幕あい Part J ある日、赤熊は死んだ

【478.12】


 私には両親がいない。


 私は孤児だ。


 私を拾い育ててくれたのは、当時王国随一の闘士であった「赤熊」の異名をもつガナフィという男だった。




 コロシアムで開催されていた決闘は、王族から庶民に至るまで皆に親しまれている娯楽だった。

 2人の闘士が短剣を持ってリング上で殺しあう。

 負けた闘士に明日はない。

 どちらかの息の根が止まるまで決闘は続けられる。




 観衆にとって、奴隷同然の身分である闘士の死に様は娯楽の1つでしかなかった。

 人は興奮することに飢えており、観戦チケットは毎日売り切れてしまうほどだった。


 赤熊は当時の最年長、つまり1度も負けることなく、最多勝利数を更新し続けている闘士だった。




 闘士は苗字を名乗れない。


 赤熊の家は元々平民の家系だったが、曾祖父が事業に失敗し負債を抱え、父の代で闘士へ堕ち、苗字を捨てた。


 ガナフィ・アルマートという彼の本名は、私だけに明かしてくれた。誰も知らない苗字だ。




 赤熊は勝ち続けた。

 私は血に飢えた観衆達の異様な雰囲気が嫌いで、彼の戦いを見に行くことはなかった。


 観衆達は赤熊の強さに熱狂し、銭を投げてよこした。

 低い身分にもかかわらず、観衆は赤熊を英雄視して讃えた。




 ある日、赤熊はあっけなく死んだ。


 コロシアムのリングの上ではなく、酒場で酔って寝ていたところを金目当てのちっぽけなゴロツキに刺殺されたのだ。


 この知らせは瞬く間に国中に広まり、民は口を揃えて怒り嘆いた。




「赤熊は不用心な振る舞いにより自身の末節を汚した」


「赤熊はリングの上で死ぬべきだった」


「闘士に飲酒の自由を与えたことが間違いだったのだ」


「今後闘士には見張りをつけるか、1ヶ所に閉じ込めて管理するべきだ」




 ……異常なのは私の方なのだろうか?


 なぜコロシアムの英雄赤熊は、死して尚蔑まれなければならないのか?


 そもそも、なぜ決闘という狂気が大衆娯楽として成立しているのか?


 命の価値とは何なのか?


 血を求める大衆の心は、一体何の呪いなのか?


 この世界の「歪み」の根源は、どこにあるのか?




 物心ついた頃、赤熊に拾われてから彼が死ぬまでのおよそ十年間、彼から貰った有形無形の全て。

 ……それらを世界から否定されたように感じた私にとって、それは自分自身の存在を否定されたにも等しかった。


 ならば、先程の問いの答えを見出だすまで、突き進まなければなるまい。


 今はなき「アルマート」の姓を名乗り、世界と向き合い続けねばなるまい。




 私の人生の行き着く先が、復讐ではなく救済であることを、祈る。

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