第4話 森の王

 夜に店を出たカミナとクレアは、途中の森の中で夜明けを迎えた。朝日がキラキラと反射した水面は美しく、せせらぎと頬を撫でる風がなんとも心地よい。そんな素敵な状況の川辺で、クレアはぐでんぐでんになっていた。


「おい、どうだ? 少しは元気になったか?」

「あ、カミナ。おはよう。少しはマシになってきたよ。」


 急いだほうが良い。そう考えたカミナはクレアを脇に抱え、近道と聞いた山道をかなりの速度で夜通し激走していた。カミナは車に簡単に追いつけるほどの走力を持っている。そんな男に抱えられ、起伏の激しい山道を通れば結果がどうなるかを想像するのは難しくない。超絶に不安定なジェットコースターに乗っているようなものだ。


「ガマンしようと思ったけど、ムリだよね」

「いや、悪い悪い。食えるならこれでも食って元気付けな」


 カミナはそこらで採って来た果物を渡す。


「……カミナ、これ食べちゃダメだよ。死にはしないけど、体がシビレ」

「あん? なんか言ったか」


 クレアの注意が終わる前に、カミナはモサモサと果物を食べている。


「いやいや、食べちゃダメ! 今度はカミナがここで休まないといけなくなるよ!」

「う~ん、そう言われてもな。もう全部食っちまったし」


 しばらく様子を見てみるが、カミナの体には何の異変も起こらない。


「……ダイジョブなの?」

「あぁ、全く問題ない」

「カミナは一体なにものなの? 走るスピードとかもだけど普通じゃないよね」

「何者って聞かれてもな。まぁ、クレアたちの敵じゃないことは確かだ」


 しばらく沈黙が二人を包んだ。


「ま、いっか。もうダイジョブだから、行こう」

「そうか。とは言えもう抱えて行くわけにはいかないな」

「うん、絶対ヤメて。頭オカシクなっちゃうから。私もできるだけ急いで走るよ」

「ん~、まぁ仕方ないな。それじゃ行くか」


 一応は人が通る道になっているが、どちらかと言えば獣道と言った方がしっくりくる様な道を歩いて行く二人。


「神都まではどれぐらい掛かるんだ?」

「私の足だと往復で一か月ぐらいはかかると思う」

「そんなにか! 車だとどれぐらいだ」

「前にテラムさんの車で行った時も同じぐらいだったよ。車だと整った道しか通れないから遠回りになっちゃうの。だから同じぐらい」

「そうか。普通に移動すればどうあれ一か月ぐらいは掛かるってことか。」

「さっきのカミナみたいなスピードで山道とか通ればもっと速いと思うよ」


 その言葉を聞いてクレアの顔を覗き込むカミナ。


「……言いたいことは分かるよ、急いでるわけだし。でもムリ、神都に着く前に私がサヨナラしちゃう」

「やっぱり駄目か」

「あ、そうだ。大事なこと忘れてた。この森で絶対に気をつけなきゃダメなこと」

「気を付けること?」

「そう。この森にはハジンオオカミっていうかなり大きなオオカミがいるの」

「ハジンオオカミ?」

「うん。森の王って言われるほど強くて誇り高いオオカミ。人間だけじゃなくて使徒や神人にもなつかないんだって」

「ほ~、どんな感じなんだ、そいつは」

「父ちゃんに聞いた話だと、父ちゃんより大きくて、真っ白な毛並みが特徴なんだってさ。あ、もし出会っても大声だしちゃダメとも言ってた」

「ふむ、それはアイツの事で間違いないか?」


 カミナが指さした所、ほんの数メートル先にそれは居た。


「…………イヤ~~~!!!」


 小さな体からは想像も出来ないほどに大きな声を出し、クレアはあっという間に近くの木の陰に隠れた。


「……速いな。ほんで自分で大きな声だしちゃ駄目って言ったくせに」


 木の陰に隠れながら、さっきと真逆のとても小さな声でクレアは注意を促す。


「そ~っと、そ~っとだよカミナ。なんとか怒らせないように逃げないと」

「別に逃げる必要も無いだろう」


 体高が数メートルはあろうという巨体。純白、光の当たり加減によっては銀色に輝く美しい毛並み。なにより鋭さと威厳を兼ね備えた目。全てが森の王の異名に違わない風格と気品を兼ね備えている。


 そんな王を前にして、カミナは微塵も動揺していない。王とカミナは視線を合わせ、しばらく動かなかった。


「ちょっとカミナ。早く逃げようよ」

「その必要はなさそうだぜ。こいつは俺に何か頼み事があるみたいだ」

「はい? なに言ってんの」

「まぁ、どうあれ俺の後ろに居れば問題ないさ」


 クレアとの会話が終わるのを待っていたように、王は踵を返しゆっくりと森の中を進んでいく。


「付いて来いってことかな」


 カミナは普通に、クレアは木の陰に隠れながら恐る恐る後を付いて行く。しばらく進んだ先に、予想していなかった光景が広がっていた。さっきの個体とは別、一回り小さいハジンオオカミが倒れている。そしてその傍らには更に小さなハジンオオカミ。


