『世界が壊れる音がした』
幼稚園の時のトラウマチックな想い出。僕はゆり組だった。みんなオレンジ色の帽子をかぶり、みんな水色のスモックを着て、みんな仲良くお歌を歌う。みんな違ってみんな良い。すごく平和。いつも帰りには赤とか青とか紫のジャージに、白とかグレイのスウェットをインしたおかんがチャリンコで迎えに来る。その錆びてぼろぼろになったチャリンコの後ろにまたがり家に帰る。幼稚園の前でたくさんのおかんがいてなかなか本物のおかんを見つけられなくて、やっと見つけられたら、おかんはいつも笑顔で僕を迎えてくれた。すごく平和。
この幼稚園には1歳上に年長さんと呼ばれる先輩がいた。菊組と藤組。黄色と紫色の帽子だ。こんな風に帽子で色分けされているからすぐに横と上下の違いが分かるのだ。
幼稚園というのはほぼ遊びしかない。工作したり、泥で遊んだり、お歌を歌ったり。ちゃんと時間割みたいなのがあって、給食もお掃除の時間もあった。お掃除はみんなぞうきんでする。だから大人数がぞうきんを干すための鉄でできたぞうきん干し兼ぞうきん置き場があった。ある日、僕はそのぞうきん干しを盾にしてガクガク震えていた。
あれは休み時間のこと。急に悲鳴が聞こえた。向こうの方で「うわー」とか「うぅー」とか「あー」とか「きゃー」とかが聞こえてきてだんだん近づいてくるのだ。そこには菊組の名も知らない先輩がいて、その人が手あたり次第人を殴っていた。ただただターゲットにされたやつは殴られているという感じだった。喧嘩は何度か見たことがある。でもこれは喧嘩じゃないと分かった。暴力が一方向にしか働いていなかった。そしてその菊組の人は目がイってしまっていた。あの目はなんだと思った。自分が一番だということを疑わない目。自分以外はみんな自分の下なのだという目。奴隷をもつ王様の目。僕は怖くて友達と一緒にぞうきん干しを盾にして、その隙間からずっと観察していたのを覚えている。わからない。なんで。?????ばっかり頭にはあって、ちょっとしたパニックになっていた。考えても考えてもわからなかった。その日からその先輩だけでなく、「先輩というもの」に対して距離を置くようになった。
小学生になり、僕は地域のスポーツ少年団のサッカーチームに入った。田舎だったので人数がなかなか揃わなかった。自分の学年は5、6人しかいなかった。だが、なぜか先輩も後輩も11人以上いた。たまたまか知らないが先輩も後輩もやんちゃな人が多く、なぜか僕たちの学年はおとなしいやつばかりだった。だから必然と言ってしまえば必然なのか、僕らの学年はからかわれる標的になりやすかった。年上にからかわれるのはなんとなく分かる。上下関係というのはどこにでもあるし。それでもそれに耐えられなくなり、僕の友達は2人くらいやめてしまった。どうしても学年の仲間意識は強い。だからより少なくなった僕らはより標的になった。年下からもからかわれるようになった。今でも覚えている。練習中それに耐えられなくなり、僕の友達が号泣した。次から来なくなりやがて辞めた。僕は悔やんでいる。その子の敵ではなかったけど、味方になり切れなかった。守れなかった。その子がからかわれているのを横目に、どこかで標的が自分じゃないことにほっとしていた。そういうのを怒るのは大人の役目だと逃げていた。確かに僕は逃げた。でも、監督やコーチは、大人はそういうのを見ていたはずなのになんでなにもしないんだろうとも思った。
とうとう僕ひとりになった。その頃にはサッカーがあまり楽しくなくなっていた。標的にされないようにいつも僕は逃げていた。後輩には馬鹿にされないように威圧的に接した。先輩の前では目立たないように努めた。僕は自分の学年のキャプテンになった。当然だ。一人しかいないのだから。嫌だとも言えない、だって一人だから。
この頃、大人からよく「まじめ」と言われた。誉め言葉なのだということは分かっていたが全然嬉しくなかった。別にまじめになんてなりたくなかった。当たり前だろ、学年で一人で、キャプテンで、監督やコーチは練習に来ない時もあるし、後輩は言うこと聞かないし。頼れる人がいないんだから、自分がやらないと誰もやらないんだから、こうなるしかないだろ。そういうことを、サッカーの時間はいつも思っていた。でも小学生だったからか、うまく言葉にできなかった。どこにぶつけていいのかも分からなかった。だから僕はどんどん何かがガチガチ硬くなっていくのがわかった。僕のおとんとおかんはそんな僕を見て、サッカーなんかやめてしまえと言った。その通りだ。サッカーなんか辞めてよかったのだ。でも逃げてばかりだったから、これだけは逃げたくなかったのかなと思う。自分でもなぜそんなに固執したのかわからなかった。でも、大人が言う「まじめだね、偉いね」の裏側に、子供っぽくないねって意味があることはなんとなくわかった。そして僕は後輩や大人に対して距離を置くようになった。
