第3話 ルークセン2




 ルークセンは不老不死だったのではなく、肉体の時が止まっていただけなのか髪も伸びていなかったが、服はぼろぼろだ。

 そして金も何も所持していなかった。

 イサリアのほうも「杖しか持ってませんねー」と言っているので、二人揃って文無しだった。


 とはいえ金の心配をする前に、人の住む地にたどり着けるかどうかが問題だった。見捨てられた地は、人間に残された緑の地よりも広大なのだから。


 だが神のお導きか、ルークセンたちが喉の渇きに耐えきれなくなる前に緑が視界に入ってきて、川も流れていた。

 二人は何も考えられないまま駆け寄り、川の水を無心で飲んで、しばらく川辺でのたうち回った。


「……しかし、生き返った……」

「そうですねー……」


 どうにか落ち着いても、二人はそのまま転がって空を眺めていた。

 疲れているし、空腹で目が回るが──こんなに空が青くて日差しが暖かいなんて、ルークセンはずっと忘れていた。

 緑と川があるのは、聖剣の加護が届いているからだ。風さえも見捨てられた地とは違って感じられる。


 しかしいつまでも休んでいられない。

 ルークセンは怠惰に呑まれそうな自分を律して身体を起こし、少女に尋ねた。


「まだ歩けるか?」

「歩けるのと歩きたくないのは、似て否なるものではないかと……」

「歩けるんだな。きっと人里は近いはずだ」


 もう歩けないというのなら背負うつもりだったが、もう少し頑張ってもらう。ルークセンはイサリアに手を貸して立ち上がった。


「ところで、今が聖暦何年かわかるか?」

「セーレキって何ですか?」

「……神々が聖剣を人間にお与え下さった時から始まった歴史のことだ」

「セイケンって何ですか?」

「君の記憶には何も残ってないのか……」


 国は聖剣の数と同じく七つあるが、聖暦は共通である。どこの国の人間でも知っている常識だと、ルークセンは思っていた。

 聖剣の加護があるから人間は生きられる。だから聖剣のことを知らない人間がいるはずがないとも思っていたものだ。


「説明すると長くなるし、聖剣の話は落ち着いてからにしよう。それより、他の人間に会う前に情報を共有しておきたかったんだが」

「情報ですかー。師匠は治癒魔法の使い方以外はたいして話してなかった気がしますよ」

「そうか。俺は呪われている間、時間の感覚がおかしくなっていたようで、あれから何年経っているのかわからない。何十年も過ぎた気もする」


 聖暦何年かわかれば判明することだ。

 だがそんな『常識』をわざわざ尋ねるのは怪しまれそうである。


「えーと、ルークセンさんはおいくつの時に呪われちゃったんですか?見た目、20代前半って感じですよね?」

「呪われている間、不老不死みたいなものだったからな」

「え!?じゃあ今何歳なんですか!?」

「俺も知りたい」


 今のルークセンは外見と中身がかみ合っていないような気もするし、精神的にも成長せずに、呪われた当時のままなのかもしれない。


 ルークセン自身のことよりも、家族や友人知人たちのことを考えた。変わっていないはずがない。

 けれど逢えるものならば逢いたかった。





 よろよろしているイサリアを支えながら川を遡って歩いて行くと、日暮れ頃に集落が見えてきた。人の姿もある。


 ほっとして、気合いを入れ直して近づいた。文無しなので、どう交渉するかが問題だ。


「すまないが、一晩休ませてもらえないだろうか」

「誰だい、あんたら」

「わたし、治療師です。初歩の初歩的な術しか使えないけど、むしろ見習いのような気もするけど。師匠にポイ捨てされてここがどこなのかもわからないけど」


 ルークセンが声をかけると、初老の男は警戒するように応じたが、イサリアの名乗りには呆れ顔を覗かせた。


「人を癒やして世界を救えって師匠に言われたけど、今はこう言わせて下さい。たーすーけーてー」

「余計なことまで言わなくてもいいと思うぞ……」


 伝えるべきは助けての一言だけである。

 だがイサリアの性格も今の余計な発言で伝わったようだ。


「困ってるってんなら助けてやらんこともないが、治療師ってのは本当か?」

「本当ですよ。見習いまたは(仮)ですが」

「それでもいい。病人がいるんだ。看てくれるなら、納屋くらいしかないが泊めてやる」


 ルークセンはイサリアの力を信用しきれていないが、まずは病人の様子を見てから考えてもいいだろう。

 駄目だったら他の手段を探すだけだ。


 男に案内されて行った家に入ると、スープの良い匂いに空腹を刺激された。

 ルークセンは顔に出さなかったつもりだが、イサリアは声に出していた。男は「晩飯も付けてやる」と笑っていたが、非常にありがたい話だった。


 奥の寝室には男の妻がいるようだった。ルークセンは部屋の前で待つことにする。

