第4話 まともに生きることも死ぬこともできない


「やーね」


「あんなきたねーのと目を合わせちゃダメだって」


 カップルとすれ違いざま、そんな声が聞こえてきた。


「……うぅ……」


 あれから5年もの歳月が流れた。色んな仕事をやったが長続きせず、とうとう俺はホームレスになっていた。まだそうなってから大して時間は経ってないが……正直、こんなにきついとは思わなかった。金もすぐなくなったし空腹で眩暈がしていた。


「……お、おおっ……」


 コンビニ前のゴミ箱を漁ると蒸しパンがあった。賞味期限が一週間ほど過ぎてるが、ざっと見た感じカビも生えてないしまだ大丈夫そうだ。


「う、旨い……」


 口に出してしまうほど、パンは俺の心身を幸福感で満たした。それでも一気に食べてしまうのはもったいないので、少し齧っただけで我慢する。


 残りはパーソナルカードのアイテム欄に収納しよう。容量に限りはあるが、この中に入れておけば保存が効くんだ。高級なカードじゃないから収納力や保存力はさほどではないとはいえ、中はガラガラだし入れないよりマシだ。


 よし……これで2、3日は空腹をしのげる。水は公園で飲めばいいだけだ。


「――ん、あれは……」


 ここから駅前ダンジョンの入り口が見える。アーチ状になっていて、あそこから長い階段を下りれば転送ポイントがあるんだ。正午すぎという時間帯もあってか、周囲は多くの探求者で賑わっていた。


「……」


 そういや、5年前は俺もダンジョンの探求者だったんだよな。人間関係が嫌になって、もう行かなくなったが。


 なんせソロじゃ厳しいし、防魔術以外のものを習得する気力なんて残ってなかった。新しい仲間を募集しようかとも思ったが、コミュ能力もないし年齢的にも衰える一方だから諦めたんだ。もう30歳になってしまったし、何より昔のことを思い出して二の足を踏む……。


「……う、あ……」


 街角のウィンドウに映る自分の姿を見つめる。伸びきった髭に、薄汚いよれよれのコート。まさにホームレスだ。30歳なのにほうれい線や白髪がかなり目立つ。嫌なものを見せられた気分だ。


 パーソナルカードのアイテム欄に表示された蒸しパンの文字を見て気分を変えようとしたが、無性に食べたくなって涎が止まらなくなった。ま、まだ我慢だ……。


「お……」


 公園のベンチに座ったら、枯れ葉を添えた新聞が足元に落ちているのが見えた。多くの新聞社が潰れた今でもしぶとく残っている落陽新聞。拾うと見覚えのある連中が載っているのがわかって手が震える。


 何々……遂に1000階層に到達した英雄たちに迫る、だと?


 水谷皇樹、白崎丈瑠、河波琉璃……新メンバーなのか、幹根姿月というやつ以外は知ってる。


 水谷はハーレム状態で、丈瑠と琉璃はアイドルのような存在として崇められているようだ。読んでいると胸の下あたりがムカムカしてきて新聞を叩きつけたい衝動に駆られる。みんな濁りのない笑顔で、ずっとこのパーティーでやってきたと誇らしげに語っていた。


 何々……一人一人の力は大したことはないけど、このパーティーはとにかく絆が強いんです、か。俺の存在自体なかったことになっているらしい。読み進めていくうちに新聞を持つ手がプルプルと震えた。お前らの醜い本性をここに書き殴ってやりたいくらいだ……。


 俺がかつてそのパーティーにいたことを知るやつはあいつら以外にはもういないだろう。


 今でも覚えている……。あのあと、あいつらから連絡は来なかったんだ。それに少しでも期待している自分がいて、心底惨めだったこともよく覚えている。


 俺がもっと頑張れば少しは認めてくれるかもしれないと思ったんだ。本当に事故に見せかけて殺されていたかもしれないのに、自分はバカだ……。思えば異常だったんだ。奴隷のように飼いならされているのに、それに気付かなかった……。


 底辺まで落ちていた俺が何を言っても、あいつらには塵が舞ってるくらいにしか思われなかったに違いない。人間なんてそんなもんだ。どんな世界でもそうだが、立場が低いやつはレッテルを貼られる。こいつは何をやってもダメなやつだと色眼鏡で見られる。一度こうした状況になれば覆すのは至難の業だ。感動の涙でさえも圧倒的な嘲笑の前に揉み消される。


 なんだろう。妙に死にたくなってきたな。あとは年老いて臭い息を吐くだけだし、あくどいやつほど上に行くこの理不尽な世界から消えるのも悪くない。


「……はぁ、はぁ……」


 ふらふらと歩いてまた駅まで舞い戻ってきた。《加速》なんて使えばスピードについていけなくなって倒れるだけだから使えない。


 俺が向かっているのは電車のある方向だ。レトロな印象を持つ者も多いが、今でもこれを使う者はそこそこいる。転送ポイントは一瞬で移動できるが料金が高いからな。ただ、俺は乗るために電車の前に来たわけじゃなかった。


 昔から電車は自殺の手段として使われている。傷ついた雑魚モンスターでさえもダンジョンから逃げてきて電車に飛び込んだというニュースもあった。ダンジョンでモンスターに食い殺されるという選択肢もあるが、一瞬で死ねるならこっちのほうがいい。


「……」


 ダメだ。どうしてもできない……。白線を超えたあたりで、体が自分のものじゃないみたいに動かなかった。死ぬといっても早いか遅いかだけの問題じゃないかと思うも、どうしてもできない。単純に怖かった。まともに生きることも死ぬこともできない俺って一体なんなんだと思う。


「……すー、はー……」


 プラットホームのベンチに戻り、深呼吸した。妙だ。死にたいとさっきまで思っていたのに、俺は生きたいと思っている。体が安堵しているんだ。不思議といつもより景色が綺麗に見えた。


 そうだな……自分こそ一番の味方なのに俺が裏切ってどうするんだ。どんなに惨めでも最後まで生き抜いてやるか……。


「自殺しないの?」


「え……」


 いつの間にか隣に誰か座っていた。余裕の笑みを浮かべている。20歳くらいだろうか? 怪しい空気を漂わせるショートヘアの美女だった。


「じ、自殺って?」


「あなた、死のうとしてたでしょう」


「ど、どうしてそれを……」


 心でも読めるんだろうかと思う。俺は習得してないが、一応そういう変わった術もあるようだし……。


「挙動見てたら普通にわかるって。それにここ多いのよ」


「あ……」


 そういや、この駅はよく自殺者が出ると聞いた。自殺者が自殺者を呼び込む自殺の名所ともいわれているんだ。それで察したというわけか。


「死んだら死んだでいいけどもったいない気もするわ。せっかく才能があるんだから……」


「へ? 才能?」


「そうよ……」


 真剣な顔が迫ってきて、思わず離れようとしたらベンチから落ちてしまった。


「あなたにはがあるわ……」


「と、特別な才能って?」


 防魔術のことだろうか? ただ、あれは教師に平凡より少し上と言われた程度だが……。


……」


「……な、なんだって……?」


 何を言ってるんだと思う。新手の商法だろうか。これから、なんの効果もない高価なだけのアクセサリーを売りつけてくるのかもしれない……。

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