8 冷たい眼差し

 この寒空の下、梨恵子は春の陽射しの下でも歩くかのように颯爽と歩く。

 信夫と並んで歩く梨恵子の姿を、繭子は後ろから眺めながら、とぼとぼと歩いていた。


 まさか、また神社に行く羽目になろうとは思っていなかった、といったら嘘になる。梨恵子に話してしまった時点で、薄々こうなることは予想していた。

 幼い頃からこんなことの繰り返し。学習能力のない自分に、ほとほと嫌気が差す。


「まゆちゃーん、早く早く」


 いつの間にか、二人と距離が開いていたようだ。「はいはい」と返事をしながら、重たい足を無理やり進める。


 幽霊を見た、と言ってしまったものの、正直なところ自分が見たものが幽霊だったのか確信が持てなかった。

 不思議と怖いとは思わなかった。幽霊というよりは、幻というべきか。恨み辛みを背負った雰囲気はなかった気がする。

 だからといって、また遭いたいとは思わない。


 まだ僅かに夕陽が残る空。

 夫婦銀杏の枝が地面に落とす暗い影。

 白く浮かび上がる背中を覆う黒く長い髪。

 身重のだとわかる薄い浴衣を纏った姿。


 思い出すと、ぶるりと寒気を覚える。

 やっぱり怖い。でも、この二人に告げたところで聞き入れては貰えないだろう。


「前は入っちゃいけない時間に行ったから怒られちゃったけど、今度は明るいうちに中に入れば大丈夫だと思うの」


 神社へ向かう道のりで、梨恵子は得意げに語る。

 まだ夕暮れまでには時間がある。確かにこの時間ならば、参拝にと境内に入っても咎めるものはいない。


「でもお嬢さん。こんなに明るくちゃあ、出るもんも出ないじゃないですか?」


 すると、梨恵子は得意げに微笑む。


「でしょう? だから、明るいうちに入り込んで、暗くなるのを待つの!」


 またとんでもないことを言い出した。

 繭子は溜息を堪えて、冷静に告げる。


「あのね、梨恵子。今はそこまで参拝に来る人も少ないだろうし、ずっと境内に居たら怪しまれると思うの。広いとは言っても、隠れるような場所はないでしょう?」

「でも、まゆちゃん。神社のお兄さんと仲良しでしょう? 参拝したら『さようなら』とはならないと思うの」


 どういうことだろうと、繭子は首を傾げる。


「きっと『お茶でもいかがですか』って、おうちにあげて貰えると思うの。話に花を咲かせていたら、あっという間に夕暮れになるでしょ。せっかくだから、帰りに境内をお散歩させて貰うっていうのはどう?」


 図々しい上、都合がいい計画に、繭子は額を抑えた。


「悪いけど……そこまで仲良くもないし、歓迎もされないからね」

「そうそう、確かに愛想の欠片も無い繭子じゃ歓迎なんてされないわな。無理な話ですよお嬢さん」


 自分で言っておいてなんだが、人に言われると腹が立つ。しかし、梨恵子が諦めてくれるなら、これくらい我慢するしかない。


「そんなことないよ、信夫くん」


 だが、梨恵子は首を振る。


「だって神社のお兄さんが直々に、お正月のお手伝いに来て欲しいって頼みに来たのよ? お給金もちゃんといただいた上に、お菓子とお神酒までお土産にくれたんだって。歓迎されるに決まってるじゃない」

「へえ、そうなんですか……」

「そう、だから大丈夫だと思うの」


 自信満々に言い切る梨恵子に、圧されるように信夫は頷いた。


 神社の手伝いをすることになった経緯は、梨恵子に一切話していない。なのにひと通り知っているということは……恐らく母か弟たちか。


 駄目だ。自分でちゃんと、どうにかしなくては。


 神社に迷惑を掛けるわけにはいかない。

 もちろんそれもあるが、幽霊見たさに神社に友人二人を引き連れてやって来たなんて知られたら、基経にどんな目で見られるか。


 ギンナンを盗みに入った去年の秋を思い出す。

 あの時の、基経が見せた冷やかな目。あの時は非があるのは自分であるし仕方がないと思いつつも、感じが悪い人だと思ったくらいだった。


 でも、今はあの時の目を再び向けられるのが怖かった。


「二人とも、待って」


 神社を目前にして、ようやく繭子は声を上げた。


「どうした?」

「まゆちゃん、どうしたの?」


 足を止めた信夫は、怪訝そうに目ね付ける。梨恵子も不思議そうに首を傾げた。

 繭子は二人の顔を交互に見ると、大きく息を吸い込んだ。


「やっぱり神社には行かない」


 きっぱりと、繭子は言い放った。


「神社の人にもご迷惑を掛けてしまうし。それに、わたしが見たものは、きっと気のせいだから……もう帰ろうよ」


 梨恵子と信夫は顔を見合わせ、目前にある神社の鳥居と繭子の顔を見比べる。

 ややあって、最初に口を開いたのは梨恵子だった。


「そんな……せっかくここまで来たのに」


 可愛らしく軽く頬を膨らませ、つんとそっぽを向いてみせる。


「梨恵子は行きたいのに」

「……そうだよ。ここまで来て、何言っているんだ」


 信夫は一瞬迷ったようにも見えたが、結局梨恵子に合わせたようだ。

 

 やっぱり駄目だった。この場から逃げ出してしまえばいいのかもしれないが、それも出来そうになかった。


 もう嫌だ……。


 どうしていつも、梨恵子の我が儘に付き合わなければならないのだろう。

 わかっている。これまで彼女の我が儘を許してきた自分が悪いんだって。


 でも……。


 普段なら、ここで「はいはい、わかりました」と折れるところだが、今日ばかりは折れるつもりはなかった。


「ね? 行きましょう、まゆちゃん」


 無邪気な様子の梨恵子は、繭子の手を引いた。


「わたしは嫌なの。ご迷惑掛けたくないの」


 冷たい眼差しの基経が脳裏に蘇る。

 あんな目を向けられることを想像するだけで、胸の奥が痛かった。


「お願いだから、もう帰ろう……」


 繭子は頑なに頭を振る。さすがの梨恵子も、普段と様子が違うと気付いたようだ。


「まゆちゃん、今日はどうしたの?」


 俯いたままの繭子の顔を覗き込もうとした、その時だった。


「おや、繭子さん……とお友達ですか?」


 聞き覚えのある声に、弾かれたように繭子は顔を上げた。

 そこには白い小袖と浅葱色の袴姿を纏った青年、基経の姿があった。

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