第17話 常軌を逸した空気を纏っている
「お前、誰なんだ? 俺のことを知ってるのか?」
「……」
少女は何も答えなかった。奇妙なやつだ。なら無理やりにでも喋らせてやろうか。
「――はあっ!」
は、速い。いきなり懐に踏み込まれた。この少女、防魔術も持ってるのか《加速》、それも錬成度A以上のスピードで攻めてきたが、なんとか避けると同時に《浮雲》で投げてやった。周りからおおっという声が上がる。触れてもいないから不思議に思えただろう。
だがダメだ。やつは頭から倒れる寸前に片手で床を叩いて元の体勢に戻った。それまで両手で木刀を握っていたのになんという反応の速さ。こいつ、できるな……。
「盗んだものを使って満足? 泥棒さん」
「何……?」
この手袋のことを知ってるだと……。じゃあやはり刺客か。
「何が目的だ。あの体術師範に雇われたのか? それとも狙いはこの手袋か?」
「……」
笑顔から一転してずっと俺を睨み続ける少女。何考えてやがるんだ。気に入らない。ズタボロにして無理矢理吐かせてやる。
「「……」」
重い沈黙が剣術道場全体にのしかかっているようだった。膠着状態だ。
俺が究極の体術である《浮雲》を見せてから、やつは迂闊に攻撃してこなくなった。いつ攻撃するかわからない状況を作り、あらゆる方向から俺の精神を削ろうとしているんだ。
《浮雲》はこっちが攻撃動作を起こしてない状況のみ使えるスキルなだけに緊張する。かといって剣術のド素人の俺が下手に踏み込めば、その瞬間は《浮雲》が使えないからカウンターでやられるのは目に見えてるし慎重にならざるを得なかった。
「……?」
あれ、おかしいな、目が霞む。息が荒くなっていくのも感じる。どうなっているんだ。
「ふふっ……」
「な、何かやったのか……」
「《剣気》ってご存知?」
「《剣気》……?」
「剣術の一つで、わかりやすくいうと見えない飛び道具のようなもの……。徐々に相手の精神力を摩擦する程度の力だけど、泥棒さんご自慢の《浮雲》は効かないよ」
「――くっ……」
気の刃みたいなもんか。こっちも即座に精神力の回復を速める
かといってこっちから攻撃すればやつの思惑通りになってしまうし……。なんとか手袋でやつの体に触って大事なお宝を奪うことができればいいんだが。命だろうが貞操だろうが、倒れてこの手袋を奪われるくらいならなんでも盗んでやる。
よし……こうなりゃ捨て身だ。酩酊状態のようなふらふらとした足取りで、さらに両腕をだらりと下げて木刀を震わせる。
「なんのつもり。まだ戦えるでしょ」
さすがにバレバレのようだが俺の狙いはそこじゃないんだ。この程度でやつが騙されて油断するとは思えないからな。だが、逆に警戒させることはできる。俺は木刀を下げた状態のまま、慎重になっているやつの懐に飛び込んでやった。
「――なっ……!?」
まともに刀を構えない状態で向かってきたのが相当意外だったらしい。しかも《加速》さえ使ってないからな。それでも《浮雲》を警戒してか攻撃せずに退く動作が見えた。こんな状態で何もしてくるはずがない。途中で攻撃動作を止めるはずだと思ったんだろう。
狙い通りだ。ここで攻撃されたら危なかった。やつが警戒するようなフェイントを仕掛けるにも、《剣気》のせいでかなり精神力が削れてて、《浮雲》が発動するのか怪しい状況だったからな。
防魔術の一つで、錬成度Bの《堅固》も一応掛けて防御力を強化しておいたが、木刀とはいえ剣術の破壊力を舐めてはいけない。一発でも食らえば窮地に陥る可能性が高い。
俺が止まらず向かっていった結果、やつは驚愕の表情を浮かべながらも素早く避けようとするが、そこで緩急をつけるべく使用した《加速》によって一気に懐を抉った。
「ぐうっ!」
やつの木刀を左手で掴み、バランスを崩したところで足を突いて倒す。歓声が上がるかと思ったらどよめいている。新参が師範の一番弟子を倒したんだから当然か。
「ド素人の俺を警戒しすぎだ」
「うぐ……」
倒れたやつの鼻先に手袋をはめた右の拳を突きつけてやる。
「さあ、なんでも話してもらうぞ。これで最も大切なものを奪われたくなかったらな」
「……」
少女の目に涙が浮かんでいる。よほど悔しかったんだろう。色々話してもらったらとりあえず謝礼として一つ大事なお宝を奪ってやるかな。何が盗めるのか楽しみだ。
「たのもー!」
いきなり男の陽気な声がして、道場がこれ以上ないほどどよめいている。なんだ……?
「や、やつだ!
般木? 門下生たちの顔が一様に青ざめているのがわかる。まるで恐ろしい鬼でもやってきたような騒ぎだ。
「師範はいねーか? ちょっくら殺しに来たぜー」
場違いに陽気な笑顔を振りまく大男が俺の視界に入ってくる。で、でかいな……。
2メートルは軽く超えているがとにかく手足も胴体も服の上からはっきりわかるほど太くてそれ以上の大きさに感じる。物騒なことを言ってるから道場破りなんだろうが、武器を隠し持ってる様子もない。血管のような模様が入った金色の腕輪が右手首に怪しく光ってるくらいだ。
「グレーカードAの
ビブラートを帯びた海田先輩の声が聞こえてくる。やつも俺と同じグレーカードの持ち主なのか。それもAだと……って、俺と同じなのか。
そういや、とんとん拍子でここまで上がったせいか感覚が麻痺してるが、グレーカード自体常人のレベルでは絶対に到達できない域なんだよな。それだけこの手袋の力が異常ってことだが。
「うぬう……道場破りめがここにも来たか……」
「おー、お前がここの師範か? よっしゃ、なら潰すぜぇ。今人を殺したくてうずうずしててなー」
般木ってやつ、人懐っこそうな笑みを浮かべてる。目の前には真剣を持った剣術師範が仁王立ちしているというのに。
「殺すならあたしにしなさい!」
「んん?」
師範の前に立ったのは、さっきまで俺と戦っていたあの少女だった。
「お? なんだ、お前!」
「一番弟子の
「いいけど、遠慮なく殺すぜー?」
「構わない。こっちも全力でいくから」
大丈夫かよ……。あの般木ってやつ、殺人を躊躇するような顔じゃない。常軌を逸した空気を纏っている。あれは本物だ。新聞とか滅多に見ないからわからないが、おそらく世間を騒がしてる有名な道場破りに違いない……。
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