第22話 レオルド6
嗤う魔人にルークセンが斬りかかる。
だが事前に自己申告されていた通りに、ルークセンの剣技は人並み程度だった。
レオルドが『命令』しておくべきだったのだ。聖剣の遣い手を認められなくても、魔人との実戦経験のあるルークセンに従えと。
その意見を聞けと。
だから今、ここにルークセンしかいない。
聖剣があるだけでは、魔人と対等に戦えない。
だから今、聖剣を警戒していた魔人が、嗤いながらルークセンの攻撃をかわしている。
脅威ではないと知ってしまったからだ。
レオルドが室内を見回すと、イサリアは杖を握ったまま荒い息をついていた。張っていた結界魔法を破られた反動と、魔力の消費の大きさが原因だろう。
護衛と補佐官たちは、壁際でただ見守っている。護衛の者の武器は聖なる力を宿していないので、戦えない。魔人討伐隊の分を作るので、レオルドも精一杯だったのだ。
「イサリア、動けるか?」
「まだ、魔法を使えます」
この場で優先すべき命は、聖王という替えの利く人間ではない。
聖剣を取り戻し、強い魔法を扱える者。
治療師として、聖女と呼ばれ始めている少女。
レオルドはそう判断した。
「魔人討伐隊を呼んで来てくれ。加勢がいる」
「聖王様が行って下さい。結界で止めますから」
魔人の注意を引かないように小声で告げると、逃げろと言っていないのに、あっさりと拒否された。
「僕は──余は走るのが苦手だ」
「足の速い人に頼みましょう」
イサリアが目をやると、逃げたいはずなのに護衛も補佐官も首を横に振って拒否していた。
「おやおや、何の相談ですか?聞こえないと思いましたか?我々は人間より耳が良いんですよ、知らなかったんですか?」
ルークセンの攻撃を避け、魔人がルークセンから視線を外して話しに入ってきた。
それでも、聖剣は魔人を捕らえることが出来ない。
「でもまあ、聖王と聖女以外は逃げてもいいですよ。追うほどの大物ではありませんし、主を見捨てて逃げた人間がどんな目に遭うのか、そちらのほうが面白いですし?」
「本当に耳がいいんですかあ?応援を呼べって話なのに」
「この状況だと逃げたと責められるものなんですよ。特に王の叔父という人間は、後先考えないで騒ぎ立てるでしょうね。王家の醜聞だと気づきもしないで、自ら声高に言って回るはずです」
「なんで王家の醜聞になるんですか」
「臣下に見捨てられた聖王、と陰口を叩く輩がいるものなんです。悪意を込めて解釈するんですよ」
愉しみだと魔人が嗤っているので、叔父は狙われないのかもしれない。
レオルドにとっては、どうでもいい情報に思えてしまった。
「というか、聖剣遣いと連係する気のない奴らが来て、この状況が本当に変わると信じているんですか?」
「俺が下がっていれば、連係して戦うだろう」
魔人の言葉を遮るようにルークセンが答える。絶え間なく攻撃しているので、すでに息が上がっていた。
一カ月の間、牢に入っていたのだ。毎日鍛えている騎士団や討伐隊の者とは違う。
「聖剣でとどめさえさせれば、それでいい」
「では呪いをかけて、封じましょう」
魔人の言葉に、誰もがギクリと動きを止めた。
その隙をついて、魔人がルークセンを軽く払うように弾き飛ばした。動作は軽く見えても、ルークセンは壁に激突し、血を吐いて倒れた。
イサリアがルークセンに駆け寄ろうとしたが、魔人が近づいて少女の首を片手で鷲掴みにするほうが早かった。
片手で釣り上げられたイサリアが、両手で魔人の手を掴み、床から離れた両足をばたつかせる。
「細い首だ。少し力を入れるだけで折れるでしょうね。でも息が出来ない苦しさに歪んだ顔をもっと見ていたい」
魔人が嗜虐趣味を覗かせて、イサリアの様子を見つめている。
ずっと動かずにいた護衛の者たちが剣を抜いて斬りかかる。傷を与えることは出来ないが、魔人も煩わしげに空いた腕を振って応じていた。
