『らくだ』
人生に疲れた男がいた。彼は川べりの柵に両肘をついてぼんやり川を見ていた。犬になりたいと彼は思った。もしくは遠い宗教も文化も違う国の人間に生まれ変わりたいと思った。女子、誰か僕を殴ってくれないかと彼は心の中で叫んだ。こういう時は彼はキザになりたがった。キザである自分に酔いしれるのだ。しかしその効力は2、3秒。川はただただ流れるだけで、彼に対して何のアクションも返してこなかった。彼は川に飛び込もうと考えた。昨日初霜が観測されていた。彼は飛び込もうと考えただけだった。飛び込もうと考えただけでさっきから同じポーズで川を眺めている自分に腹が立ってきた。過去で一番腹が立った出来事ってなんだっけか。
小学2年生の時の給食の時間。彼は後ろの方でいつものようにできるだけ早く食べて昼休みを少しでも堪能しようと一生懸命だった。すると隣のみさきちゃんが彼をじっと見ていた。なにぃ?と聞いたら、「あんた、変な食べ方してんな」と笑った。みさきちゃんは彼の食べているときの噛み方が気に食わなかったらしい。彼の噛み方をみさきちゃんは彼の前で披露し始めた。その噛み方はラクダみたいだった。彼は無意識に下あごを回転させながら噛んでいたことがその時わかった。それでもその噛み方の真似は明らかに誇張していて、その誇張加減は彼を明らかに馬鹿にしたやり口だった。彼は恥ずかしさと苛立ちからみさきちゃんの汁物(たしか、のっぺい汁だった)が入ったお椀の中にふりかけをぶっかけた。
その日の放課後、彼は校長室に呼び出しをくらった。校長室に入るとなぜか教頭先生がそこにいて、彼を見据えて、「なぜふりかけをかけたのですか」と聞いてきた。その聞き方は彼の耳には質問として聞こえなかった。それは純粋に彼がなぜそのような行動をとったのかを聞いている姿勢でも態度でもなんでもなかった。それはただ彼から「すみませんでした」とか「ごめんなさい」とかを引き出すためだけのもので、でも謝れってストレートに言うのはスマートじゃないからあたかも彼が自発的に反省して謝ったように見せかけるための先生の中での先生なりのスマートなやり口だった。彼は仕方なくごめんなさいと言った。言いながら、そういえばこの教頭の娘がみさきちゃんだよなぁって心の中でつぶやいた。大人ってしょうもな!って思った。
大人ってしょうもな!って思いながら、彼は相変わらず同じポーズで川を眺めていた。彼は明後日33歳になる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます