7 カステラ
梨恵子に話してしまったのは、不味かったと思ったものの、溜めていたものを吐き出したせいか、不思議と心が軽かった。
うん、もう全然怖くない。
よく怪談であるように、繭子の周囲にも夢の中に出てきたりもしない。
そもそも神社に行かなければいいのだから。
そう思っていたのに。
「繭子、梨恵子お嬢さんから話は聞いたが……つまらないことで人を呼び出すなよ。幽霊なんかいるわけないだろう?」
どうして信夫が知っているのだろう。
どうしても、こうしても、梨恵子が話したからに決まっているのだけれど。
繭子は深い溜め息を吐いた。
* * *
土曜日の午後、梨恵子に宿題を一緒にやろうと誘われた。
「まゆちゃんの好きなカステラ、おやつに用意しておくよ」と、甘い誘いに乗ってしまい、のこのこと澤田家を訪れたわけであるが。
ああ、やっぱり梨恵子に口を滑らせたのは大間違いだった。
応接間でどっかりと座っている信夫の姿を見るなり、回れ右をしたくなった。
「……足労お掛けしました。さようなら」
「ちょっと繭ちゃん!」
帰ろうとする繭子を、梨恵子は慌てて引き留める。
「せっかく信夫くんが来てくれたんだよ?」
「わたし、そんなこと頼んでいないよね?」
「だって。幽霊が気になるんだもん」
悪びれもせず、梨恵子は無邪気に微笑んだ。
「せっかく信夫くんがカステラ持ってきてくれたんだよ。紅茶も淹れるから、まゆちゃんも座ってよ」
「宿題はどうするのよ」
「そんなの後! ほらほら、座って座って」
梨恵子の手を払い除ける気力を失った繭子は、梨恵子に引き摺られるようにして、ソファーに腰を下ろした。
テーブルの上には、厚く切ったカステラと、華奢なカップに注がれた紅茶が並んでいる。繭子が受け皿に添えられた角砂糖を放り込むと、途端に信夫は嫌な顔をする。
「お前、カステラも甘いんだから、紅茶まで甘くするなよ」
「人の好みにあれこれケチつけないで」
「甘いもんばっかり食ってたら太るぞ」
「……うるさいな」
二人のやり取りを見ていた梨恵子は、くすくすと笑い出す。
「二人とも仲良いよね」
信夫と仲が良い? 冗談じゃない。
「良くなんかありません」
「良くなんかねえよ」
信夫と声が揃ってしまった。
「ほらー、息ぴったり。やっぱり仲が良いじゃない」
梨恵子は楽しそうにケラケラと笑う。
真っ向から否定したいところではあるが、ムキになっても仕方がない。
「ところで梨恵子。信ちゃ……信夫くんに何を言ったわけ?」
「まゆちゃんが神社で幽霊を見たってことだけよ」
梨恵子はフォークで切り分けたカステラを口の中に入れると、「わあ、美味しい!」と頬を緩める。
「信夫くん、とっても美味しいわ。お店に並んでいてもおかしくないくらい」
「そ、そうか? そいつは良かった」
繭子から言わせてみれば、この二人の方がよっぽど仲が良さそうだ。
梨恵子の称賛の言葉に喜ぶ信夫を横目に、繭子もカステラを口にする。
うん、確かに美味しい。
ふんわりしっとりしたカステラに、じゃりっと音を立てるくらい敷き詰められたザラメの歯触りも堪らない。
だが繭子が褒めたところで、鼻であしらわれるのは目に見えている。敢えて無言で口に運んでいると、信夫がジロリと睨み付けてきた。
「おい、美味しいとか旨いとか、感想はないのかよ」
「……美味しいよ」
「ったく、食わせ甲斐がない奴だな、お前は。梨恵子お嬢さんを少しは見習え」
「はいはい」
褒めても褒めなくても文句を言うくせに。
面倒くさい、と喉まで出掛かった言葉を紅茶と一緒に流し込む。
「じゃあ、これ食ったら行くぞ」
「うん、よろしくね。信夫くん!」
嫌な予感がする。梨恵子と信夫の間で話が付いているらしい。
「どこへ行くの? まさか……」
疑問を投げ掛けながら梨恵子に目を向ける。すると梨恵子は満面の笑みで大きく頷いた。
「もちろん。ギンナン神社に決まってるでしょ。幽霊の正体を暴いてやろうね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます