が嫌がっているのに、無理やりとは感心できませんね」
「ですが、普段はまゆちゃん、いつも私のお願いを聞いてくれて……」
「ですが繭子さんは拒否されていましたね」
「……はい」
さすがにそれは覚えていたようだ。梨恵子は素直に頷いた。
静かに、諭すように基経は告げる。
「彼女はあなたの親でも兄妹でもありません。無論、親や兄弟だからと言って、何を言ってもいいわけではありませんが、いつまでも相手の気持ちを考えず、自分のきもちばかりを優先していれば、いつしか心は離れてしまいます」
「でも……」
梨恵子が困惑している様子が伝わってくる。繭子は目の前の湯飲み茶碗を見つめたまま、救いを求める梨恵子の視線を感じていた。
梨恵子は、繭子に「そんなことはない」と言って欲しいのかもしれない。けれど今の繭子には、梨恵子の気持ちを汲むことはできなかった。
梨恵子の両親も、そして繭子も、いつも梨恵子の我が儘を聞いてきた。だからなんだかんだ言っても、皆自分の言うことを聞いてくれるものだと思っている梨恵子にとって、基経の言葉は受け入れがたいものに違いない。
「あなたにとっては些細なことでも、相手には些細なことではないかもしれません。気付かないうちに、相手を傷つけている場合もあるのです」
相手を傷つけている。
梨恵子は思いもよらなかったようだ。驚いたように目を瞠る。
「……せっかくの友人を失ってしまいますよ」
「そんな」
再び梨恵子の視線を感じる。それでも繭子は顔を上げなかった。
「……ごめんなさい」
梨恵子の大きな目から、ぽろぽろと涙が零れる。
伏し目がちな長い睫毛から溢れる涙は、まるで綺麗な硝子玉のようだ。泣いている様も儚げで、庇護欲を掻き立てる風情である。
しかし、基経は容赦ない。
「謝る相手が違います」
厳しい口調に、梨恵子は小さくと肩を震わせる。すん、と鼻を啜ると、ゆるゆると繭子に向き直った。
「まゆちゃん……ごめんね」
「……うん」
「梨恵子のこと、嫌いにならないで……」
振り絞るように呟くと、嗚咽を上げながら泣き出してしまった。
「梨恵子……」
まるで小さな子供みたいだ。梨恵子の泣き顔に、つい絆されそうになる。
「梨恵子のこと、嫌いになっちゃった?」
「嫌いなわけないじゃない。でも」
「でも?」
正直に言ってしまおうか。
繭子は唾を呑み込むと、思い切って本心を口にした。
「あまり我が儘ばかりは困る。わたしは……梨恵子の婆やさんじゃないんだから」
「……そんな。婆やだなんて思ったことないわ。ごめんなさい、まゆちゃん。そんな風に思わせていたなんて……」
梨恵子はしょんぼりと肩を落とした。
自分は澤田家の人身御供だと思っていたけれど、梨恵子と一緒に過ごすのが嫌だったわけじゃない。
我が儘ばかりで振り回されて。困ったことの方が多かったけれど、同時に楽しかったことだってある。いい思い出も、多分ある。
「まゆちゃんは……三人兄弟の一番のお姉様でしょ?」
「……うん」
「だからお兄様が生きていらしたら、まゆちゃんみたいな感じだったのかなって思っていたのかもしれない」
「わたしは……お兄様でもないわ」
「そうね、まゆちゃんはお兄様でも婆やでもない……ごめんね」
「梨恵子も、少しはわたしの話も聞いて欲しい」
「うん。気を付ける」
ほら、と繭子は自分のハンカチを梨恵子に手渡した。
ハンカチで涙を拭いながら、上目遣いで基経を見つめる。
「……神社のお兄さん」
「はい、なんでしょう」
「実は……ギンナンの件も、梨恵子が、恋のおまじないに必要だからって……まゆちゃんに頼んだんです。ごめんなさい」
梨恵子は座布団から降り、基経に向き直ると畳に手を付いて頭を下げた。
「知っています。それに、もう済んだことです。ほら、顔を上げて」
「ごめんなさい……」
くしゃり、と梨恵子は顔を歪ませる。基経は優しく目を細めた。
「仲良くしてくださいね、二人とも」
「はい……」
まるで先生のようだ。よく考えてみると、担任と基経は歳が変わらないのでは……とぼんやり考えている時だった。
「それから繭子さん」
「は、はい」
突然名を呼ばれ、思わず背筋を伸ばす。
「あなたも、何でもかんでも言うことを聞き入れるのも考え物です。あなたも以後気を付けるように」
「はい……」
梨恵子には優しく、自分には厳しいと感じるが、恐らく気のせいではない……理不尽だ。
「それと、信夫くんは……」
今度は信夫に目を向け、薄く笑う。
「そろそろ、『ガキ大将の信ちゃん』は返上しないといけませんね」
一瞬、ぽかんとした信夫だったが、不服そうに唇を引き結ぶ。今年で二十歳になるというのに、ガキ大将と言われては面白くないだろう。
「お父様によろしく。最上堂さん」
「はい……」
信夫はぼそりと呟くと、決まり悪そうに首の後ろを掻きむしった。
「ところで、お兄さん」
泣いたカラスはどこへやら。
梨恵子はケロリとした顔で訊ねる。
「
「り、梨恵子!」
慌てて繭子はたしなめるが、基経は「そうですねぇ」と、楽しげに笑う。
「
と、意味ありげに笑みを深めた。
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