中学生になって、僕は舐められないように常に意識していた気がする。だからサッカーも勉強も何事もすべて全力で頑張った。なんでも一番を狙った。一番を獲れないものはさりげなく身を引いてうやむやにすることにした。虚勢を張るというやつだ。足が遅くなっていったことにはだいぶこたえた。小学生の時は常に上位に君臨していたのが、中学に入ると徐々に周りに抜かされていった。本当にやばいと思った。いくら練習しても速くならなかった。あげくの果てにはケガをする。よくケガをした。僕はいっぱいいっぱいだった。できていたことができなくなる、あったものがなくなるというのは恐怖でしかない。僕はその当時、そういった自分に今まであったものが、いつなくなるかわからないという恐怖に怯えていた。そこにある糸は少しでも気を抜いたらスルスルどこかへ行ってしまう。それを必死につかんで離さないようにしていた。
中学2年生の時の運動会の日だった。僕はケガをしていて、膝に包帯を巻いていた。正直なところ、その頃はもうそれが本当にケガなのか、仮病なのか自分でもよくわからなかった。だから都合のいいように使っていた気がする。一位でもちょっと痛がればすごい一位になる。負けそうなら、それは足が遅いんじゃなくて、ケガしているから。日常的にそういう微妙なさじ加減を注意していた。
僕は当時とても仲のいい友達が一人いて、そいつといつもつるんでいた。基本的に誰かとしゃべるときも遊ぶ時も必ずそいつはいた。だからたまにそいつがいない場で僕が楽しんでいるとそいつはあからさまに不機嫌になる。それを察して徐々に距離をつめていってまた仲良くするという具合。自分も含めて繊細な友達関係だった。
その運動会の日、僕は非常に気分が良かった。なぜかというと、このような運動会という一種の祭り的な行事はいつもとは違う空間を提供してくれるからだ。そういういつもとは違う場に人は高揚する。高揚は恋が生まれやすい。僕もその当時は思春期だから、女の子と話すことが大好きだった。しかし普段はまじめで通しているので、通常の学校生活では自分なりにちょっとクールぶっていた。クールぶって、特にどこのグループにも属さずにいじめっ子からいじめられっ子まで誰とでもしゃべる男として生きていた。しかしその日の運動会はいつも以上に高揚していて、いつもよりも周りへの注意が少なかった。かわいい女の子とずっと楽しくしゃべっていて、この時間が永遠のように感じるくらい酔いしれながら会話していた。するとチャイムが鳴った。昼休みのアナウンスがかかり、持参してきた弁当を各々が各々で選んだ場所で食べる時間が始まった。その瞬間、僕はひとりになった。チャイムはその魔法が解けた合図かのように、僕としゃべっていた女子たちは親が来ているとかどうとか言ってどっかに行ってしまった。僕はどんどん不安になった。周りの人達はもうすぐやってくるこのお昼タイムに備えて一緒に食べる人を確保していたのだ。その時間が重要であったことをうっかり忘れていた僕。僕はふらふらと迷える子羊のようにあいつを探した。その仲良しの友達は、ちょうど運動場に続く階段を上がってくるところだった。僕はその階段の上がり切ったところでそいつを待ち、何事もなかったかのように(迷える子羊感を一切消して)、どこで食べる?的なことを言おうとした。
「死ねぇ!」
その瞬間、世界が壊れる音がした。僕はリアクションができなかった。その「死ねぇ!」には、僕が女の子と仲良くしゃべっていたことやその間そいつのことが一切頭になかったことは全て知っているという感情がこもっていて、そいつのなんとも言えない悲しさが伝わってくる、冗談ではない本当の純粋な「死ねぇ!」だったからだ。そいつにとっては冗談なのかもしれないし、実際冗談で、その後多少気まずくも一緒にお昼を食べて徐々にいつもの仲良しに戻った。だが、あの時僕に対して発せられた「死ね」という言葉は、たとえほんの一瞬であっても本当に死ねと言っていた。なぜ本気の死ねを言えたのか、僕にはわからなかった。その日から僕はすべての人に対して距離を置くようになった。
そんなに距離をとったら詰めるのは大変だよっていう声に耳を傾ける余裕はどこにもなかった。
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