そちらに気を取られている魔人に、レオルドはルークセンの側に近づいて、聖剣を拾って投げつけた。
レオルドは聖剣を使えないが、聖王として触れることは出来る。
魔人はレオルドから完全に意識がそれていたようで、無造作に伸ばしていた腕に聖剣が当たってぎゃあっと叫んだ。
その拍子にイサリアが解放されて、床の上でうずくまる。両手で喉を押さえているが、どうにか呼吸は出来ているようだ。
聖剣の当たった左腕がじゅうじゅうと音を立てて、魔人の腕は服越しにも大きなダメージを受けたことがわかる。
魔人は怒りに顔を歪めて、余裕の消えた眼でレオルドを睨んだ。人間に擬態していた姿も、いつの間にか変化している。
尖った長い耳、むき出しの歯に牙、伸びた爪。何よりレオルドを睨む眼が獣のように瞳孔を細めていた。
「貴様──!」
レオルドが硬直して、魔人の怒りの視線に晒されていた、その一瞬。
倒れていたはずのルークセンが魔人の足元に滑り込み、聖剣を拾いざまに斬りつけた。
今度は右脚をやられた魔人が、つんざく悲鳴をあげて倒れ込む。当たっただけの腕と違い、傷口からは赤い血があふれていた。
今なら倒せる。
そう思ったが、ルークセンは立ち上がれないようだ。先ほどのダメージが残っているだろうに、無理に動いたのかもしれない。
イサリアが杖に手を伸ばしているが、ひゅうひゅうと苦しげな息を吐いている。呪文を唱えることは出来そうにない。
今、動けて、魔人にダメージを与える手段を持っているのは誰か。
考えるまでもなく、一人しかいなかった。
レオルドは自ら走って聖剣を掴んだ。
相討ちだろうと魔人を倒す。そう思って聖剣を振り上げた。
だがルークセンに引きずり倒され、レオルドを掠めて魔人の攻撃魔法が背後の壁に当たった。
ルークセンに引っ張られなかったら、レオルドに直撃していただろう。
倒れたレオルドに、今度はイサリアが覆い被さって来た。魔法が使えないから、自分を盾にするつもりなのか。
「どけ、イサリア!」
「さすが聖女!だが二人まとめて貫いてやるだけだ──!」
魔人は自分の攻撃の威力に自信があるのだろう。人間などまとめて殺せる強力な攻撃魔法を放とうと、嗤いながら右手を上げた。傷の痛みよりも、レオルドたちを殺せる歓喜が上回ったのか、哄笑が響き渡る。
絶望の一瞬。
しかし次に聴こえたのは、魔人の断末魔の叫びだった。
訳が分からず、レオルドが顔を上げると、魔人の胸から聖剣の剣先が突き出ていた。
「なんで……」
「魔人が完全に、陛下たちに気を取られていたので」
「聖剣に触れることは出来ませんが、聖剣を握った人間の腕なら掴めました!」
動けなかったルークセンの腕を、護衛の兵士たちが代わりに動かしたらしい。ルークセンも、レオルドが取り落とした聖剣を握るところまでは頑張ったようだ。
「魔人は、倒せたのか?」
「心臓を貫かれては、魔人といえど生きていられないでしょう」
「そうだよな?」
確認されたルークセンが、首肯だけで答えていた。声が出ないようである。
「かなり強く叩きつけられていたようだし、ルークセンを丁重に扱ってやれ。血を吐いていただろう」
目の前でルークセンが戦う姿を見たからか、誰も不満を覗かせずに応じている。
イサリアも早く治療してやりたいので、医者と治療師を呼びに行かせた。
「……まだ来ないな」
「え、今呼びに行ったばかりですから」
「魔人討伐隊」
とても長い時間、魔人と戦っていた気分だが、実際には短時間の出来事だったのかもしれない。レオルドは時間の感覚が狂ったようで、時計を見ても良くわからなくなっていた。
しかし、そろそろ来る頃ではないかと思うのだった。
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