6 神社のお手伝い

 日曜日、朝七時に来てください。

 一方的な、約束とも言えない約束など破ってもよかったが、今度こそは生徒手帳を返して欲しかった。

 青年の言葉を信用していいものか悩んだが、取り敢えず指定された日時に神社を訪れる。

 相変わらず夫婦銀杏は、繭子を見下ろすかのようにそびえ立っている。


 鳥居の前で繭子を待ち構えていたのは、例の青年ではなく、母親よりも少し年上ぐらいの女性だった。

 渋めの山吹色をした着物に白い割烹着。この神社の人だろうと、繭子は挨拶をする。


「おはようございます」

「おはようございます。朝早くからお参りありがとうございます」


 参拝者だと思われたようだ。繭子は慌てて訂正しようと、胸の前で小刻みに手を振りながら。


「あの、そうではなくて今日は……」


 宮司と名乗る青年に頼まれ、やって来たのだと告げようとしたが。

 しまった……あの人の名前、聞いてなかった。

 繭子が言葉を詰まらせていると、女性は「ああ」と小さく手を打った。


「あなたが繭子さん?」

「はい。糸川繭子と申します」

「息子から聞いていますよ。せっかくのお休みの日にありがとうね」

 あの青年の母と名乗る女性は、穏やかに微笑んだ。

「いえ……」


 無理矢理手伝いに来させられました、とは言えない。繭子はぎこちなく微笑んだ。


「今日はよろしくお願いします」


* * *


 招かれたのは神社の隣に建つ家だった。外からは背の高い垣根に囲まれてわからなかったが、かなり大きな家だ。

 家の中に招かれ、客間らしき部屋に通される。

 調度がひとつもない。がらんとした部屋だが、片隅に小さな火鉢があった。


 早朝は一段と寒く、今日は祖母の懐炉を借りてきたにもかかわらず、繭子の身体は手足の先まで冷え切っていた。

 ここで待っていてくださいね。と部屋に残された繭子は、手にしていた上着を肩に羽織ると素早く火鉢の前に座り込んだ。


「……あったかい」


 赤く火が灯った炭に手をかざす。ゆっくりと指先をもみほぐしながら温まっていると、かすかな足音がした。

 慌てて羽織っていた上着を脱ぐ。丸めて胸に抱えて立ち上がったのと同時に襖が開いた。


「おはようございます。繭子さん」


 現れたのは、例の青年だった。反射的に「おはようございます」と頭を下げる。


「今朝は一段と冷えますね」

「はい……」


 何を話したらいいのかわからない。気まずい思いを抱えたまま、曖昧に頷いた。


「今日の衣装をお持ちしました」

「衣装、ですか?」


 青年は畳の上に膝を付くと、風呂敷包みを解いた。繭子も合わせて風呂敷包みを挟んで青年と向い合せで膝を付き、包みの中を見下ろした。

 割烹着か何かだろうと思っていたが、そこに現れたのは白い着物と、目の覚めるような緋色の袴だった。


「……もしかして、巫女さんの衣装ですか?」

「はい。見ての通り巫女の装束です。今日はこれを来て、巫女としてご奉仕してもらいます」


 手伝いとは、巫女さんの代わりをやって欲しいってことだったらしい。

 白衣はくいと呼ばれる丈の短い着物と、緋袴ひばかまと明るい朱色の袴。

 時折神社で見掛ける度に、ほんの少しだが憧れに似た気持ちを抱いていた。

 巫女装束を着られる機会なんて、そう滅多に無い。いや、もう二度と無いだろう。しかし不意に疑問が浮かび上がる。


 わたしが巫女さんなんてやっても……いいのかしら?


 実をいうと、糸川家の人間はあまり信心深い方ではない。

 困った時の神頼み。戦地へ召集された父親が無事に帰ってくるようにと、神棚に手を合わせていたりもしたが、無事に帰還した後は見向きもしないという罰あたりな家族なのだ。


「あの……」

「何でしょう」

「非常に申し上げにくいのですが……我が家は信心深い方ではないのです。神棚へも最近は母しか手を合わせていませんし、わたしなんて初詣もくらいしか伺っていないのです」

「まあ、そんなものかもしれませんね」


 それで? と青年の目が問い掛けるように繭子を見つめる。

 繭子が言わんとしていることは察しているのだろうに、青年は意地が悪い。


「わたしのような不信心な素人には、巫女さんのお役目は少し荷が重すぎるかと。できれば裏方のお役目でしたらいくらでも」

「繭子さん」


 青年はにっこりと笑顔を浮かべる。だけど作られた笑顔ほど怖いものはない。


「は、はい」

「この度はギンナン泥棒の贖罪のために来ていることをお忘れなく」

「……失礼しました」


 そうだった。いくら繭子の意志でなかったとはいえ、実際にギンナン泥棒をしたのは自分自身だ。理不尽だと憤っていたが、やった理由はこの青年には関係ない。

 だから、ちゃんとこの罪を継ぐわなければならない。


「ですから、私が頼んだことをこなしてください」

「……勝手なことを言って申し訳ありません。精一杯お勤めさせていただきます」


 手を付いて「よろしくお願いします」と頭を下げると、ふっと青年は笑いを滲ませる。


「まあ、そんなに堅苦しく考えなくても大丈夫ですよ」

「ですが」

「あなたに舞も祝詞といった、難しいことをやっていただくつもりはありません。参拝にいらした方々への対応をお願いしたいと思っています。それに、やはり若いお嬢さんの巫女がいると、花がありますからね」


 枯れ木も山の賑わいということか、と納得する。巫女が何人か揃っている方がそれらしく見えるということだろう。


「あの、他にも巫女さんはいらっしゃるのですか?」

「はい。私の叔母二人が手伝いに来てくれています。叔母たちは慣れているので、わからないことがあったら聞いてください」


 あとは、と最後に付け加える。


「ただそれらしい顔をしていただければ十分です」

「…………はい」


 返事をしたものの、何とも言えない気持ちになったのは言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る