4 御守りの行方

 さすが元日の神社は忙しかった。

 授与所でお札やお守りを求める参拝者の対応や、厄払いを終えた方に渡すお神酒やお札の詰め合わせの用意、参拝者に配る甘酒の用意の他に、お守りやお札の補充に走り、皆が休憩に食べるお握りづくりに精を出した。


 そうこうしているうちに、瞬く間に夕暮れを迎え、繭子の手伝いも終わりの時間を迎えた。


「繭ちゃん、入ってもいいかしら?」

「はい、もう着替え終わったので大丈夫です」


 するりと襖が開くと、湯呑を乗せたお盆を持ったここの奥様、八重子が入ってきた。

 綺麗に髪をまとめ、無地の山吹色をした着物に身を包んだ彼女は、落ち着きがあって上品なのに、雰囲気が柔らかい。 

 もしかすると、ちょっと小太りな自分の母親よりも若々しいのではなかろうか。

 

 とてもじゃないけど、基経さんのお母さんには見えない……。

 

 少々失礼なことを考えながら、居住まいを正してお辞儀をする。


「今日はお世話になりました」

「こちらこそ。急なお願いだったのに、引き受けてくれてとても助かったわ。ありがとう繭子ちゃん」


 繭子ちゃん。優し気に名前を呼ばれると、ちょっとこそばゆい気持ちになる。

 今回二回目の手伝いということもあり、壱重いちょう家の人々はとても親し気で好意的であった。

 急な誘いに戸惑ったけれど、やっぱり引き受けてよかったと思う。


「よかったら甘酒でもいかが?」

「ありがとうございます。いただきます」


 参拝者に振る舞う甘酒のおすそ分けだろう。ふわりと生姜の香りがする。


「基経に送らせるから、飲みながら少し待っていてくれる?」

「そんな、皆さんお忙しいのに悪いです。ひとりで帰れます」

「駄目よ。もう暗くなるから心配だし、大事なお嬢さんを、ひとりで帰すわけにはいかないわ……あ」


 何かを思い出したかのように、八重子は口元に手を当てた。


「そうだわ。大事なものを忘れるところだった」


 八重子は胸元から茶封筒を取り出すと、すっと繭子に差し出した。


「気持ちばかりで悪いけど、お年玉だと思ってくださいな」

「……こんなに。よろしいのですか?」


 受け取った封筒は、思ったよりも厚みがあった。


「もちろんよ。本当に助かったわ、ありがとう」

「少しでも助けになったなら嬉しいです」


 初めて貰うお給金だ。さっそく屋台で何かお土産でもと思ったが、まずは父に見せるべきなのだろう。無くさないよう、手提げ鞄の一番奥にしまい込む。


「すぐに基経を呼んでくるから、待っていてね」

「いえ、あの」

「いいからいいから」


 繭子の断りを遮るように、八重子は客間を後にした。


「送ってくれなくてもいいのに……」


 相手を送って行ったり、迎えに行ったりは、むしろ繭子の役割だった。

 暗くなったら家まで梨恵子を送ったり、いつまでも外で遊びまわって帰ってこない弟たちを迎えに行ったり。


 しかも、基経に家まで送ってもらうなんて……。

 帰り道、一体何を話せばいいのだろう。途端、変な緊張が襲ってきた。


 はあ……と溜息を吐いた時、襖の向こうから足音が近づいてくることに気が付いた。

 

 もう基経が来たのだろうか。

 身構えていると、さらりと襖が開いた。


「繭子ちゃん、もう帰るの?」


 巫女装束から普段着に着替えた佐和子だった。


「はい。そろそろお暇します。今日はお世話になりました」

「よかったらお夕飯食べていかない? ライスカレー作ったのよ」


 前に梨恵子のうちでご馳走になったことがある。糸川家の食卓では出てこない洋食に、舌鼓を打ちながら羨ましいと思ったものだ。

 とても心惹かれるが……。


「ありがとうございます。でも、夕飯前には帰るよう父に言われていますので」

「まあそうね。せっかくお正月なんだものね……そうだわ。帰り、お参りしていったら? せっかく神社に来たんだから、初詣をしないで帰るなんてもったいないでしょう? もう暗くなってきたから、お客さんもそんなにいないでしょうから」

「せっかくですからそうさせてもらいます」

「それにしても、基経は遅いわね。ちょっと見てくるわね」 


 すぱん、と襖が閉ざされ、とととと……と足音が遠ざかっていく。

 悪い人ではないが……佐和子と会話をすると、何というか圧倒されてしまう。


 ふう、と息を吐く。


 取り敢えず、甘酒でもいただこうかな。


 もうさほど熱くはないだろう。そっと湯呑を手に取ると、ゆっくりと甘酒を口に含む。


 甘い……美味しい……。


 甘いものに目が無いということもあるが、疲れた身体に甘酒の甘さが染み入るようだ。


 ゆっくりと甘酒を味わっていると、再び足音が近づいてきた。

 佐和子が戻ってきたのだろうと思っていると。


「失礼します。開けてよろしいですか?」

「っ! ……はい」


 すらりと襖が開く。現れたのは佐和子ではなく、基経だった。

 客間に入ると、繭子と目線を合わせるように膝を付いた。繭子も慌てて湯呑を置くと姿勢を正す。


「繭子さん。今日は急なお願いだったにもかかわらず、ありがとうございました」 

「いいえ、こちらこそ。大してお役に立てませんでしたが」

「そんなことはありません。とても助かりました」

「でしたら、よかったです」


 思わず微笑む。すると基経は軽く目を瞠り、じいっと繭子を見つめる。


「あの……わたしの顔に、へんなものが付いてますか?」

「ああ……そういうわけではなくて……」


 言葉を詰まらせた基経は、困ったように視線を泳がせる。

 ややあって、ぽつりと訊ねた。


「……あの御守りは、まだお持ちですか?」

「お守り、ですか?」


 なぜここで御守りの話なんだろう。


「はい、まだ持っていますけど……」

「ふたつとも?」

「ええ、ふたつとも」


 唐突に話題が変わり、戸惑いながらも繭子は頷く。

 

「御守りがなにか?」

「ああ、いえ……もしかしたら、あのお守りのひとつを、差し上げるどなたかが現れたのかと思っただけです」


 一体何を言い出すのだろう。この人は。繭子は小さく吹き出した。


「やだ、そんな人いませんよ」

「そうですか? てっきり、あの青年がお相手かと」

「ただの腐れ縁で、そんなじゃありません」


 まさかそんな風に思われていたとは。

 驚いたが、繭子はきっぱりと否定する。


「ただのご近所さんで、子供の頃からの知っているだけです」

「ご近所さんですか」

「はい。最上堂もがみどうっていう和菓子屋さんの跡取り息子なんです」

「ああ……最上堂さんでしたか」


 信夫は悪い人ではないし、良いところだってあるのは知っている。

 けれど、背丈のことで、散々なことばかり言われてきたので、とてもじゃないが恋愛の対象には思えない。

 まあ、それは信夫の方も同じだろうけれど。


「あそこの胡桃餅は美味しいですよね」

「ええ、美味しいですね。甘いものはお好きなんですか」

「ええ。一時期甘いものは苦手でしたが、戦時中に甘いものとはご無沙汰だったせいか、その反動でまた好きになりました」

「良い時代になりましたね」

「本当に」


 ほっこりと話を締めくくったが、ふと繭子は首を傾げる。

 

 あれ……話をはぐらかされた?

 結局、基経の見せた奇妙な間が何だったのか、わからずじまいとなってしまった。

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