10 恋のお守り

 ……やっぱり、余計なことを言ってしまった気がするわ。


 境内からは子供たちのはしゃぎ声が響く。社務所の中だけ、取り残されたような静けさに包まれていた。


 あれから基経はひと言も口を聞いてくれない。

 幸い、途切れ途切れではあるが参拝客がやってくるお陰で、何となく間は持っていたが、雑談ひとつない状態はやはり辛い。

 わかりもしない小娘が、生意気な口を利いたから怒っているのだろうと思っていたが、盗み見た基経の横顔はどことなく晴れやかだ。


 客足が途絶えたところで、繭子は沈黙を破るべく、思い切って青年の名を呼んだ。


基経もとつねさん」


 意外だったのだろう。基経は驚いたように目を見開いた。


「銀杏のお守り、いただいてもいいですか?」

「もちろん。どれがよろしいですか?」


 快い返事をいただいたところで、繭子はすかさず指差した。


「これを……お願いします」


 指を指したのは「無病息災」のお守りだ。基経は「おや」と眉を潜める。


「さっき、差し上げたじゃないですか」


 そうだった。

 お守りが欲しかったわけではなく、この沈黙をどうにかしたかっただけなのだが、さすがに言いにくい。


「……家族へのお土産です」

「確か実らせたい恋とやらがあったのですよね? だったらこちらの方がよろしいのではないですか」


 恋愛成就のお守りを指さす。

 意地悪い笑みを浮かべる基経から、誤魔化すようにふいと目を逸らす。


「あれは…………まだ必要ありませんから」

「お守りなんて必要ない、ということですか」

「……成就させたい相手がいないだけです」

「いないのですか?」


 基経が意外そうな声を上げる。

 この年頃でいないと、やっぱりおかしいのだろうか。なんだかだんだん情けない気持ちになってきた。


「だったら、余計に持っていた方がいいのではありませんか?」

「どうして、ですか?」

「ここの夫婦銀杏の御利益を認めてくださったのは繭子さん、あなたでしょう?」

「そうかもしれませんが……」


 対となる二つのお守り袋を、繭子の手に握らせた。


「今日のお礼として、このお守りを差し上げましょう。だから、あなたも大切に思う相手が見つかった時にお使いなさい」


 今日のお礼として……。

 ということは、今日のお給金はこのお守り二つだけか。


 そもそも今日は、ギンナンを盗みに入ったお詫びとしてご奉仕しているのだから仕方が無い。


「ありがとうございます」


 繭子はお守り袋を握り締めながら、いつかこのお守りを使う日が訪れる時を思う。

 今は想像もつかないけれど、基経が語った二人のように、お互いを思い合える相手と巡り合えるのだろうか。


 わたしの相手は、どんな人かな……?

 想像に耽ろうとする繭子を、無粋な声が現実に引き戻した。


「ところで繭子さん」

「はい」

「よかったら初詣も、ご奉仕願えませんか?」

「初詣、ですか?」


 突然の申し出に面食らいつつ、またここで働くのも悪くないと思う自分に気が付いた。

 理由はよくわからないが、素直に「喜んで」というのも癪である。 


「今度はお守りじゃなくて、お給金をいただけるのでしたら。喜んで」


 と、すまして告げる。


「……あなたには敵いませんね」


 基経は困ったように首を竦め、何故だか嬉しそうに破顔した。


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