2 掴みどころがない人

 やっぱり大きい……。


 遠くからでも夫婦銀杏は大きくて、ある意味目印には丁度いい。きっと初めて神社を訪れる人でも、高くそびえた二本の銀杏を目指して行けば迷うことはないだろう。


 神社に近づくにつれ、道行く人も増えてゆく。

 早朝だからそこまで人は多くは無いが、これだけ元日早々初詣に行く人がいるとは思わなかった。

 さすが地元でも由緒ある神社である。

 これまでの繭子の元日は、朝七時前なんて、下手すればまだお布団の中だ。

 普段より遅い時間の朝食には、お雑煮とおせち料理。そしてお昼過ぎには祖父母の家へ向かうというのが、毎年の恒例であった。


「さむ……」


 マフラー、手袋、とっくりのセーターと、出来る限りの防寒はしてきたつもりだったが、やはり寒いものは寒い。

 がちがちと震え、白い息を吐きながら、屋台が並ぶ参道を進み、ようやく大きな鳥居の前にたどり着いた。


 まずは社務所へ顔を出そうとした時だった。参拝の人々の流れに逆らうように、こちらに向かってくる袴姿の基経を見つけた。


 くすんだ色合いが多い冬服の中、新雪のような白衣を纏った彼の姿は、くっきりと繭子の視界に飛び込んできた。


「あ」

 

 振ろうと上げ掛けた手を、途中で止める。

 そこまで親しい間柄でもないのに。しかも相手は自分よりずいぶんと年上の男の人だ。


 それに、忙しそうだしね……。


 忙しい時に声を掛けても迷惑だろうから、挨拶はまた後にしよう。

 再び歩き出した時、突然背後から肩を掴まれた。


「おい」


 驚いて、弾かれたように振り返る。そこにいたのは、繭子がよく知る顔だった。


のぶちゃん?」

「皆並んでいるだろう。ほら、お前も並べ」


 ご近所にある和菓子屋の息子、信夫のぶおだった。

 幼なじみでもある彼は、遠慮がなく少し横柄だ。あまり関わりたくはないが、ご近所ゆえどうしても顔を合わせる羽目になる。


「違うってば。お参り来たんじゃないの。奥の社務所に用事があるの」

「何の用事だ?」

「……」


 巫女さんなんて言ったら「柄じゃない」と笑われそうな気がして、告げるのを躊躇ってしまう。


「なんだよ、ちゃんと言えよ」


 悪気がないのはわかっているが、偉そうな物言いに少々腹が立つ。


「巫女さんの、お仕事があるの」


 半ば捨て鉢に告げると、信夫は一瞬ぽかんした顔になる。が、すぐさま馬鹿にしたような目を向けてきた。


「繭子が巫女さん? 見上げ入道みたいなお前が?」


 見上げ入道。

 見上げば見上げただけ大きくなる妖怪のことだ。幼い頃から言われているので、嫌でも覚えてしまった。

 一方、信夫は自分の台詞がツボに入ったらしく、いともおかしそうに「くくく」と笑う。

 

「冗談いうな。お前が巫女さんの格好なんて、みっともないたら、ありゃしない」

「はいはい」


 馬鹿にされるのはもう慣れたが、いい加減聞き飽きた。

 そのうち梨恵子と比較されて、やっぱりお前は可愛くないと締めくくるのだろう。

 とはいえ、いつまでも信夫の相手をしているわけにはいかない。

 さて、どうしたものか……と考え始めた時だった。


「繭子さん、こんなところにいたのですね。探しましたよ」

「基経さん」


 さっきまで遠くにいたはずの基経が、いつの間にか背後に立っていた。

 見るからに神社の人間だとわかる基経の登場に、さすがの信夫も目を丸くした。


「あ……あけましておめでとうございます」


 混乱のあまり、どこか頭の片隅にあった新年の挨拶をしてしまう。

 深くお辞儀をして顔を上げると、ほんの少しだけ笑みを滲ませた基経が、繭子に挨拶を返した。


「あけましておめでとうございます……社務所ではなく、本宅へ来てくださいと言っていませんでしたか?」

「伺っていません」

「それは失礼しました。では行きましょうか」


 とん、と大きな手が背中に触れる。

 呆けたままの信夫を残し、基経に促されるように、繭子は人の流れに逆らうように歩き出す。


「信ちゃん、またね」

「お、おう」


 軽く手を振ると、信夫は気まずそうに頷いた。あっという間に、信夫の姿も人混みの向こうへと遠ざかる。


 取り敢えず、基経が来てくれてよかった。新年早々遅刻なんて幸先悪いことは避けたかった。


「……どうして手を振ってくださらなかったのです?」

「え」

「私がいることに、気付いていたでしょう?」


 どうやらあの時、基経の方も繭子にに気付いていたらしい。


「……なんだか忙しそうだったので」


 すると基経は、やれやれといった風に溜息を吐いた。


「忙しいもなにも、繭子さん。あなたを探していたのですよ」

「そうだったのですか?」

「今日は人も多いですし、何より自分でお願いをしておいて、ほったらかしにするわけにもいきません」

「それは……わざわざありがとうございます」

「次は手を振ってください」


 このひとは、何を真顔で言っているのだろう。


「……それはちょっと」

「さっきの青年には振っていたではありませんか」

「あの人は幼なじみなので……それなりに親しいものですから」

「……私は、まだ親しい間柄ではないのでしょうか」


 思いがけない基経の言葉に、繭子は驚いた。


 基経との出会いの切っ掛けは、ギンナン泥棒として捕まり、そのお詫びとしてこの神社でご奉仕をしたことだ。

 今回はその縁で再びご奉仕することになったが、果たして親しい間柄と言えるのだろうか。


「え……と、まだ知り合ってから間もないですし……出会った切っ掛けもアレですから……」


 しどろもどろに答えると、基経は神妙な面持ちで頷く。


「わかりました。今後、善処しましょう」


 一体何を善処するというのだろう。

 繭子が戸惑っていると、基経はふわりと笑みを向ける。


「さあ、今日は忙しくなりますよ」


 繭子の背を、優しくトンと叩いた。

 

 彼のような掴みどころのない人物は、これまで周囲に居なかった。彼といると、どうも気持ちが落ち着かなくて困る。


 やっぱり、よくわからない人だわ……。


 やたらうるさくなる胸の鼓動が、基経に聞こえやしないか。繭子はそのことばかり気になっていた。



 

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