 中から三人の会話が聞こえて来て、原因不明だとか他の家にも同じ症状の者たちがいるとか話していた。


 原因がわからないと、どの魔法を使えば効果があるのかもわからない。

 これは駄目だとルークセンは思ったのだが、イサリアは「わかりました」と応えて呪文を唱え始める。

 止める間もなかった。


 そういえばこいつ、適当に思いつくまま呪文を唱えたとか言ってた──!と聖剣を解放した時のイサリアの証言を思い出す。イサリアの治癒魔法はすべてなのかもしれない。


 病人に会う前からこれ以外の展開なんてなかったとルークセンも気づいて、頭を抱えたくなった。放っておいてはいけない。

 でもここで事実を伝えて、村から追い出されるのも困る。ルークセンは他の何に替えても、聖剣を聖都に届けなくてはならないのだ。

 聖剣の加護を国中に行き渡らせるため、聖剣が失われていた期間もまだ国土は保たれていたようだが、永遠に失うわけにはいかない。


「おお、なんか黒い煙りが!」

「あなた、アレよ。瘴気よ!」


 夫妻の声にルークセンが慌てて覗くと、寝台で半身を起こしていた女性から黒いもやのようなものが湧き出て、イサリアの握った杖が放つ柔らかな白い光がそれを浄化していた。


 確かに瘴気の浄化は治癒魔法にもあるが、初歩的な術ではない。三人とも知らないようだから暢気に「すごいな」「ああ、身体が楽になってきたわ」と喜ぶだけだ。


 間違った対処ではなさそうなので、ルークセンは黙っていることにした。イサリアを注意したいところだが、ここを出てからすればいい。

 正しい対応ではないと自覚しているので気が沈むが、目をつむるしかなかった。


「お役に立てて良かったです。他に何人くらいいるんですかね」

「そ、その、なんだ。治療費とか払う余裕はないんだが」

「え?代わりに泊めてもらえるって話になってますよね。あとご飯!」

「他の家も余裕はないはずだからな……」

「じゃあ朝ご飯!お弁当!他は何がいいですかね」


 正当な報酬を要求するのなら、けっこうな額になる。だがイサリアの危険なやり方で金を要求するのは、ルークセンも良心が痛むので遠慮したい。


「俺は聖都まで行きたいんだ。日保ちする食糧を分けてもらえるだろうか」

「聖都?歩いて行くなら10日はかかるぞ」

「10日分じゃ重くて歩けないだろうし、少しずつでいいんだが」

「荷物を入れる袋も欲しいですねー」


 黙っているのなら、これ以上は治療できないとも言えない。ならば少しずつ対価をもらって、相手に納得してもらうほうがいい。


 あとでこっそり聖剣の力で村全体を浄化しておこう、とルークセンは心に誓ったのだった。




 翌朝、ルークセンとイサリアは村人たちに好意的に見送られて出発した。治療のお礼にともらった荷物が、思ったより重い。


「しかし、聖暦何年か誰も知らないとは」

「ルークセンさんが思うほど重要じゃなかったんですねー」

「いや、神々への感謝とかいろいろあるはずなんだ。地方では考え方が違うのか?」


 ルークセンはさり気なさを装って尋ねてみたのだが、覚えてないと言われたのだ。誰か覚えてるか?と見送りに来た者たちにも聞いてくれたが、全員に否定された。

 さすがに聖暦って何?とは言われなかったが。


「それに、一番近い街はゼスタークだと言われたが、聞いた覚えのない名前だし」

「国は七つあるんですよね。ルークセンさんの国じゃなかったとか」

「……引き返して聞くべきか?だが街まで行って旅支度をしないことには、どこにも行けないし……」


 見捨てられた地を渡るというなら、背負って運べる程度の荷物ではまったく足りない。途中に休める街も宿もなく、飲み水も持参しないといけないのだ。

 それらを用意するなら金が要る。街で稼ぐか、商隊に潜り込むか。


 とにかく街へ行くことに変わりない。


「北に見えるのがレスカール山脈だというのは確かだから、山脈の南部には三つの国しかない。そんなに遠くない、はずだ」

「残る四つの国に行くには、あの山を越えないといけないんですか?」

「山越えも迂回路もあるらしいな」


 ルークセンも聞いただけで、山脈の北には行ったことがない。見捨てられた地をさまよっている間も、わざわざ山越えなど考えなかったものだ。


「人を癒やして世界を救うためには、いつか越えないといけない山なのかな……」

「それ以前に適当に魔法を使うな。症状を見て適切な対処をしろ。そのためにもまずは勉強だ!」

「えええー!?」

「自分が何をしているのかわかってない奴に安心して任せられる人間がいるものか!」


 街に着いたらイサリアは新しい師を探すべきである。力はあるのだから、安全にその力を使って欲しい。

 イサリアにとっても、必要なことだとルークセンは思うのだった。


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