「カミナ、これって」

「あぁ、多分コイツの奥さんと子供だろう」


 カミナは倒れているハジンオオカミに近づき様子を伺う。体中の骨が砕け、折れた骨が皮を突き破り出血もひどい。もはやただ死を迎えるのを待つだけと言った状況だ。


「……駄目だな」

「助からないってこと?」

「あぁ、さすがに無理だ」


 カミナは自分たちを連れて来たハジンオオカミの方に向き直る。


「ごめんな。俺じゃお前の奥さんを助けることは出来ない」


 真摯な言葉と視線。言語として何を言っているか分からなくとも、両者ともに伝えたい事は理解出来た。


「そうか。お前、そのために俺をここに連れて来たのか。……分かった」


 倒れているハジンオオカミにカミナは近づき、そっと手をかざし目を閉じさせる。


「じゃあな」


 その一言の後、倒れていたハジンオオカミは眠るように息を止めた。


「なにしたの?」

「あのままだと無駄に苦痛が続くだけだ。だから可能な限り痛みを感じない様にとどめを刺した」

「そんなこと出来るの?」

「まぁ、ちょっとした技さ。さて、お前さんはどうする?」

「え? そっちのハジンオオカミは元気じゃないの?」

「出血こそしてないが、コイツも体中の骨が折れてる。多分、内臓も相当傷付いてるはずだ」

「なんでそんなことが分かるの?」

「体の動かし方、息遣い、その他諸々。全てが教えてくれてる。コイツは今生きているのが不思議なぐらいだ」


 ハジンオオカミの鼻先に手を当てるカミナ。


「頑張ったな。奥さんが苦しむのを何とかしたくて気力だけで踏ん張ってたんだろ。確かに誇り高い森の王だ。でも、もう無理すんな」


 カミナの言葉を聞き終え、森の王は自ら目を閉じる。


「お疲れさん」


 こちらも眠るように安らかに息を止め、ゆっくりとその巨体を倒していった。瞬間、カミナの腕に痛みが走る。見れば子供のハジンオオカミが噛みついていた。小さいながらも必死な形相の子狼を振りほどく事などせず、カミナはただ優しく抱きしめる。


「ごめんな、こんな殺され方して悔しいよな」


 抱きしめるカミナの肩と声は震えていた。その温もりと優しさを感じたのか、子狼はカミナの頬を伝う涙をペロペロと舐める。


「ねぇ、カミナ」


 呼ばれ振り返ったカミナは驚くと同時に笑いを堪えるのに必死だ。一連の顛末を見ていたクレアの顔は涙と鼻水でグショグショになっている。


「…………っ。ど、どうしたクレア」

「その子、これからどうするの? ……なに、なんでそんな笑いこらえてるの」

「……スマン」


 堪えきれなくなったカミナは大声で笑う。


「いや~、なにもそこまでグショグショにならなくても。ヒドイ顔だぞ」

「うるさいな、しょうがないでしょ。私すぐに泣いちゃうの」

「ふ~、悪い悪い。落ち着いた」

「もう。で、この子なんだけど、私が育てちゃダメかな」

「駄目も何も。ハジンオオカミは誰にも懐かないって言ってただろ」

「そう聞いてたんだけど。ちょっといい」


 そう言うとクレアはカミナから子狼を受け取る。しばらく見つめ合った後、子狼はクレアの顔をペロペロと舐め始めた。


「ほら、この子も私と一緒でいいって。なんとなくダイジョブそうな気がしたんだよね」


 信じられない程急速に仲良くなり、ハシャグ両者。


「名前、そうだ名前がないとダメだよね」


 そう言って考え込むクレア。


「ねぇ、カミナはどんな名前がいいと思う」

「名前か。ポチとかシロとかで良いんじゃないか? 毛の色も白いし」


 カミナの提案を受けたクレアの顔は、なんとも形容しがたい表情になっている。


「なんだ、その顔は。なんか不満なのか」

「いや、カミナってそういうのはザンネンなんだな~と思って」

「残念ってなんだ」

「カミナに任せちゃダメだね。う~ん…………」


 更にしばらく考えるクレア。


「シン、シンにしよう」

「それはどっから来た名前だ?」

「父ちゃんが昔読んでくれた絵本に出てた月の神様の名前だよ。その絵本ではキレイな銀色のオオカミが描かれてたから」

「ふ~ん、まぁ良いんじゃないの」


 カミナはどこか悔しそうな顔をしている。


「今日からキミはシンだよ。っていってもスグには分かんないか」


 自分がシンという名前であることはまだ理解出来ていないようだが、シンはとりあえず嬉しそうにクレアに付いて回っている。


(しかし不思議な子だ。人だけじゃなく言葉が通じない相手にも心を開かせる雰囲気がある)


 シンの両親を埋めようとしたカミナは、改めてその傷を見てふと思う。


(このやり方、殺しを楽しんでる様に見えるな。出来る限り相手が苦しむように急所を外して攻撃している)

「それにしても、フシギだよね」

「何がだ?」

「だってこの辺りにハジンオオカミより強い動物は人を含めていないって父ちゃん言ってたから」


 カミナの脳裏に稲妻が走る。


「しまった、そういう事か。だからオッサンはあんな表情を」


 シンを抱えているクレアを抱え、カミナは町へと全速力で引き返すのだった。

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